「船頭小唄」は、1921年(大正10年)「枯れすすき」として
野口雨情が作詞、中山晋平が作曲。翌年、詩集「新作小唄」で、
「船頭小唄」と改題されて掲載された。
歌詞「おれは河原の枯れすすき 同じお前も枯れすすき
どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れすすき……」
「こんな暗い歌ヒットしない」と、レコード会社からも
拒絶されたのを、「野口雨情」はどん底ぎりぎりの生活苦
から必死の覚悟で売り込み、1923年(大正12年)中山歌子に
よって吹き込まれた。その直後、関東大震災が起こり、
この歌は大ヒット。
1957年(昭和32年)映画「雨情物語」の主題歌として
森繁久彌が歌い、息の長い流行歌となった。
その後、1974年(昭和49年)作詞:山田孝雄、作曲:むつひろし、
唄「さくらと一郎」で『昭和枯れすすき』がヒット。
歌詞「貧しさに負けた。いいえ 世間に 負けた。この街も
追われた。いっそ、きれいに 死のうか。力の限り
生きたから、未練などないわ。 花さえも咲かぬ 二人は
枯れすすき」
今の私にピッタリの歌詞、毎日鼻歌で歌っている。
「70年安保闘争」の敗北感の中で 生まれたとも言える。
だが、この歌の影響で「自殺者」が増えたという話は
聞かない。