午前6時の気温はマイナス17度。雪は降っておりません。曇り空です。
気温がきのうより3度ほど高く、寒さもいくぶんましでござる。
「目くそ鼻くそ」のレベルですけどね。
きのうは、当ブログを書いてから、いそいそとスキー場へ行きましたです。今シーズン初となるニセコアンヌプリのピークを目指すためでござった。
天候はあっちもこっちも雲一つないドピーカン!! でもって、これからハイク!! と思ったところで仕事の電話でござった。
そのまま1本滑って、シクシク泣きながら家に帰りました。
雪はウインドクラストしておって、そんなにふあふあではありませんでしたけどね。
ピークからの雪はどうだったのか判りません。残念無念のスキー日和でござった。
でもって、仕事をそそくさと終えてしまって、午後からは今度は一心不乱に除雪をいたしましたです。
なにせご当地の積雪、なんと平年の1.5倍だそうな。12月の雪不足はどこヘやら。
もうたっぷりに過ぎておりまする。
その除雪も、溜まりに溜まったデッキの雪と、屋根から落ちた軒下の雪を処理したら、もう夕方でござった。
薪小屋の屋根雪と、物置小屋の屋根雪、どっちもこんもり残っておるのです。
やる気になれば、あと4時間ほどで終わりますけど、問題はそのやる気。
きのうみたいな好天にでも恵まれないと、なかなか腰が重いことになっておるのです。
元来がぐーたらな性格ですからねぇ。
とはいえ、天気がよくなれば、スキーにも行きたいわけなので、痛し痒しじゃ。
人生、なかなかままならないことになっておるのです。
ところで、
フィリピンのルバング島で、戦争終了後も29年間にわたって島に潜伏し、一人でゲリラ戦をしておった小野田寛郎さんが91歳で亡くなったそうな。
陸軍中野学校でゲリラ戦や情報戦を学んだ将校で、米軍が撒いた終戦のビラを信じず、延々とジャングルの中で戦っていた方なのです。
かつての上司が現地に出向き、作戦命令を解除するまで、ジャングル生活していたという、とんでもないお方でした。
ボロボロの軍服を着て、ニッポンに戻ったときのあの凛とした姿は忘れられません。
知に長け、武に長けた優秀なニッポンの軍人さんだったのです。
戦争が終わっていたのに、なんのため、だれのため、それから先29年間もジャングルにいたのか、暗澹たる気持ちにもなりましたね。
帰国してからは、ブラジルで牧場経営をしておりましたが、金属バットで両親を殺した事件をきっかけに日本に戻り、自然塾なんかしておりました。
こうした若者たちを育てる活動も、おぢの琴線に触れるものでした。
あの戦争で、何一つ手を汚さず、戦後ものうのうと生き残った旧日本軍の官僚さまには、小野田さんの爪の垢でも飲んでいただきたい。
大量の餓死者を出して、世界最悪の作戦ともいわれる「インパール作戦」を指導した愚将・牟田口廉也みたいに、戦後もぬくぬくと生き続け、あろうことか参議院議員までしていたクズもいた。
日本軍の死者230万人の半数以上が餓死という、世界に例を見ないデタラメ作戦をした旧日本軍の官僚とは、全く違うのが小野田さん、まさに武士でござった。
合掌!!