会津若松市の東「天寧寺」の寺域に「近藤勇」の墓がある。
寺から300m も離れた山の中。50年前、私が初めて訪れた時は、茫々と草木が茂る山の中をさまよっていて偶然に見つけた。その時の記憶では、高さ1mほど。「近藤勇之墓」と書いてあって、大発見に驚喜したものだった。墓の位置も現在の場所とは違った気がする。
それが今や新選組ブームで、一躍脚光を浴び、観光名所として売り出すことに。
一昨年訪れた時は、道も整備され、案内の標識も建てられ、容易にたどり着いた。説明板まで建てられている。
現在は2mもある堂々とした立派な墓で、正面には「貫天院殿純忠誠義大居士」という戒名が彫られている。「松平容保の書」という。
「土方歳三が、勇の首を奪還して、会津まで運び、薩長に攻められた時に、発見されないよう、このような山中に埋めたのだ」とも言われる。
流山で別れて、北関東での官軍との戦いを経て、会津に入った土方に、近藤勇の首、あるいは遺髪だとしても、どうやって入手できたのだろうか。
また、その時点で「薩長に攻められる」ことを予測していたのだろうか。また、会津戦争のさなか、殿様 御自ら揮毫して、墓を建てる余裕などあったのだろうか。
どうも、土方が建てたとしても、当初のものは、もっと素朴な墓石であって、現在の墓石は、最近建てたものではないかと私は勘ぐってしまう。たぶん、首も遺髪も埋まっていないのではないか。(新撰組ファンにはがっかりさせて申し訳ない)
「近藤勇」の首は京都に送られ、三条河原に曝されたが、その日のうちに何者か(一説に会津の小鉄)に持ち去られたとか。また遺体は、「東本願寺法主が受け取り埋葬した」とされるが、こちらも同志により奪還され、愛知県岡崎市の「法蔵寺」に葬られたともいわれ、同寺に「近藤の首塚」がある。
また、東京都三鷹市の「龍源寺」や、処刑場の近く、JR「板橋駅前」にも永倉新八により建立された墓所がある。
さらに、山形県米沢市の「高国寺」にも近藤勇の従兄弟「近藤金太郎」が 首をひそかに持ち帰り 埋葬したとされる墓がある。
まったく、❝首がいくつあっても足りない❞である。
東京都北区 寿徳寺境外墓地 近藤勇と新選組隊士供養塔
東京都三鷹市 龍源寺 近藤勇墓 生家の宮川家と近藤家の菩提寺 実兄の宮川 音五郎とその息子でのちに勇の婿養子となった勇五郎が首のない遺骸を埋葬した という。
岡崎市 法蔵寺 近藤勇首塚 晒されていた首を同士が持ち帰り、近藤が敬慕し ていた称空義天大和尚に埋葬を依頼したという。
会津若松市 天寧寺 近藤勇之墓 晒されていた首を何者かが持ち帰りこの地に 埋めたという。
米沢市 高国寺 近藤家之墓 晒されていた首をいとこの近藤金太郎が持ち去って焼き、自分の菩提寺に埋葬したという。
京都市 壬生寺 近藤勇遺髪塔
荒川区 円通寺 旧幕軍戦死者の供養塔で近藤勇の名も刻まれている。