現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ユダヤとイスラム人の違い

2019-06-27 19:46:28 | 虚無僧日記

日本の神道とユダヤが似通っているといわれても、
その双方ともに、相手の情報は全く持ち合わせて
いない。
そもそも、ユダヤとイスラエルの関係も判らない。

◆「イスラエル民族」と「ユダヤ人」の違い。
「イスラエル民族」とは厳密には「12支族で
構成された連合集団」を指しており、そのうちの
1支族である「ユダ族」の末裔が「ユダヤ人」。
と呼ばれるようになった。

ところが長い年月の間にユダヤ人は四散分離し、

多民族と融合して、純粋なユダヤ人はいなくなった。

現代のユダヤ人と呼ばれる人たちはトルコのあたりに

いた部族とのこと。

 

◆『旧約聖書』の記述

父ヤコブに最も可愛がられていた11男のヨセフは、
兄たちの嫉妬をかい、エジプトに売られてしまう。

その後、大飢饉から逃れるため、ヤコブ一家が
エジプトに赴くと、ヨセフがなんと国王ファラオに
次ぐ首相になっていた。

ヨセフは兄たちを許し、一族は エジプトの地で 子孫を
増やして大いに栄えた。だがヨセフの死後、ヘブライの
勢力を恐れたファラオが、彼らを奴隷の境遇に突き落として
しまった。


●奴隷の境遇に喘ぐ中、一人の預言者が現れた。モーゼである。

彼は紀元前1290年に 全イスラエル民族を率いてエジプトを脱出。
以後40年間、集団放浪生活を送ったが、この間に“神”は
イスラエル民族に「十戒の石板」・「マナの壷」・「アロンの杖」
という三種の神器と、それを入れる「契約の聖櫃(アーク)」を
授けた。


その「三種の神器」が日本のどこかに有るというのだ。
仁徳天皇陵の「前方後円墳」は、上から見ると「マナの壷」の
形をしている。神輿は「聖櫃」を運ぶためのものだった。

などなど、日本の今までの知識では解き明かせないことが
古代イスラエルを知ることで、大方 解明されるようだ。




 


イスラム、イスラエルどう違う?

2019-06-27 19:40:21 | 虚無僧日記

遠い国、日本とは疎遠の国と思っていた中東が、にわかに身近なものに

迫ってきた。だが、イスラエルとイスラムの違いも判らない。

ヨーロッパ人が、日・中・韓の紛争を理解できないのと同じか。

戦争が起きる要因は、「民族か、領土か、宗教の三つ」というが、

中東の紛争は、その三つともが絡んでるからややこしい。

亡国の民ユダヤ人が、米英の後ろ盾で建国した新興国が

「イスラエル」。しかし その首都「エルサレム」は、イエス・キリスト

処刑された地でもあり、ユダヤ教キリスト教イスラム教のそれぞれの

聖地でもあるから大変。三つ巴、三人の母親が一人の赤児を

奪い合っている構図だ。

その「イスラエル」に似た名前の「イスラム国」とは?

語呂は似ているが、綴りは、ISLAM と ISRAEL。

LとRで 意味も全然 異なるらしい。

イスラムは[平和」。イスラエルは「戦う神」だとか。

ところが、争いを起こしているのは「平和」の「イスラム」。

 

第二次大戦後、亡国の民だったユダヤ人たちが、英米の後押しで

パレスチナ人たちが住むエルサレム周辺に移り住んできて

「イスラエル」という国を建国した。これに先住のパレスチナ人が

反発して、領土の奪い合いをしているのがパレスチナ紛争。

ここまでは判る。

そこに、イランとイラクの対立。そしてイスラム教内部での

分裂対立。 民族と、領土と宗教対立がからみあって、もう

訳がわからない。

 

