「さくら、さくら」を歌っていて、「いざや、いざや」って何?
と思いませんか。
国語辞書を引いても載っていませんでした。戦前の歌詞では、「いざやいざや」ではなく「さくらさくら、見にゆかん」でした。
古謡とされながら、「さくらさくら」が教科書に載ったのは、1948年(昭和23年)教育出版社発行の「6年生の教科書」。(私が生まれた年)。
そしてこの教科書には『世界の音楽』となっていて、歌詞はローマ字で記されいたというのです。作詩者は不明。
どうやらGHQの誰かさんが作って、押し付けた。
その人はユダヤ人ではなかったか。
というのは、「さくらさくら」をヘブライ語で歌うと、
意味は
[日本語]、 [ヘブライ語の意味]
さくら さくら 、隠れた 隠れた
やよいの空は 唯一の神 迫害された 耐えて
見わたす限り 死ぬ 犠牲として
かすみか雲か くじ引きにされ 取り上げられて
匂いぞ出ずる 素晴らしい 計画
いざや いざや 神の救い 神の救い
見にゆかん 捧げ物 決める
「いざや」とは、ヘブライ語で「神(ヤハウエ)の救い」
という意味でした。
そこで、連想をたくましくすると、旧約聖書の中に
「イザヤ書」というのがあります。
「イザヤ」は、紀元前8世紀ごろ、北イスラエル王国に
生まれた預言者です。
イスラエル王国の滅亡を予言し、「イスラエルの民は
滅び、流浪の末、東の海の中の島に辿り着く」と。
じゃ~ん。「東の海の中の国」 といえば 「日本」。
イザヤの予言どおり、北イスラエル王国はバビロニア
帝国に滅ぼされ、奴隷にされる。
その後、バビロニアはアッシリア帝国に滅ばされ、
奴隷として捕らえられていたイスラエルの十支族は
東に向かった。十支族はアジアの各地に散ったとされ、
そのうちの幾つかの支族は日本に辿り着いたとされている。
これら支族は陸路或いは海路を使って日本に辿り着いた。
因みに「倭国」の「倭」とは「人に委ねる」ですから
「奴隷」という意味です。
そして、自分達が「イザヤの予言どおりに‘東の海の
島に辿り着いた」ことから、日本人の祖を「イザヤの子」
という意味の「イザナギ」と呼ぶようにした。
「ギ」は男を、「イザナミ」の「ミ」は女を意味する。
彼らイスラエル人は、上陸した地点にヘブライ風の
「幕舎」を建てた。「幕舎」は伊勢神宮などの神社建築
にその姿を残している。神社の構造は鳥居、手水舎、
狛犬など、ヘブライの習慣から来たと思われるものが多い。
「さくらさくら」は、とんでもない日本人のルーツが
秘められた歌だったのです。
だから「さくらさくら」の歌には、日本人は特別な
感慨を持つのでしょう。
ところで、「さくら」の語源は?
字典などでは「咲良ではないか」なんて苦しい説明 を
していますが、上の歌詞の意味からおわかりでしょう。
「さくら」はヘブライ語で「隠れる、騙す」です。
つまり「さくら、さくら・・・見渡すかぎり 霞か雲か」
そう、吉野の山桜は、ボヤッと 霞か雲のようです。
そして、バナナの叩き売り。「はい買った、買った!」
の掛け声に、「買った!」と客の中から声が飛び出す。
つまり客の中に紛れ込んで騙す役も「さくら」という
ではありませんか。
これで納得いきますね。
聖書→イエス→ユダヤ→ヘブライ語→日本語に似てる、さくらの歌ももしや?と思い調べてこちらにたどり着きました(笑)
日本にはヘブライ語の気配が多いですし、青森県にあるキリストの墓も気になっております。春になったら訪ねてみようとおもっています。
ありがとうございました。