現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「郡長正自刃」の真相 その1 

2011-10-28 21:51:22 | 会津藩のこと
宇都宮泰長編著『会津少年郡長正自刃の真相』(H15年、
鵬和出版 限定500部)を入手した。

明治4年5月、豊津の育徳館内で、旧会津藩の留学生
「郡(こおり)長正」が、切腹して果てた。16歳。

「切腹」の理由については、狭間祐行の『会津戦争』
(S16年刊)や、笹本寅の『会津士魂』によって、「母親
宛の手紙に『食事がまずい』と、食べ物の不満を書き
綴ったことが、豊津藩の子弟に見つかり、『武士が
食べ物の不平を言うとは』『会津の死に損ない』と
嘲笑されたため」というのが、今まで、信じられて
きた定説だ。

「郡長正」のことは、会津人なら誰でも知っている
話であり、私も、子供の頃から母親に聞かされ、
「食べ物の不平不満は決して言ってはならない」と
教えられてきた。そして上記二冊の本は、私も
中学校の時に何度も読んで、暗記するほどだった。

その本には、豊津高校では、「郡長正」のことを顕彰し、
碑もあると書いてあったので、昨年 訪ねてみたが、
誰も「郡長正なんて知らない」という。碑も無かった。
私は多いに失望したものだった。

たしかに「いじめにあって自殺」したなんて、現代の
子供たちには、教育上も よろしくない話だ。

また、「食べ物のことで不平不満を言った」のが
原因というのも、何か変だと 私も思っていた。

そして、そのことを否定する説が「宇都宮氏」に
よって、明らかにされたのだ。

解明の鍵は、当時 まだ郵便制度が整っておらず、
会津と豊津を結ぶ手紙の往還は難しかった。つまり、
母との「往復手紙」など存在しなかったのだ。

小説家の勝手な創作で、事実が曲げられることに
私は疑問を感じる。「郡長正」は太平洋戦争に
向かって「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」の
倹約、忍耐、そして殉国の精神高揚に利用された
のだ。だが、今の世となっては、長正の「創作話」は、
会津にとっても小笠原家にとっても不名誉な話で
ある。宇都宮氏は、双方の不名誉を晴らしてくれた。

だが、一度定説とされると、真相が明らかにされても、
容易に訂正されない現実に、恐ろしさも感じるのである。

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