現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

徒然草の「宿河原」はどこ?

2015-04-09 21:56:20 | 虚無僧日記

『徒然草』115段「宿河原」本文

 宿河原(しゅくがわら)といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、
 九品の念仏を申しけるに、外より入り来たるぼろぼろの、
「もしこの御中に、いろをし房と申すぼろやおはします」
 と尋ねければ、その中より、「いろをしこゝに候ふ。かく
 のたまふは誰そ」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。
 己れが師、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと
 承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、
 尋ね申すなり」と言ふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはし
 たり。さる事侍りき。こゝにて対面し奉らば、道場を汚し
 侍るべし。前の河原へ参りあはん。あなかしこ、わきざし
 たち、いづ方をもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、
 仏事の妨げに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出で
 あひて、心行くばかりに貫き合ひて、共に死ににけり。


「宿河原」というところで、ボロたちが九品(くほん)の念仏を
している所へ、よそ者のボロがやってきて、このなかに「いろ
をしという者はいるか?」と訊ねたら「わしだが」と名乗り出た
者がいた。いろをし坊が「お前は誰か」と聞くと、その者は
「しら梵字」と名乗り「自分の師が東国でいろおしというボロに
殺されたというので、恨みを果たしにきた」という。

「宿河原」の場所については、大阪、茨木市にも「宿河原」と
いう町があり、南清水町に『徒然草の碑』がある。茨木市では
「西国街道に面したこちらこそ自然」と広報に記している。

神奈川県の高津か、茨木市か議論されているが、「東国で殺され
たというので訪ねてきた」とあるのだから、神奈川県であろう。
また、吉田兼好が東国まで旅し、横浜市金沢に住んでいたことも
近年判ったので、その時聞いた話というのが有力である。

「宿河原」の地名が鎌倉時代からあったことに驚く。

「宿河原は

多摩川の船着場として栄えていたのだろう」と、ご当地の看板には

書かれているが、ネットで「宿」を調べると


「宿=夙」中世・近世にかけて、主に近畿地方に住み、視
された人々。寺社に隷属し、古くは捕吏、清めの仕事をした。
近世では農業に従事する一方、竹籠・箕(み)・土器作りなどを
して行商し、また雑芸能も行なった。夙の者、宿の者。」とある。

「」から芸能が起こった。その源流のようだ。


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