正月元旦の中日新聞コラム「中日春秋」
「一休和尚の狂歌 <餅つかず、しめ飾りせず、松立てず、かかる家にも正月は来つ>」を引き合いにして、「帰省ラッシュもなく、街に賑やかさは無くとも、正月はやってきた」というような内容の記事でした。
コロナ禍で、例年とはすっかり様変わりの正月。全く正月気分もなし。
例年なら元日の早朝からあちこち呼ばれて、大忙しの私でしたが、今年は全部キャンセル。大晦日の晩からずっと布団の中でウダダ ウダダの寝正月でした。
一休の噺なら、こちらが有名
一休さん、堺の町で 正月に髑髏(どくろ)を振りかざしながら
「門松や冥途の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし。ご用心、ご用心」と。
人々は驚き「けったいな、正月だというのに縁起の悪い」と。
一休「なに、これがめでたくないとは? 髑髏は目が出てるから目出たいじゃ。ハハハ」。
そして続けていう「骨になってしまえば皆同じ。男か女かも、やんごとなき姫君か遊女かもわからぬではないか。面(つら)の皮一枚のことで、やれ美人だのブスだのと比べるのはおよしなさい」とも。
一休寺に伝わる「一休が作ったとされる髑髏」
この比較をするなというのも「普化の禅」です。虚無僧は比較をしない。
尺八の上手下手を比べない。ボロもいれば派手な衣装の虚無僧もいる。
善人も悪人もいる。いろいろな虚無僧がいて、すべてを容認する。
それが虚無僧の悟り。明も暗も心の内。
「虚無僧の元祖一休」をテーマに尺八と講演を行ってきましたが、もうその機会もなくなりもうした。