現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

常光院八橋寺と「八ツ橋」

2015-06-07 17:13:19 | Weblog

黒谷金戒光明寺の山門脇に常光院という小さなお寺がある。
金戒光明寺の塔頭(たっちゅう)の一つ。入口に筝の柱(じ)を
イメージしたような碑があり、八橋寺と書かれている。
ここは筝の八橋検校(けんぎょう)の菩提寺なのだ。

八橋検校は、慶長19年(1614)福島県岩城平に生まれ、大阪、
江戸、福岡で筑紫流の筝を学び、その上で平調子という
ミファラシドの陰音階の調絃法を考案して、「六段」などの
器楽曲や組歌を多く作曲した。中世の音楽は陽音階だったのが、
八橋によって陰音階が広まった。

八橋の評判が高くなり、宮中に召されて、演奏を披露したが
「なんて下品な音楽」と、公卿には不評だったようだ。
たしかに雅楽とは赴きが異なる。大坂冬、夏の陣で豊臣氏が
滅び、幕藩体制の確立とともに、華やかな元禄文化が生まれる
直前の1685年、八橋は亡くなっている。この年、ヨーロッパ
ではバッハが生まれている。

江戸時代の文化芸術が庶民のものだったにもかかわらず、
音楽は陰音階だったという矛盾は、どう考えればいいのか。
詩吟も尺八曲も平調子の音階が基調となっている。

ところで、京都のお土産の代表格「八ツ橋」は、この八橋
検校に由来している。八橋は倹約家で、米櫃の底に残った粉
で焼き菓子を作ることを考えたとか。また八橋の没後、寺に
参詣に来る人たちを相手に筝の形をかたどった菓子を売って
いたとも。『八つ橋』は、橋ではなく筝(こと)の形だった。