萩の宿で、DVD『長州ファイブ』を観た。幕末に長州藩から英国に
派遣された5人の若者のストーリー。2006年に制作された映画との
ことだが知らなかった。
長州ファイブ(五傑)とは、後に総理大臣になった伊藤博文。外務大臣の
井上聞多(馨)、造幣局長の遠藤謹助、鉄道を敷設した井上勝(野村弥吉)。
造船工学を学び、東京大学工学部の礎を築いた山尾庸三の五人。
過激な攘夷論者だった彼等が、佐久間象山の「まず敵を知れ」の言葉で、
渡航を決意。幕府に見つかれば死罪の世、藩主の黙認のもと、藩から
5千両もの金を借りて密航する。4ヶ月船乗りとしてこきつかわれ、
大変な思いをしてイギリスに渡る。そこで見たものはイギリスの工業力
による繁栄と、街裏にうごめく貧民の姿。
ロンドンで、「長州藩が、外国船を攻撃し、4カ国連合艦隊から攻め
られ、幕府からも征長の兵を向けられる」というニュースを知って、
伊藤利助(後の博文)は急遽帰国し、高杉晋作とともに、和議の談判に
あたる。
それもこれも、保守的な藩の要職の抵抗を斥けて藩主を説得するのは
大変なことだった。内にも外にも敵ばかり。正に内憂外患。
薩摩藩も、藩費で秘かに19人もの留学生を送っていた。薩摩と長州の
留学生がロンドンでおち合う。薩長は禁門の変以来の仇敵だったが、
外国で、より高い見地から友情を深めあう。薩長同盟はひと足先に
ロンドンで芽生えていたのだ。
幕末から明治維新は、薩長土と会桑等幕藩側との藩と藩の戦いと
思っていたが、薩長土の中でも、ごく一部の若い下級武士たちが、
藩内の旧勢力と対決して、明治維新を推し進めたということを
あらためて認識する。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
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私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp
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ことだが知らなかった。
長州ファイブ(五傑)とは、後に総理大臣になった伊藤博文。外務大臣の
井上聞多(馨)、造幣局長の遠藤謹助、鉄道を敷設した井上勝(野村弥吉)。
造船工学を学び、東京大学工学部の礎を築いた山尾庸三の五人。
過激な攘夷論者だった彼等が、佐久間象山の「まず敵を知れ」の言葉で、
渡航を決意。幕府に見つかれば死罪の世、藩主の黙認のもと、藩から
5千両もの金を借りて密航する。4ヶ月船乗りとしてこきつかわれ、
大変な思いをしてイギリスに渡る。そこで見たものはイギリスの工業力
による繁栄と、街裏にうごめく貧民の姿。
ロンドンで、「長州藩が、外国船を攻撃し、4カ国連合艦隊から攻め
られ、幕府からも征長の兵を向けられる」というニュースを知って、
伊藤利助(後の博文)は急遽帰国し、高杉晋作とともに、和議の談判に
あたる。
それもこれも、保守的な藩の要職の抵抗を斥けて藩主を説得するのは
大変なことだった。内にも外にも敵ばかり。正に内憂外患。
薩摩藩も、藩費で秘かに19人もの留学生を送っていた。薩摩と長州の
留学生がロンドンでおち合う。薩長は禁門の変以来の仇敵だったが、
外国で、より高い見地から友情を深めあう。薩長同盟はひと足先に
ロンドンで芽生えていたのだ。
幕末から明治維新は、薩長土と会桑等幕藩側との藩と藩の戦いと
思っていたが、薩長土の中でも、ごく一部の若い下級武士たちが、
藩内の旧勢力と対決して、明治維新を推し進めたということを
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