新撰組の隊士名鑑を見ていて、新発見。
「葛山(かずらやま)武八郎」
本名は「橘 憲章」。
会津出身、京都一月寺を脱走した元虚無僧ともいわれる。
新選組入隊は文久3(1863)年秋以降であるという。
伍長を務めた。
池田屋騒動の際は土方隊に所属。屋内の戦闘に参加し、
その功で17両の褒賞金を賜った。
元治元(1864)年8月頃、近藤勇の専横に抗議し、永倉新八、
原田左之助、斎藤一、島田魁、尾関雅次郎とともに会津藩へ
建白書を提出した。
会津藩主の仲介で和解したが、「葛山」は近藤勇が江戸に
下向した翌日の9月6日に切腹した。責任を取らされたとも、
近藤への抗議の憤死ともいわれている。
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まず「会津出身」ということでビックリ。
「京都一月寺を脱走した虚無僧」の件は“はてな?”。
一月寺は下総小金(現松戸市)であって、京都というのは誤り。
京都にあった虚無僧寺は「明暗寺」です。京都明暗寺は、
禁門の変では長州藩の残党を匿った罪で、看手は捕らえられています。
新撰組は、文久3年(1863)に組織され、翌元治元年(1864)は、
6月5日に「池田屋事件」。7月19日「禁門の変」で大活躍。
この後、隊士も増強し、新撰組は“同志”から、上下関係の
厳しい“組織”へと体質が変化していく。永倉新八等は、
そのことに不満を感じたのでしょうか。
近藤勇は、永倉や原田、斎藤一、島田魁、尾関政一郎ら
隊設立以来の幹部は慰留し、比較的新参者の「葛山」を
見せしめに処罰したともとれます。
「葛山」姓は、北条幻庵の母方の姓で、その祖は、興国寺の
前身「西方寺」の開祖です。「橘 憲章」は、
その故事を知っていて「葛山」姓に改姓したのでしょうか。
単なる偶然でしょうか。
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