ネットで検索していたら、長野市松代にも「山室氏の城、霞城」があることがわかった。
こちらの山室氏は、「天正10年(1582)に織田方の森長可から知行を安堵され、その後、越後の上杉景勝に属した。そして、上杉景勝が会津移封となった時、山室氏も会津に移り、1,050石の知行を得た」という。
会津は、鎌倉時代は三浦一族の「芦名氏」が支配し、伊達正宗に滅ぼされ、秀吉の命で蒲生氏郷がはいり、さらに上杉景勝。
その上杉の家臣にも山室氏がいたことになります。しかも1050石とは大身。
その上杉は、関が原の時、家康に敵対し、改易、山形県の米沢に移封となります。
そして四国松山から加藤嘉明。そして保科と、次々と領主が変わります。
そして、私の母方の山室氏は千葉から高遠を経て会津に来た。
おっと、その前、鎌倉から室町にかけて会津を支配した最初の領主「芦名」氏の家臣にも「山室」姓の者がいたのです。
私が所持している『芦名時代の分限帖(家臣録)』の中に「山室」姓がいるのです。
私の父は86になりますが、過去の事を余り語らない父でしたので、疑問にあたり 私自ら父→曾父→曽祖父までの戸籍を究明、紐解いてみましたところ、曾祖父の出生が千葉県の松戸市の旧水戸街道沿いに屋敷を構え、当時は名主帯刀を許させた家柄であったと言う伝説が残っています。
その以前の山室家に付いて時間があれば、もっと詳しい研究をしたいと思ってはいますが、中々時間が取れず残念な気持ちでいます。 千葉県特に松戸市の山室家の
歴史情報をお持ちでしたら またブログに反映させていただければ、幸いに思います 宜しくお願いします。
祖母やその他の親戚から聞いたのですが、
富山県に山室姓が多いそうです。
祖母がいた村も殆どが山室さんだったとか。
以前、フェイスブックかmixiで「山室」で検索した際、
見た感じ富山出身がちらほらと眼に入ったので、おそらく本当だと思われます。
祖母はもう亡くなったので詳しい話が聞けないのが残念です。
遅いコメントで申し訳ないです。
平家ゆかりで寛正五年(1464)に山室長定が、瑞雲山龍泉寺を開いたとの記録があるそうです。
八王子にはまだ山室が多くいて、甲府にも移ったそうです。東京世田谷にも結構いて、伺ったら「祖父がまだ若いころよく八王子に行ってた」と言っていましたので関係があるかもしれません。
出身地は岡山県で、父親の田舎が岡山県川上郡川上町です。
ものすごい田舎です。
今は、市町村合併して岡山県高梁市川上町になりました。
私の家は、川上町にある中道寺っていうお寺の檀家です。檀家は山室だらけです。
他に岡山県小田郡矢掛町にも山室の姓が多いみたいです。
祖母が生きているときに聞いたのですが、平家の末裔だと言ってました。
私の勝手な推測ですが、源平合戦の壇ノ浦の戦いとなにかしら関係があるのかなって、勝手に思っていました。
参考になればと思い投稿させていただきます。