歴史を紐解くと、キリスト以前。『旧訳聖書』の時代にまで遡る。

アダムとエバから何代目かに「アブラハム」という予言者が出た。

アブラハムにはサラという妻がいたが、なかなか子ができなかったため、

エジプト人の女奴隷ハガルを側室に迎え、イシュマエルという子をもうけた。

ところが、正室のサラにもイサクという子が生まれた。それでアブラハムは

正室サラとの子である「イサク」を後継者に決め、側室のハガルと「イシュマエル」

を荒野に追放した。なんという悲劇。その「イシュマエル」の子孫が、

イスラム教を開いた。 それで、イサクの子孫のユダヤ人と、イスラム教を

信ずるアラブ人の対立は、ここから起こった?らしい。

 

そしてそして、このユダヤ人と現在イスラエルに住むユダヤ人は別者なんだとか。

似て非なる民族らしい。

 

 
 

古史古伝に書かれている「五色人」

2019-06-27 19:35:59 | 虚無僧日記
  1. 「古事記、日本書紀、風土記」の他に、「竹内文書」「東日流(つがる)外三郡誌」や

各地の神社に伝わる文献、史料など、「古史古伝」と総称されるものがある。

その量は、何万巻という膨大なものだが、歴史学では、すべて「偽書」として

片付けられている。それにしても、何万巻もの記述をよくも創作したものである。

旧約、新約聖書が神の啓示を受けて書き残されたように、何ものかが、霊的な

教示を得て書き留めたものとしか考えられない。

その中身、古代文字などは、同様のものが、日本各地で同時多発的に発見され

ていることも不思議なのである。

たとえば、「五色人」の話。

『竹内文書』によると、人間の祖は「五色人」。「白人、黒人、黄色人種」のほか、

ネイティブアメリカン系の「赤人」、北欧系の「青人」から成ると。

そして、九州は熊本にある「幣立神宮」には、その「五色神」の面が祀られている。

偶然なのだろうか。

 

 

「五色」といえば、東大寺をはじめ、由緒ある神社仏閣で祭りの時用いる「五色の幟旗」。

天皇即位の儀にも、中央が黄色で左右に赤、青、白、紫(黒)の幕が用いられ。

鯉のぼりの吹流しも五色。黄、赤、白、青、黒の五色。

これみな「五色人」の伝承に基づき、世界融和を表しているものとか。

そうそう、オリンピックのマークも五色の輪。その元は、日本に古代からあったのだ。

 


和邇(ワニ)氏はイスラエル人か

2019-06-27 19:34:27 | 虚無僧日記

和邇(わに)氏は、孝昭天皇の皇子、天足彦国押人命を祖とするが、現在では

その真偽が疑われている。「ワニ」といえば鰐。「因幡の白兎」の伝説でも

登場するが、因幡地方では、今もイルカやフカをワニと呼んでいる。

つまり 「和邇」氏は海を渡ってきた渡来人。海神族(海祇族)で、阿曇

(あずみ)氏とも同族と考えられる。尾張氏とも関係あり、その系図の中には

神宮皇后や、卑弥呼と思しき宇那比媛(うなびひめ)の名も見える。

遣隋使の小野妹子、万葉の歌人柿本人麻呂も和邇氏。他、春日氏など

16もの支族があり、その末流は数知れない。天理、桜井から京都の宇治、

紀伊、諏訪、関東など広範囲に定住して、養蚕、製鉄などの産業を興した。

 

応神天皇以後7代(応神・反正・雄略・仁賢・継体・欽明・敏達)の天皇の

妃が和邇氏の出である。仁徳天皇の後后「八田皇女」も和邇氏。

継体天皇は、最近の説では、武烈天皇で皇統が途絶え、あらたに越前から

迎えられた天皇で、南山城の筒木を都とした。筒木(城)は、仁徳天皇の

前后「磐之媛」が和邇氏の援助で宮を建てて住んだ所である。

そして、難波の都に戻ろうとしない磐之媛に、仁徳天皇が使わした使者は

和邇臣口子(わにのおみくちこ)。磐之媛に使えていた侍女(口比売)の兄。

 

この和邇氏もイスラム系の渡来人ではなかったか。仁徳天皇の前方後円墳の形は、

イスラムの三種の神器「マナの壷」の形に極似している。

仁徳天皇陵