ネットで「普化宗は、東福寺の僧覚心が伝えた」とありますが、
その出所は「広辞苑」でした。
法燈国師覚心は「高野山の僧」で「東福寺の僧」ではありません。
覚心は、東大寺で得度授戒し、高野山で退耕行勇に禅を学び、東福寺の開山聖一国師円爾から渡宋の話を聞いて、宋に行く決心をします。
ですから東福寺の円爾に一時師事したこともあったのでしょうが、
覚心を東福寺の僧とするのは疑問です。
現在、明暗教会が東福寺の塔頭善慧院に置かれていることからの早とちりでしょう。明暗寺が東福寺と関係をもつのは明治になってからです。