天保15年(1844)2月21日、岐阜の芥見(あくたみ、現・岐阜市)で甲州乙黒村・明暗寺と遠州浜松宿・普大寺の虚無僧同志が留場(縄張り)を巡って争いを起こした。その結果、死者まで出る大事件となったのである。
この騒動に佐屋宿(愛知県・佐屋町)の吐龍こと定蔵が関与していた。このため村役人同道で江戸の寺社奉行所へ三度まで出頭することになり、文書にはその経過や費用などがすべて記録されている。
この裁判で明らかになった普化宗の実体は
- 仏道に帰依するはずの僧侶が武器を使用して縄張り争いをしていること
- 空き家を押し借りしたり、旅宿に押して止宿したりするなど、強談に及んでいること
- 人別管理に関してはほとんどの虚無僧が無宿であることを押し隠して取り立てられていること
- 百姓に本則を発行し、宗門縁者として組織していること
- さらに無宿・食売女らと交流することはもちろん、医師体になったり、浅草龍光寺門前伝七店で乞胸稼ぎをしたりした者までいること
等であり、これが村々から留場料を収奪していた宗門の現実の姿であった。
鬼頭勝之著 『芥見村虚無僧闘争一件』 MyTown 8,000円
[第一冊] | 天保十五、定蔵事、吐龍御召下江戸行留、辰五月、佐屋宿、源七 | |
[第二冊] | 弘化三、定蔵事、吐龍再応御召下江戸行留、午十一、但御差紙十一月相着、佐屋村控 | |
[第三冊] | 弘化四、三度目吐龍御召下諸願達留、尾州佐屋宿相控、未九月五日御差紙着、同十三日出立願、十二日名古屋迄出 | |
[第四冊] | 無題(裁許文) |