ニーノ・ロータ「太陽がいっぱい」尺八:牧原一路 ピアノ:青山治基
映画「太陽がいっぱい」はフランス、イタリア合作。日本では1965年に公開。
ストーリーは、友人を殺害して、免許証やサインを偽造し、その財産を奪おうとするサスペンス。その犯人役のアランドロンは、美貌と強烈な個性で、イッキに世界の大スターに昇りあがった。
ニーノ・ロータ作曲の主題曲も、甘く切ないメロディで多くのファンをとりこにした。
尺八とピアノで「また君に恋してる」
「また君に恋してる」は 2007年ビリーバンバンの31枚目シングルとして発売。 その後、坂本冬美がカバー曲として発売。ともに焼酎「いいちこ」...
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「また君に恋してる」は 2007年ビリーバンバンの31枚目シングルとして発売。 その後、坂本冬美がカバー曲として発売。ともに焼酎「いいちこ」のCMに使われ、人気が出た。
歌詞「朝露が招く 光を浴びて、はじめてのように ふれる頬・・・・ いつか風が散らした花も 季節めぐり、色をつけるよ、また君に恋してる 今までよりも深く まだ君を好きになれる 心から
私の感想です。 一度離れた心が、また再燃するなんてあり得るの? 「また」そして「まだ」の使い分けが意味深い。
現代の日本の仏教各宗派は、「釈迦」から離れて、ヒンズー教の「輪廻転生」、キリスト教の「天国と地獄」、道教の「霊魂」、そして日本では「神道(山伏の山岳信仰)」など、種々の宗教を取り込んで、創造されてきたものです。戒名も法名も日本だけのもの、お寺さんの銭儲けのためのもの。
同じ「仏教」でありながら、禅宗や密教では「般若心経」を唱えますが、日蓮宗や浄土宗では「般若心経」を嫌います。葬儀の在りかたも違います。おかしいではないですか。
「霊」の存在についても、真言密教では「在る」といい、天台宗や浄土宗では「みな 死ねば“仏”になるのだから、霊が私たちに悪さをすることはありません」と安心させてくれます。禅宗にいたっては「前世も来世もない」と
一蹴します。
魂は永遠不滅で、肉体は滅びても、やがて他に宿り、生まれ変わるという「輪廻転生」説は、古代インドのヒンズゥー教の考えでした。
釈迦(ブッダ)は、この輪廻説について、「自分は 見ていないので判らない」(不説)として、「そのようなことに悩み苦しまないよう、輪廻転生から逃れるための悟り」を説いたのでした。
「自分は見たことがないので知らない」ということは、「輪廻説を容認した」という解釈と、「方便(必要あっての嘘)で認めた」、いや「釈迦は はっきりと否定された」と、三通りの解釈ができます。
釈迦の弟子達は、インドで根強い「転生説」を否定しては仏教を広められず、これを容認する立場をとりました。
その後の仏教会派の多くは「地獄、極楽がある」とする方が、この世での善行を説き、悪行を諌めるのに納得を得られ易いので、「輪廻説」を取り入れてきました。
浄土宗、浄土真宗では「悪人でさえも、阿弥陀様は浄土に迎えてくださる」と、甘い言葉で信徒を増やしました。「釈迦よりも、すべてを許し救ってくださる 阿弥陀如来の方がいい」というのです。
日蓮宗も然り。仏壇に「釈迦像」を祀ることはしません。「お釈迦様」への反逆です。
しかし最近は、“地獄極楽”を信ずる人は稀になってきたので、各宗派の基盤が危うくなってきました。
そして、「釈迦(ブッダ)は、輪廻転生を はっきり否定された」とする「断見派」が台頭してきています。私もその立場です。
とにかく、お釈迦様は、一文字も経典を書き残していません。
ただひたすら歩き、人々と交わって、人々の心の中に仏の心(仏性)を芽生えさせるよう導いたのです。
3万巻とも言われる経典はすべて、五百年も千年も後の人たちの創作です。
そんな経典なんか糞虫と同じ、寺も要らない、まして僧侶の肩書きなんてナンセンス。ひたすら市井に混じり人々に仏性を目覚めさせることこそ、本当の釈迦仏教。
その意味で「虚無僧」は寺も経典も教義もない。唯一尺八の音で仏性を呼び起こす、という点で、釈迦仏教本来の姿なのです。
原始仏教の悟りは「捨てること」「離れること」「止めること」「断つこと」。「超えること」とも言える。
杵屋正邦 尺八独奏曲三部作の内「流露」 尺八演奏:牧原一路
昭和39年(1964)東京オリンピックの年、山本邦山、青木静夫(鈴慕)、横山勝也の三氏が流派の枠を超えて「尺八三本会」を結成。そして「日本音...
