おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

ああ小野田さん!!

2014年01月18日 | Weblog

 

午前6時の気温はマイナス17度。雪は降っておりません。曇り空です。

気温がきのうより3度ほど高く、寒さもいくぶんましでござる。

「目くそ鼻くそ」のレベルですけどね。

きのうは、当ブログを書いてから、いそいそとスキー場へ行きましたです。今シーズン初となるニセコアンヌプリのピークを目指すためでござった。

天候はあっちもこっちも雲一つないドピーカン!! でもって、これからハイク!! と思ったところで仕事の電話でござった。

そのまま1本滑って、シクシク泣きながら家に帰りました。

雪はウインドクラストしておって、そんなにふあふあではありませんでしたけどね。

ピークからの雪はどうだったのか判りません。残念無念のスキー日和でござった。

でもって、仕事をそそくさと終えてしまって、午後からは今度は一心不乱に除雪をいたしましたです。

なにせご当地の積雪、なんと平年の1.5倍だそうな。12月の雪不足はどこヘやら。

もうたっぷりに過ぎておりまする。

その除雪も、溜まりに溜まったデッキの雪と、屋根から落ちた軒下の雪を処理したら、もう夕方でござった。

薪小屋の屋根雪と、物置小屋の屋根雪、どっちもこんもり残っておるのです。

やる気になれば、あと4時間ほどで終わりますけど、問題はそのやる気。

きのうみたいな好天にでも恵まれないと、なかなか腰が重いことになっておるのです。

元来がぐーたらな性格ですからねぇ。

とはいえ、天気がよくなれば、スキーにも行きたいわけなので、痛し痒しじゃ。

人生、なかなかままならないことになっておるのです。

ところで、

フィリピンのルバング島で、戦争終了後も29年間にわたって島に潜伏し、一人でゲリラ戦をしておった小野田寛郎さんが91歳で亡くなったそうな。

陸軍中野学校でゲリラ戦や情報戦を学んだ将校で、米軍が撒いた終戦のビラを信じず、延々とジャングルの中で戦っていた方なのです。

かつての上司が現地に出向き、作戦命令を解除するまで、ジャングル生活していたという、とんでもないお方でした。

ボロボロの軍服を着て、ニッポンに戻ったときのあの凛とした姿は忘れられません。

知に長け、武に長けた優秀なニッポンの軍人さんだったのです。

戦争が終わっていたのに、なんのため、だれのため、それから先29年間もジャングルにいたのか、暗澹たる気持ちにもなりましたね。

帰国してからは、ブラジルで牧場経営をしておりましたが、金属バットで両親を殺した事件をきっかけに日本に戻り、自然塾なんかしておりました。

こうした若者たちを育てる活動も、おぢの琴線に触れるものでした。

あの戦争で、何一つ手を汚さず、戦後ものうのうと生き残った旧日本軍の官僚さまには、小野田さんの爪の垢でも飲んでいただきたい。

 大量の餓死者を出して、世界最悪の作戦ともいわれる「インパール作戦」を指導した愚将・牟田口廉也みたいに、戦後もぬくぬくと生き続け、あろうことか参議院議員までしていたクズもいた。

日本軍の死者230万人の半数以上が餓死という、世界に例を見ないデタラメ作戦をした旧日本軍の官僚とは、全く違うのが小野田さん、まさに武士でござった。

合掌!!