現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

世界最初の「日露辞書」を完成させた「ゴンザ」

2015-04-21 21:37:42 | 虚無僧日記

大黒屋光太夫は、「日本人で最初にロシアを見てきた人」との触れ込みだが、

伊勢白子の船頭・黒屋 光太夫(1751年 - 1828年)が遭難したのは 1782年

アリューシャン列島に漂着し、ロシアの帝都サンクトペテルブルクで 女帝

エカチェリーナ2世に謁見して帰国を願い出、漂流から約9年半後の1792年

帰国した。

光太夫がロシアに流れついた時、そこには、日本語を話せる人がいた。

なんと、彼よりも先に、何人かの日本人が漂流しており、帰国をあきらめ

現地の女性と結婚したりして、その子供等がいたのだ。光太夫もどれだけ

心安かったことか。

その一人が、鹿児島出身の「ゴンザ」。

 

ゴンザは、薩摩藩第5代藩主・島津継豊の命を受けて、若潮丸に乗って

大阪に出帆したのは1728年。乗組員は17名。その時、彼はまだ11歳の少年。
 
船は折悪しく嵐にあい、半年余り太平洋を漂流し、カムチャッカに漂着。

しかし、コサックに襲われ、15人が殺され、生き残ったのはゴンザと、

35歳のソウザの二人だけでした。
 

露日辞典の編纂
 
2年後の1731年、二人はモスクワへ送られ、さらに2年後の1734年、

ベテルブルクでアンナ・ヨアノヴナ女帝に拝謁。

女帝は、ロシア語を流暢にしゃべるゴンザ少年に感銘を受け、科学アカデミーで

ロシア語文法を学ばせ、日本語教師に就かせた。そこで、ゴンザは、

1万数千語もの語彙を集めた『露日語辞典』を執筆。彼は日本に帰れぬまま、

22歳で異国の地に没した。


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1 コメント

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露日辞典 (いぬかい いて)
2017-03-13 11:04:30
タイトルの「日露辞書」は「露日辞書」ですね。ゴンザは「スラヴェノニフォンノコトバント」と訳していますけど。
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