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昭和39年(1964)東京オリンピックの年、山本邦山、青木静夫(鈴慕)、横山勝也の三氏が流派の枠を超えて「尺八三本会」を結成。そして「日本音楽集団」が結成され、NHK/FMでは「現代の日本音楽」で、毎週、和楽器を使った創作曲が放送されるようになり、尺八界に革命が起きた。 洋楽系の現代作曲家が和楽器を使った曲を次々作曲するなか、「杵屋正邦」は、尺八界とは畑違いながら、尺八独奏曲「流露」「吟游」「一定」を始め、尺八三重奏「風動(第一、第二、第三、第四」等を次々に作曲し、尺八界に新風を巻き起こした。 「流露」の初演は青木静夫(後に鈴慕を襲名)。その圧倒的パワーに私は度肝を抜かれた。それまでの尺八といえば、フワァーとした腑抜けたような音だった。それが、青木師はまだ20代だったか、新進気鋭。眼光にも古武士の気迫が込められていた。メリ音もff(フォルテシモ)で吹き切る。メリはpp(ピアニシモ)という概念がぶち壊された。 あの時の感動は今もって鮮明に覚えている。それを後世に伝えたくて、少し強めに吹いてみました。 杵屋正邦の解説 人間の真情を一管の尺八に託して歌い上げようとした作品です。古典本曲に対すると同じような心組で書いた部分が多いので、リズミカルなところ以外は楽譜の拍子割りにあまりこだわらず、充分、且つ慎重に吹き切ってください。音高が不安定にならないよう、律への注意も大切です。
杵屋正邦作曲 尺八独奏曲三部作の内「吟游」
昭和39年(1964)東京オリンピックの年、山本邦山、青木静夫(鈴慕)、横山勝也の三氏が流派の枠を超えて「尺八三本会」を結成。そして「日本音...
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昭和39年(1964)東京オリンピックの年、山本邦山、青木静夫(鈴慕)、横山勝也の三氏が流派の枠を超えて「尺八三本会」を結成。そして「日本音楽集団」が結成され、NHK/FMでは「現代の日本音楽」で、毎週、和楽器を使った創作曲が放送されるようになり、尺八界に革命が起きた。 洋楽系の現代作曲家が和楽器を使った曲を次々作曲するなか、「杵屋正邦」は、尺八界とは畑違いながら、尺八独奏曲「流露」「吟游」「一定」を始め、尺八三重奏「風動(第一、第二、第三、第四」等を次々に作曲し、尺八界に新風を巻き起こした。 「尺八三本会」の公演では、毎回新たな試みをもった曲が発表された。「吟游」の初演も青木静夫(後に鈴慕)だった。私は客席の最前列、中央で、舞台にかぶりつきでこれを聞いた。 出だしの「チーロー、チーロー」にまず驚いた。尺八は吹き始めにアタリを付ける。「レチー」と。そのアタリが全くない。そして「チー」4拍まっすぐに伸ばす。尺八家は大方すぐ揺らしたりする。それが全くない。これは尺八家にとっては至難の技。それは新鮮だった。そのあとで腰を抜かさんばかりの重音がビリビリびりーと鳴り響いた。 実は昭和20年代だったか、上田流の始祖「上田佳山((芳憧)師」が「尺八で一度に二つの音が出せたら5万円の懸賞金を出す」と会報に乗せていた。当時の5万円は50万円以上か。誰がどうやっても二つの音を出すのはできないと思い込んでいた。それを、青木師はやってのけたのだ。 演奏会が終わって、学生三曲連盟の面々が喫茶店に集まり、重音の話題でもちきりだった。 そしてある人が云った。「第2孔だけを開けて出すんだ。次は3孔だけ開けて出す」と。そしてその日のうちに、私も含めて、その場に居合わせた何人かは重音をマスターしてしまった。 私の学生時代は、尺八の進化とともに歩んできた。あの感動を今に残すべく、50年経っての挑戦です。
牧原一路独奏 杵屋正邦1970年作曲「一定(いちじょう)」
楽譜に書かれた杵屋正邦氏の解説 或る日の、悦びから悲しみへと急転した二つの出来事を契機として、改めて人生への問いかけを続けているうちに、それ...
