北条早雲が定めたという家訓『早雲寺殿21カ条』
というのがある。内容から、私は幻庵が草稿した
と考えている。その条文の中に、
「良き友を求めべきは。手習學文の友也。
惡友をのぞくべきは。碁將棊笛尺八の友也。
是は知らずとも耻にはならず。習てもあしき事には
ならず。但いたづらに光陰を送らむよりはと也。」
解説書では「碁将棋や笛、尺八などは、悪友と交わる
ことになるのでいけない」などと書かれているが、
原文を読めば、逆だ。
「囲碁将棋、笛、尺八は、知らなくとも恥にはならないが、
習っても悪くはない。いたずらに時を過ごすよりはよい。
悪い遊びに誘われるよりは、囲碁将棋、笛、尺八の友と
交わる方が良い」と言っているのだ。
他人の解説を鵜呑みにすると とんでもないことになる。
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この記事は今まで何回か登場した記憶がありますが、誠に無礼ながら、先生の解釈には無理があると思わざるを得ません。
なぜならこの条全体の趣旨は、人の良し悪しは友人によるということを語っているからです。
したがって、良い友と悪い友が対比的に例示されていると解釈するのが普通の読み方ではないでしょうか?
「良い友を求めるのであれば、それは手習い・学問をする友である。悪い友を避けるのであれば、それは囲碁将棋、笛、尺八を行う友である。それらは知らなくても恥ではない。(でも)習って悪いわけでもない。ただし、いたずらに時間を浪費するよりは、という趣旨においてである」というのが私の解釈です。多分それは世間一般の解釈と同じだと思います。
もちろん、尺八を吹く人が本当に悪友なのかどうかと問われれば、そんなことはないというのが、私の考えです。
失礼いたしました。