中学の「日本史」で、「浄土宗・浄土真宗は『他力本願』。
禅宗は『自力本願』」などと習った。
「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば、悪人でも浄土に行ける。
ならば、浄土真宗以外の宗派の人、キリスト教徒、無信心の人は、
善人でも浄土に行けないことになる。
禅宗では、「あの世なんてない。釈迦も達磨もない。
ただ自分だけを信じよ」とも説く。同じ仏教で、言ってることが
真逆では、何を信じていいのやら。これでは、仏教離れに
歯止めがかからないのも当然。
一方、新興宗教の方は、若い男女で満ち溢れている。
新興宗教を邪教、カルト集団と決め付けて、忌避する人も多い。
「新興宗教にお金を盗られて、だまされている」と批難する人も、
旧仏教に布施することには抵抗ないようだ。
浄土真宗にしても、当初は「念仏停止(ちょうじ)」の激しい弾圧を
受けた。禅宗も日蓮宗も、天台宗でさえ、当初は“異端、邪教”とされた。
今は“新興宗教”でも、やがては在来宗教に変わる教団となろう。
時代のニーズによって宗教も変わるのだ。変わってよい。
変わるべきだと私は思う。
今日、栄でのメイン通りで、キリスト教徒の大パレードがあった。
参加者の多くはフィリピンかブラジル系、韓国人だった。みな陽気に
はしゃぎ、賑やかな歌を歌いながら行進していた。その大胆な
示威行動には、正直驚いた。
日本の宗教界に、今これだけの力はない。信仰宗教も、もっと
自信を持って世にアッピールすべきだ。