現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

江戸時代の国交

2009-12-05 18:38:55 | 幕末の留学生
江戸時代は鎖国により、外国との交信は全く途絶えていたと
思われがちだが、ネットで見ると、漂流して外国に渡り、
無事帰国できた者が150人もいたそうな。ジョン万次郎や
音吉、大黒屋光太夫だけではなかったのだ。帰国できず
外国の地で亡くなった者は数知れない。

大黒屋光太夫がロシアに漂流した時、すでに何人もの
日本人が流れついて亡くなっていた。中には、かの地で
結婚し、子をなした人もおり、その子孫で、日本語を
解する人もいた。その者たちから光太夫はロシア語を
学ぶことができた。

大黒屋光太夫は、日本沿岸の地理、航路、海防状況まで、
詳細をロシアに伝え、それと交換条件に帰国の便をは
かってもらえた。

さらに、シーボルトなどは、日本でも公開されていない
江戸城内の地図まで持ち出している。シーボルトが描か
せた日本人の風俗図には、虚無僧まで描かれている。

シーボルトや大黒屋光太夫、ジョン万次郎らによって、
ペリーは日本について詳細な情報を持っていたのだ。
まさに「敵を知り己を知れば」である。

幕府も、漂流者から海外の情報を逐一聴き質し記録して
いた。そして幕末には、遣欧使節団を初め、700人もの
官費留学生を送っていた。その一人が福沢諭吉。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

「日本ブログ村」の投票、お願いします。クリック、クリック!
日記@BlogRanking

私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。