現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

日本人の祖先はシュメール人

2019-06-22 17:22:48 | 虚無僧日記

「シュメール」とは 

シュメール人

 

シュメール文明の謎


シュメール文明は、紀元前3500年ごろ、チグリス・ユーフラテス川の沿岸地帯に

興ったメソポタミア文明の初期のころに栄えていました。

シュメール文明は、初めて「文字」をもったと言われています。

その文字が、日本の古代文字と極似しているのです。

シュメール文明では、天文の動きも知っていて、月の満ち欠けから年月を図る

太陰暦」を使用していました。日本も大陰暦です。

 

そのシュメール人は、紀元前2000年ごろ、突然、姿を消してしまいます。

シュメール人は、どこから来て、どこへ行ってしまったのか。

 

 

 

シュメール人は、日本人のルーツ?


突然、姿を消したシュメール人の一部は、日本へ渡ったといわれています。

不思議なことに、シュメールと日本にはたくさんの共通点があるのです。

 

言葉


シュメール語と日本語は、ともに膠着(こうちゃく)語です。

膠着語とは、「○○を」「○○に」「○○が」のように、単語に「を、に、が」

などをくっつけていく文体系の言葉です。

シュメール語は、日本語のように母音も子音も表記しますし、

漢字と仮名の混ざった同じような構造をしています。

不思議なのは、シュメール周辺では、膠着語や類似する言葉が

使われていなかったという点です。

 

天皇、皇室


天皇の古語は、すべてシュメール語で解釈できます。

日本の古語で、天皇や皇族を、「スメ(皇)」や「スメラ(天皇)」と言います。

それは古代バビロニアの「Sumer(スメル)」と似ているだけでなく、

「シュメール」とも発音されていました。

さらに、「スメ」は、「神」という意味で、天皇=神ということになり

スメル国というのは漢字で書くと「皇国」となり、「神の国」という意味になるのです。

ちなみに、「スメラギ」は、「スメル(Sumer)」の複数形です。

「ミコト(尊、命)」や「ミカド(天皇)」は、「Migut(ミグト)」が訛って、

変化したもので、「天降る開拓者」を表し、それはすなわち「神」を意味しています。

これらのことから、古代の日本に天皇をいただいて、天降った民族は、シュメールの

王族とその民だと考えられているのです。

 

菊花紋


「菊の御紋」と呼ばれる十六八重菊花紋は、日本の天皇や皇室を表しますが、

 

シュメールから出土した粘土板にも、同じ菊花紋が描かれています。

 

 

 

 16菊花紋

 菊の御紋を発見


吉川英治の『宮本武蔵』にも虚無僧登場

2019-06-22 03:44:07 | テレビ・映画・芸能人

吉川英治は、よくよく「虚無僧」が好きな御仁でござる。
『鳴門秘帖』は虚無僧が主役。“白面の貴公子・法月
(のりづき)弦之丞」が虚無僧となって阿波に潜入する話。
そして『親鸞』にまで「虚無僧」が登場してくるのです。
(平安、鎌倉の時代には [虚無僧」は いません!)

さて『宮本武蔵』。
又八が伏見城の普請場で働いていた時、武者修行の男が
城の見取り図を写していて、不審者として殺される。
その男から、佐々木小次郎の「剣術免許皆伝証」を
託された又八。その後、又八は とある一軒の廃屋に
もぐりこむ。そこで虚無僧に出会う。

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ちょうどよい塒(ねぐら)と ここに一夜を明かしている虚無僧
らしい。独り尺八を吹いているのだ。それはまた他人に聞かそう
ためでもなく自ら誇って陶酔している音でもない。秋の夜の孤寂の
やる瀬なさを、無我と三昧に過ごしているだけのことなのだ。


一曲終ると、虚無僧は 独り言に――
「四十不惑というが、おれは四十を七つも越えてから あんな失策を
やって、禄を離れ、家名をつぶし、あまつさえ独りの子まで他国へ
流浪させてしまった。考えれば慚愧にたえない。死んだ妻にも
生きている子にも会わせる顔がない。


虚無僧は、浪人の垢じみた着物を着て、その胸に 普化禅師の末弟と
いう証ばかりに 黒い袈裟をつけている。敷いている一枚の筵は、
常に巻いて手に持って歩く彼の唯一の衾(ふすま)であり、雨露の
家だった。

「四十代ほど、油断のならない年頃はない。自分だけが いっぱし
世の中も観(み)、人生もわかったつもりで、少しばかりかち得た地位に
思い上がって、ともすると、女に対しても、臆面のない振舞に出るもの
だから、運命の神から背負い投げを喰わされるのだ。慚愧のいたりだ」

誰かに向って謝っているように、虚無僧は頭を下げて、さらにまた下げて、
「おれはいい、おれは、それでも、いいとしよう。こうして懺悔の中に、
なお許してくれる自然のふところに生きて行かれるから」
と、ふと涙をこぼし、

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と、原作では、虚無僧の愚痴が長々と続く。この虚無僧は
姫路の池田候に仕えた1000石取りの侍「青木丹左衛門」。
かつて「武蔵(たけぞう)」を捕えた役人のなれのはて
であった。
その子「城太郎」は奇しき縁で、宮本武蔵の弟子になる。