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楽譜に書かれた杵屋正邦氏の解説 或る日の、悦びから悲しみへと急転した二つの出来事を契機として、改めて人生への問いかけを続けているうちに、それに対する一種の解答のような形で少しずつまとめ上げられていったものがこの作品「一定」です。 拍節にあまり拘泥しない自由リズム風な奏法が望ましく、また、強弱の幅も極端なくらい広く扱われることを期待しています。 昭和39年(1964)東京オリンピックの年、山本邦山、青木静夫(鈴慕)、横山勝也の三氏が流派の枠を超えて「尺八三本会」を結成。そして「日本音楽集団」が結成され、NHK/FMでは「現代の日本音楽」で、毎週、和楽器を使った創作曲が放送されるようになり、尺八界に革命が起きた。 洋楽系の現代作曲家が和楽器を使った曲を次々作曲するなか、「杵屋正邦」は、尺八界とは畑違いながら、尺八独奏曲「流露」「吟游」「一定」を始め、尺八三重奏「風動(第一、第二、第三、第四」等を次々に作曲し、尺八界に新風を巻き起こした。 それまで、尺八の独奏曲といえば、都山流本曲。琴古流では「鹿の遠音」ぐらいしか舞台では演奏されなかった。明暗の曲など、まず舞台で演奏されることは無かった。 尺八家ではない「杵屋正邦」師の作曲は、フルートのようにドレミファソラシドの7音階。それでいて日本的な味をより強く引き出してみせた。 尺八家にとってはメリ音でも前後同じレベルの音量を要求され、さらにはff(フォルテシモ=強く)も求められる。 「一定」の初演は山本邦山師だったか。(後に青木鈴慕師も演奏されたと記憶している)。山本邦山師は、ヨーロッパのジャズ?コンサートでこの曲を吹き、スタンディングオペレーションの拍手が鳴りやまず、三度、アンコール演奏をしたとか。尺八が世界に輝いた瞬間だった。 「杵屋正邦?」長唄のお師匠さん? まだそんな風に言われる時代だった。杵屋正邦は「私は三味線弾きではありません。音楽家です」と。 吉崎清富氏が『杵屋正邦における邦楽の解体と再構築』を著している。
こむそう部屋⑱ 1月12日 一休、乞食から教えられる
「乞食(こじき)」は放送禁止用語ですが、ここでは、仏教の「乞食(こつじき)」という意味で使わせていただきます。日本(仏教)では、「乞食も聖(...
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「乞食(こじき)」は放送禁止用語ですが、ここでは、仏教の「乞食(こつじき)」という意味で使わせていただきます。日本(仏教)では、「乞食も聖(ひじり)」とあがめ、施しをすることで徳積になるという考えがありました。 一休さん、ある時、町で乞食を見かけた。裸なので「寒かろう」と衣を脱いで乞食に差し出すと、乞食は喜ぶどころか、「ありがとう」とも言わない。一休は「人から施しを受けて、ありがとうの一つも言えんのか」というと、乞食は「フン、お前さんは、その衣をワシにくれて、満足しているんだろう」と。その言葉に一休は、「そうか」と悟ります。すると乞食は忽然と消えてしまった。乞食が教えてくれたのは、人は他に施しをすることで“満足”を得る。徳を積む。虚無僧は、徳積をさせてあげる存在まのです。布施する方が「ありがとうございます」と云うのです。そういう文化が古来、日本にあった。