五木寛之の著作に『ステッセルのピアノ』というのがある。
五木寛之は、「ステッセルのピアノ」というのが、日本の各地にあることに疑問をもち、ロシアやフランスのピアノメーカーまで訪ねて、その真相に迫った。
「ステッセルのピアノ」と言い伝えられているものは、石川県の金沢学院をはじめ、水戸、旭川、遠軽、呉と、何箇所かにある。私も以前 テレビで「金沢のピアノが修復され、漆に金蒔絵まで施されて、演奏会が行われた」というニュースと、「旭川の修道院」に保管されていたというピアノを見た。その時、私の親戚の万沢家にも「ステッセルのピアノ」があったので、怪訝に思ったものである。
五木寛之はロシアの史料を丹念に調べて、バルチック艦隊出撃の際、ロシア皇帝より、各艦船の艦長にピアノが贈られていたことが判った。
日本海海戦で勝利した日本は、ロシアの艦船を拿捕して金沢や佐世保、横須賀に曳航してきた。そして、艦長室にあったピアノを戦利品として、ゆかりの人に下賜したのだった。
分捕ったピアノは8台あったが、五木寛之は「横須賀で降ろされた1台が行き先不明」と記している。調査が及ばなかったのであろう。五木氏が「ステッセルのピアノ」について調べているとわかっていれば、教えてあげればよかった。
その一台こそ、酒井勝軍の「東京唱歌学校」に下賜されていたのだ。