昨年のNHK大河ドラマ「いだてん」は、オリンピックを盛り上げるための企画だったはずだが、視聴率の低迷は東京オリンピックの不開催を予言していたようなものだ。
今年のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」は、「いだてん」よりは高視聴率18%でスタートしたが「衣装が単色で学芸会以下の安っぽい作り」。「役者も小者ばかりで戦国時代の重厚さがない」。織田信長の登場シーンでは「浦島太郎のCMかと思った」という笑いも出るほど。回を重ねるごとに視聴率は急速にダウン。昨年の「いだてん」に次ぐワースト2位だそうだ。
斉藤道三の娘で織田信長に嫁ぐ「帰蝶」役。当初沢尻エリカで収録も終わっていたのに、麻薬問題が発覚して急きょ代役に川口春奈を立てて再収録というドタバタ劇でスタート。
川口春奈なかなかよくやっている。ドラマでは十分存在感を挙げている。
私が心配するのは、信長の正室「帰蝶」については、正史ではほとんど記されていない。名前もわかっていないので、美濃からきた姫で「濃姫」。あるいは翌年には美濃に帰されたので「帰る蝶」で「帰蝶」なんていう説もある?。亡くなった歳も不明。本能寺で信長とともに焼け死んだとか、安土城に居て、明智光春軍に攻められ行へ不明とか、諸説ある。
NHK大河ドラマで明らかになったが、「帰蝶」と「明智光秀・光春」は従妹の関係になる。ならば攻め殺すことはなかったか。
近年になって、愛知県江南市の旧家から「武功夜話」という書物が出てきて、信長の実質的な正室は「生駒氏の吉乃」ということが判ったのです。
実は「濃姫こと帰蝶」には子供ができなかった。信長の子供は男12人、女15人、計27人。すごい子だくさん。そのうち、長男「信忠」、次男「信雄(のぶかつ)」そして徳川家康の長男「信康」に嫁いだ「徳姫」の三人の母は「生駒氏の吉乃」でした。
美濃の斉藤道三の娘「濃姫(帰蝶)」が信長のもとに嫁いできたのは1556年。
その翌年1557年に 「生駒氏の娘吉乃」が信長の長男「信忠」を産み、さらに
翌1558年次男「信雄」を産んでいる。
ということは、信長は濃姫(帰蝶)と結婚する前から、生駒氏の娘吉乃と関係があったということになる。濃姫(帰蝶)の記録は正史の上では全く存在しないこと、そして二人の間に子供ができなかったということは、濃姫はやはり政略結婚の道具で、カタチばかりの夫婦だったのではなかろうか。
というわけで、今後、大河ドラマ「麒麟が来る」では、「吉乃」は出てくるのか。帰蝶との関係をどう描くのか、ハラハラ心配しているのは私だけでしょうか。
ついでながら、「吉乃」という名前も後世の人がつけたもので、正式の名は不明。
生駒前野家 吉乃の墓 「久庵桂昌大禅定尼」と戒名のみ残る
中日(東京)新聞 4/4
世界は広い。マスクは日本人だけの文化だったが、新型コロナウィルス騒ぎで欧米人にも広まった。それでも「マスク禁止」の国があるそうな。
中央アジアのトルクメニスタンは、ベルドイムハメドフ大統領による独裁政治の国。
大統領命令で、国民の不安を抑えるために、「新型コロナウイルス」と口にするだけで逮捕監禁。マスクの着用も禁止とのこと。公式発表では同国の感染者はゼロ。しかし、同国はイランと国境を接しており、感染者がいないはずはないと推測される。
大統領は「薬草を燃やした煙は感染症予防に効く」とし、国民に薬草の利用を薦めているとのこと、中央アジアの「北朝鮮」といわれているらしい。
トルクメニスタンについてネットで検索してみると、「地獄の門」が人気の観光スポット。
メタンガスが吹き出てていて、ガスの拡散を防ぐために火をつけ、ずっと燃え続けているそうな。
カラクム砂漠が国土の85%を占めており、国民のほとんどは南部の山沿いの都市に住んでいて、豊富な石油や天然ガスを埋蔵する。西側でカスピ海に面し、東南がアフガニスタン、西南にイラン、北東をウズベキスタン、北西はカザフスタンと国境を接する。旧ソビエト連邦の構成国であったが、1991年に独立した。永世中立国である。
2015年安倍総理がトルクメニスタンを訪問。民族衣装を身につけ
ロバート・ケネディ元司法長官の孫娘(40)が息子(8歳)とカヌーで海に出て行へ不明のニュース。
またまたである。「不幸な事件続きのケネディ家」「呪われたケネディ一家」を思い出す。
今から50年前の1963年にジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)米大統領が暗殺されてから、一族は数々の不幸に見舞われた。68年には弟のボビーも暗殺され、84年にはボビーの三男デービッド(David Kennedy)さんが薬物の過剰摂取で死亡、四男マイケル(Michael Kennedy)さんも97年に死亡した。
1941年 – ローズマリー・ケネディは知的障害だった。
- 1944年8月12日 – ジョセフ・P・ケネディ・ジュニアは第二次大戦中、飛行機の空中爆発で戦死した。
- 1948年5月13日 – キャスリーン・キャヴェンディッシュ (ジョンの妹)は、飛行機事故によってフランスで死亡した。
- 1956年8月23日 – ケネディとジャクリーヌの娘アラベラは死産だった。
