「獅子の時代」は山田太一による創作もの。実際は。
慶応3年(1867)「パリ万国博覧会」に、幕府は、
将軍徳川慶喜の弟である当時14歳の徳川昭武を
名代として総勢33名の使節団をパリに派遣した。
その中に、会津藩から、横山常守(20歳)と
海老名季昌(24歳)の二人が加わっていた。
横山は、若干18歳で会津藩家老となっていた。
一行はエジプトを経由してフランスに向かった。
万博が終わると、二人は使節団と別れ、ロシア、
プロシア(ドイツ)、オランダ、ベルギー、
イギリスと多くの国々を歴訪し、見聞を広めて、
その年の末に帰国した。
年が開けて慶応4年(1868)正月、薩長との間に
戊辰戦争が勃発。海老名は負傷。
横山は白河口の副総督として出陣し、5月、
白河口の戦いで戦死した。海老名はその後
会津若松町長として会津の復興に尽力した。