名鉄犬山ホテル向かいの有楽(うらく)苑の中にある茶室。
これが、国宝三名席のひとつ「如庵」です。
13日~16日まで一般公開されるというので、行って来ました。
織田信長の弟の織田有楽
(剃髪して有楽斎如庵と号した)によって造られた。
如庵は彼のクリスチャンネーム
「Joan」または「Johan」から付けられたと。
東京の有楽(ゆうらく)町という地名にも残されている。
有楽は利休七哲(利休の高弟七人を指す呼称)の一人。
有楽は京都の建仁寺塔頭正伝院を再建して隠居し、
「如庵」はそこに造られた茶室。
廃仏毀釈で祇園町の有志に払い下げられ、
明治41年(1908年)に東京の三井邸に移築され、
昭和11年(1936年)に重要文化財(当時の国宝)に、
昭和13年には大磯の別邸に移築された。
昭和47年(1972年)に現在の場所に移築された。
やっと、出生の地、尾張に安住の地を得たというわけ。
国宝指定は昭和26年(1951年)、私の生まれる前。
岩栖門(有楽苑正面の門)
旧正伝院書院と樹の陰に如庵
如庵
含翠門。向こうに見えるのが書院。
如庵の見取り図
壁の下の腰張りには古暦がはられ、
如庵は「暦の席」「暦張席」ともいわれている。
床脇に鱗板(三角の板)を入れ斜めの壁面「筋違いの囲」にし、
部屋を広く見せる工夫がしてある。
このことから、「筋違いの数奇屋」ともいわれている。
有楽窓は外側から竹が詰め打ちされ、
外の景色を目隠しする役目
(建仁寺にあったときには外にお墓があったのではとガイドさん)や、
障子に映る陰影の効果も意図されている。
茶室脇に造られた客が出入りする躙口(にじりぐち)は、
入るとひとめ見て、茶室が見渡せるようになっている。
以上の他にも独創的な工夫が数多く見られるそうです。
お茶の心得がない私は、感心しきりでした。
狩野山雪や常信、鶴沢探山(狩野探幽の弟子)、
長谷川等伯が画いた襖絵を見て(普段は違う襖が据えられている)、
四季折々、有楽苑内で催される茶会のために
昭和61年に建てられた「弘庵」で、
2万幾らかする犬山焼きの茶碗でお抹茶をいただいて、
日常とはかけ離れた優雅なひと時を過ごしました。