- 1963年8月9日 – パトリック・ブーヴィエ・ケネディ 早産で生まれ、2日後に死亡した。
- 1963年11月22日 – アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディはテキサス州ダラスでリー・ハーヴェイ・オズワルドに暗殺された。
- 1964年6月19日 – アメリカ合衆国上院議員エドワード・ケネディは飛行機事故に遭い、数週間入院した[4][5]。
- 1968年6月6日 – ロバート・ケネディはカリフォルニアでの民主党の大統領予備選挙に勝利した直後、ロサンゼルスでサーハン・ベシャラ・サーハンに暗殺された[4][5][6]。
- 1969年7月18日 – エドワード・ケネディの運転する自動車が橋から転落し、同乗していたマリー・ジョー・コペクニが溺死。
- 1973年8月13日 – ジョセフ・パトリック・ケネディ2世 の運転する自動車が事故に遭い、同乗者の一人パム・ケリーは麻痺の後遺症が残った。
- 1973年11月17日 – エドワード・ケネディ・ジュニアは12歳にして骨腫瘍のため右足の一部を切除された[1][2]。
- 1984年4月25日 – デイヴィッド・ケネディ (en) はフロリダ州パームビーチのホテルの一室で、ペチジンとコカインの過剰摂取により死亡した[。
- 1991年 – ウィリアム・ケネディ・スミス は強姦容疑をかけられ、全ての容疑について無罪となった。
- 1997年12月31日 – マイケル・ルモアーヌ・ケネディ (en) はコロラド州アスペンにてスキー事故で死亡した。
- 1999年7月16日 – ジョン・F・ケネディ・ジュニアは飛行機事故で、妻のキャロリン、義姉と共に死亡した。
- 2011年9月16日 – カラ・ケネディ(en)はスポーツクラブでワークアウト後に心臓麻痺で死亡した[15]。
- 2012年5月16日 – ロバート・ケネディJrの妻メアリー・リチャードソン・ケネディは夫から離婚を求められ、アルコール中毒と薬物乱用に苦しんだのち自殺した[。
- 2019年8月1日 – シアーシャ・ケネディ・ヒル(メアリー・コートニー・ケネディの娘でロバート・ケネディの孫娘にあたる)が薬物過剰摂取で死亡[17]。
「呪われたケネディ一家」を書いて、そうであった、当「牧原家」も呪われた一家であった。
歴史小説家の「柴田錬三郎」の小説『妬心』に当牧原家の初代「牧原直源只右衛門」が登場してくる。
会津藩三代目藩主正容(まさかた)の時、側室を家臣に払い下げるという事件があった。
会津藩三代藩主正容の正室は輿入れ後 2年余で亡くなった。16歳だった。
そこで最初の側室が「お祐」。正容の第一子「お元」を産んだ。女児だった。
その翌年、もう一人の側室「おもん」が男児「正邦」を産んだ。その翌年には「お祐」が男児「正甫」を産んだ。
お世継ぎを巡っての側室同士の確執が始まる。順番から言えば「おもん」が産んだ「正邦」が世継ぎになれるはずだったが、おもんは性格がきつく、正容はおもんを遠ざけ、お祐の方を寵愛した。これに嫉妬した「おもん」は、怒りを露わにし、正容の前で懐剣を抜いて「自害する」と騒ぎたてた。そのことがあって「おもん」は会津に送られ、幽閉される。その「おもん」の子「正邦」は宝永5年(1708)、疱瘡に罹り13歳で夭折した。「おもん」は悲嘆に暮れ、「お祐」に対する憎しみを増していった。「お祐」の産んだ「正甫」が世子となったが、病に臥しがちだった。「これはおもんの怨恨か」との噂もたち、身内の者からの嘆願もあって、「おもん」は17年の幽閉を解かれ、お使番「神尾八之丞」に嫁がされることとなった。しかし、家臣への払い下げという措置に「おもん」はますます反発し、その決定を下したと思われる側用人「杉本源五右衛門」と「牧原只右衛門」を憎んだ。
「おもん」は、屋敷内に祠を造り、毎日その前で手を合わせ呪詛するのが日課となった。柴田錬三郎の小説『妬心』では、「その結果、杉本、牧原の両家は断絶したと」なっている。
柴田錬三郎はこの事件をどこから調べたのだろうか。伯父から聞いた話では、「側室の呪詛によって、牧原家は7代に亘って男児は長生きしない」という言い伝えは、わが家にあったという。私は子供の頃それを聞いて、自分も長生きはできないかという思いがずっとつきまとっていた。しかし、もう7代は過ぎ、伯父も父も80過ぎまで長生きした。
柴田錬三郎の『妬心』は 昭和45年にテレビドラマにもなった。ネットで検索すると出てきた。
1970年(S45)の時代劇シリーズ『徳川おんな絵巻』の第7回。会津藩三代目藩主 正容(まさかた)の時に起きた「拝領妻」事件のドラマ化。登場人物は実名ではなく名前が変えられていて、側室「おもん」は「お葉」に、当家の先祖「牧原只右衛門」は、「只左衛門」と「右、左」を取り替えられていた。
『お妾拝領仕る』(前編) 放送日=1970.11.14
嫁地獄(後編) 1970.11.21
【スタッフ】監督=倉田準二、脚本=野上龍雄
【キャスト】中村玉緒(お綾の方)、天知茂(神尾新八郎)、
中原早苗(お葉の方)、葉山良二(藩主:保科正容)、
安部徹(牧原只左衛門)、杉村春子(語り手)