おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

チャリティーコンサート

2011年05月22日 | Weblog

午前8時の気温は、プラス15度。曇り空ですが、温かな朝でござる。ではありますが、どうにもこうにも、布団から出られず、起床は7時近くになっておりました。ここ数日のおぢ、少しお疲れなのでござる。

昨日夜は、お近くの樺山小学校で、震災チャリティーコンサートがあるというので、ハニーさんといってまいりましたです。出演しておったのは、札幌の素人バンド「スタディー小山&ゆかいな仲間たち」と、エリモ町を中心としたメンバーでつくる浜田省吾のコピーバンド「CHI-BOH KING BAND」。

いやはや、なんとも楽しかったです。小さな学校の体育館での演奏会というのも良かった。「スタディー小山…」は、学校の先生たちのバンドでござろうか。商売柄か、語りも楽しい。

一方、チーボーキングバンドは玄人はだし。8人編成の年期の入ったハマショーのコピー。おぢもハニーさんも、ハマショーの曲はよくわからんけれど、熱の入った演奏、楽ませていただきましたです。いがったねぇ。

さて、発送電分離が、かまびすしいことになってます。今朝のフジテレビ「報道2001」でも扱っておりました。ま、フジテレビは、当たり前だけど、大スポンサーさまの東電に抗うわけもなく、「慎重に…」ってスタンスじゃ。ようは東電からの広告費、金でござる。

客観的な報道でもしておるようないい方してもらっては、困りまする。「報道2001」は、単なる東電の「提灯持ち」に過ぎないね。出ておる議員もいわゆる「慎重派」は、「東電の毒まんじゅう」食らっておるってこと。しょうもない「報道」番組なのじゃ。

 過日のカン総理による浜岡原発の停止も、「単なる政治的パフォーマンス」と批判する声も、世間にはあるらしい。バカを言ってはいけませんです。おバカ総理による政治パフォーマンスであったとしても、活断層の上にある腐れ原発を止めるのは、どう逆立ちしても正しいことになっておる。

浜岡原発停止は、単なるパフォーマンスだからダメだという方は、もし、ここであすにでも大地震が起きて、東海地方から首都圏にかけてが、放射能汚染で機能停止したら、どう責任取ってくれるのか。責任の取りようもござりません。ここは、どもこもならん総理だけれど、浜岡原発の停止だけは、評価しないとしょうがない。

で、話は発送電分離だけれど、今後のエネルギー問題を考える上でも、これは必須でござる。発電と送電を分離すれば、各家庭で発電して、送電会社に売るのも容易じゃ。電気料金も安くなりまする。今回の原発事故で、発電の一極集中が、どんだけ問題を大きくするかも、よーくわかりましたです。

ここで登場するのが、スマートグリッド(次世代送電網)じゃ。これ、新エネルギー導入のキモでござる。例えば、太陽光や風力などの発電は、発電量が天候に左右されて、不安定でござる。

更に、電力需要が少ない時に、家庭などでの発電で、供給量が増加してまうと、配電線に大量の電力が送られ、負荷をかける。そこで、需要と供給のバランスを調整するといった「安定化策」が不可欠になる。

ということで、大型の蓄電池を家庭に設置して電力を貯めておく。電気自動車を蓄電池としての代替する。コ・ジェネレーションやガスエンジンといった機器を電力源としての利用する。などなど、他の設備に余剰分の電力を溜めたり、使ったり、余った電力を売ったり、という方法がある

つまりは、再生可能エネルギーの導入のために推進されるべきなのが、我がニッポンのスマートグリッド。これを実施するには、発送電の分離が必要というわけでござる。これをしないで、ニッポンの明日のエネルギー開発などありえませぬ。

「分離に慎重」など言う輩は、単なる「電力会社の回し者」。毒まんじゅうを食らっただけ。発送電分離では、「停電が心配」「電力の安定供給」というのも、アメリカの大停電の事例があるからだけど、これも発送電分離は、どうしてもしたくない電力各社の「決まり文句」でござる。

アンポンタンのカン総理ではありますが、ここはもう散り際。「原発から自然エネルギーへの段階的転換」とか「発送電の分離」「クリーンエネルギーへの予算、補助金の大幅増」とか、「言い切れば」褒めてやるけどねぇ、ムリだわなぁ、あんたには…