現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

虚無僧と若者路上ライブ

2019-04-09 23:29:13 | 虚無僧日記

21歳の稲熊君。大学にはいってからクラブで尺八を覚え3年。

昨年秋、都山流準師範に主席で合格した。

もうなんでも吹く。琴古流や明暗本曲も習いたいと

私のところへ来た。一通り教え、山本邦山作曲の「竹」や

ネプチューンの「青風」なども教えたところ、

「ぜひ路上ライブをやって、ツイッターで拡散してもらいましょう」と。

4月6日土曜日、名古屋駅の南、笹島の交差点で実行。

なんと私は虚無僧スタイル、彼はスーツにネクタイ。

私71歳、彼21歳。歳の差50歳。

このアンバランスが注目の的。私一人では、どうも不審がられて

みな素通りしてしまうが、彼の方が一目を引き。

若い人が立ち止まり、スマホで撮っとくれる。

台湾からの旅行者(女性)がしばらく立ち止まって聞いてくれた。

なんと、台湾で尺八を習っているという。台湾には

尺八協会の会員だけで1000人もいるとのこと。名古屋より多い。

そしてまた「一路さんですね、ブログ見てますよ」と声をかけて

くださる方も。私も少しは顔が売れてきたかな。

 

 

Youtubeで見てください。

https://youtu.be/CGZDH2dSymg

 

都山流楽会名古屋支部の師範クラスは300人いる
という。1年に1人が1人、会員を増やせば300人。
10年で3,000人になるのだが、この10年で、どんどん
減少傾向にあるとか。顔ぶれをみても高齢者が多い。
年寄りの中に若い女性が数人。20年後に生き残って
いるのは、この女性だけか。

琴古流はほとんど形(なり)を潜めている。100人いる
だろうか。名古屋には、この他、竹保流と西園流、
そしてわが吸江流がある。いずれも20年後には絶滅
危惧種だ。


 


虚無僧 芭蕉とは?

2019-04-09 22:47:57 | 虚無僧日記

芭蕉といえば「松尾芭蕉」。あの芭蕉が「虚無僧」だった?。
いや、別人らしい。

仙台に「芭蕉の辻」という地名がある。松尾芭蕉も『奥の細道』を
旅し、仙台に赴いている。芭蕉は幕府の隠密で、伊達藩の動向を
探るために仙台に行ったという説もある。

ところがところが、仙台の「芭蕉の辻」は、松尾芭蕉が
仙台に行く前からあった。なんと「芭蕉という名の虚無僧が
いて、伊達政宗のためにスパイ活動をしていて、その功に
よって、この四辻の地を与えられ、その地を「芭蕉辻」と
呼ばれたとのこと。

幕府隠密「松尾芭蕉」が通った所が、伊達家お抱えの隠密
虚無僧「芭蕉」が住んでいた場所とは、松尾芭蕉もどう思った
ことか。

虚無僧の「芭蕉」については『虚無僧の謎』(岡田富士雄)に
載っていた。通称は「六左衛門」。「閑斎」と号した。もとは
長州の人で虎渓の推挙で 伊達忠宗に召し仕えた。名取市増田に
「不退軒」を建て住す。「不退軒」はその後「布袋軒」となる。
「伊達忠宗」は正宗の子で、1639~2代藩主。芭蕉が仙台に
着いたのは 1689年。丁度 半世紀後。

「虚無僧が藩のお抱え隠密だった」とする話は、『虚無僧の謎』
に数件載っているが、越後村上藩の明暗寺看主「文仲」が、大坂
夏の陣で家康の危機を救ったなどというのは、すべて虚言。後世
の作話なのだ。「芭蕉の辻」も「芭蕉の木が植えられていたから」
という説もある。そちらが正しいか。ざんねん