伊勢新九郎(北条早雲)と 富士の裾野の豪族
葛山氏の娘との間に生まれたのが、北条幻庵。
早雲の三子で、母方の葛山姓を名乗ったことも
あった。
北条家5代に渡って生き、長老として重きを
なした。亡くなったのは、北条家が秀吉によって
滅ぼされる8カ月前だった。
幻庵は、成人するまで京都で育っており、教養
高く、知人も多く、大徳寺との関係も深かった。
また、器用で、馬の鞍や、尺八も作った。それは
「幻庵鞍」、「幻庵切(一節切尺八)」として、
京の公家の間で評判になるほどだった。
『北條五代記』には、北条家が滅ぶ前、「久野に
茶屋ができ、北条家一門や家老衆が、毎日、虚無僧や
修行僧、巡礼姿で、出入りしていた。これは不吉な
ことだ。案の定、しばらくして北条家は滅びた」
というようなことも書かれている。「久野」は
北条幻庵の広大な屋敷があった所。
虚無僧姿で茶会に出ることがなぜ不吉なのだろう。
「虚無僧」には、「世捨て人」「隠遁者」という
イメージがあるからか。
こうして、小田原家中の多くが尺八をたしなんで
いた。北条家滅亡の後、関東には徳川家康が入り、
北条家残党の多くが帰農した。そんな中には、
商売も農業もできず、尺八しか能の無い侍もいた
はずだ。虚無僧が、その「掟書き」の中で「再仕官
するまでの仮の姿」と明記しているところに、
私は、「北条の残党の何人かが虚無僧になった」と
考えている。
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