現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

結婚式、葬儀 は誰のため?

2015-06-02 03:06:55 | 社会問題

「結婚式は親の“徳”。葬式は子の“徳”」という。
なるほど、子供の結婚式では 親の財力。親の葬式では
子の社会的地位が如実に示される。

その一方で、最近は、会費制で親しい友人たちが主催し、
親は口出しせず(できず)という結婚式も流行りだしたそうな。

親の葬儀も 以前は 子の会社関係、取引関係の方が
多く集まったものだったが、今は、超高齢化で、
子も退職し、仕事関係のつながりも無いとなると、
親族だけの「家族葬」となる。

その親族でさえ、親の伯父、叔母、兄弟も 既に
亡くなっていて、実子と孫だけ、それも一人っ子
では、ほんの数人だけという葬儀にならざるを
得ない。

「故人を成仏させる儀式」などといっても、仏教徒で
なければ、お経も無意味なもの。

「葬儀は遺された人の自己満足のため」ともいう。

ならば、もっと自由に演出させてもらいたいと思う。






家族葬・直葬

2015-06-02 02:54:55 | 社会問題

島田裕巳著 『葬式は要らない』が今話題となっている。
1カ月で 22万部の売り上げとか。

日本の葬式費用は諸外国に比べて一桁高い。
仏式によらなければ安く済むというもの。既存のお寺や
大手葬儀社にとっては生活が脅かされる由々しき事態。
中小の葬儀社はこぞって「家族葬・直葬」のセールスを
始めた。

東京ではもう坊さんを呼ばない葬式は半数を超えている
そうな。

30年前、祖父の葬儀を家族葬でやりたいと云ったら、葬儀社
も葬祭場も手の平を返すように冷淡になり、結局、型どおりの
仏式でやらざるを得なかった。当時で 270万。お寺さんへの
戒名代だけでも 60万だった。

「家族葬・直葬」がようやく公認されてきたようだ。


葬儀はどこで?

2015-06-02 02:51:31 | 社会問題

名古屋では、平安会館や愛昇殿などの葬儀場が
あちこちに建った。いつでもすぐ近くで葬儀が
行なえるという安心感がある。乱立気味なので
葬儀会館は経営が苦しくなってきたとか。

20年ほど前、静岡市の仏教会に招かれて行った
時のこと。「名古屋では、葬儀会場で葬儀をする
そうな」と、お寺さんから聞かれて、私の方が驚いた。
その頃、静岡では まだ、葬儀はお寺か自宅でやるもの
と決まっていたようだ。

15年前に父が亡くなった時は、東京、桐ヶ谷の斎場で
行った。葬儀は一階で行なって、一応 霊柩車に乗せ
乗せ出棺するのだが、車は一階からスロープを上って
2階の火葬場へ。わずか1分。我々は急ぎ階段で上へ。
葬儀と火葬場が同じ場所だから時間も短縮される。

名古屋も今、新しい火葬場が建設中。時代の流れか。


形骸化した葬儀

2015-06-02 02:38:41 | 虚無僧日記

人間の最期を飾る一大イベント「お葬式」。

その人が生きてきた証し。人生のクライマックス。

芝居でいうなら感動のフィナーレでありたい。

ああ それなのに、最近葬儀に参列しても、空しい

思いが残る。感動がない。感激がない。

感動させる演出が無い。なんでだろ? 

結婚式もそうだが、パターン化され、既存のシナリオ通りに

時間が過ぎて、はいチョンで終わる。なんか侘しい、

僧侶の読経も、心がこもってない。ただ時間が過ぎるのを

待つのみ。空しい。

仏教寺院が「葬式仏教」であることを自認し、それが生業で

あると自覚するならば、もっと心のこもった読経にすべきと

思う。そうでなければ、ますます仏教離れし、家族葬や

直葬が主流となり、葬儀に僧侶の読経は要らない時代が

くるだろう。