渡辺 茂夫(1941- 1999年)戦後復興期の日本で活躍したヴァイオリニスト。
天才少年の誕生
1948年7歳で最初のリサイタル。翌年以降毎年1回の定例コンサートを行う。
渡米
1954年(13歳)暁星中学校に進学。東京交響楽団とチャイコフスキーの協奏曲を演奏。来日したヤッシャ・ハイフェッツから「百年に一人の天才」と評される。
1955年渡米、ジュリアード音楽院に無試験入学が許可される。
最後の栄光
1956年(15歳)ニューリンカーンのハイスクールに通学。指揮者アルフレッド・ウォーレンスタインからは、「世界一の演奏家になる」とのお墨付きを得た。ジュリアード音楽院で史上最年少の奨学生に選ばれ、全額支給される。
青春の終わり・悲劇の幕切れ
1957年2月、情緒不安定を訴え精神科に通院。乏しい報酬と心もとない支援金により耐久生活を余儀なくされる。
異国の地で人間嫌いと疎外感がつのるようになり、自殺願望をほのめかすようになり、睡眠薬を大量に服用する。一命はとりとめたものの、脳障害が残り、日本に送還され、その後四十年以上に渡って在宅療養を続けた。