古書店で「被差別民衆に君臨した“頭” 江戸の弾左衛門」という本を
入手した。著者は「なかお けんじ」。大阪教育大学の教授。
「被差別民 “” の発生と、その頭領 弾左衛門」 について、
よくぞ、ここまで調べあげたものと関心する。
その中で、「弾左衛門」の対抗馬として 「車善吉」が出てくる。
「弾左衛門」が、皮革職人の頭領だったのに対して、「車善吉」は、
江戸に流入してくる貧民を保護し、管理する役目を担っていた。
明暦の大火では、10万人が死んだといわれ、その遺体処理に
「車善吉」は 弾左衛門の要請で 5,000人ものを集め、
働かせている。
「車善吉」は、当初浅草鳥越に住み、後、深川に移り、その一帯の
を 統括する“頭” となっている。
「車」といえば、あの「フーテンの寅さん」が 「車 寅次郎」。
そして、これは偶然。 「車善吉」は、「三河・渥美村」の出身と
いうからびっくり仰天。 「渥美清」の芸名も、渥美半島から
つけられたとか。
Wikipedia より
「フーテンの寅」こと 車寅次郎は、父親、車平造が芸者、菊との間に作った子供。
妹「さくら」とは、腹違い。実母の出奔後、父親のもとに引き取られたが、16歳の時に
父親と大ゲンカをして家を飛び出したという設定。 寅さんの家業は テキ屋。
渥美清自身、若い時はテキ屋の手伝いなどしていたそうな。「寅さん役」は、
地でいっとる。