おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

誇りは「1発の銃弾も撃たず、撃たせなかった」こと

2014年08月31日 | Weblog

 

午前7時の気温はプラス10度。

パソコンの前に座って空を見渡すと、あっちもこっちも見事に晴れております。

風もなく、穏やかですが、8月も今日で終わり。

どんな一日になるのでしょう?

きのうは、仕事に明け暮れたおぢですが、夕方にはすっかり決着がついて、ホッといたしました。

そんなことで、夜はビールや焼酎をウダウダいただきながら、8月10日放送のNHKスペシャル「60年目の自衛隊 現場からの報告」を観ましたです。

「集団的自衛権行使容認への賛否は聞かない」条件で行われた幹部候補生へのインタビューでは、「幹部候補生らしい自覚をしておるのだなぁ」と、その発言に感じ入りました。

「任務が大きく変わってくる」「もしかしたらということを考えなければならない」と言葉の端端に緊張感が漂います。

戦後日本の安全保障政策は大きな転換点を迎えたと、皆さんしっかり自覚しておるのです。

おぢが感激したのは、自衛隊幹部に貫かれておる以下の精神でござる。

「大いなる精神は、静かに忍耐する」であり、「最も実力を持つ者は、最も謙虚でなければならない」という言葉でござる。

PKOによる海外派遣で、「力に頼らない国際貢献を行なってきた」自衛隊は、現地から厚い信頼を持って受け止められておるというのを知り、ニッポン人としてたいした誇らしくも思いました。

「現地の目線に立つ自衛隊」の姿勢は、米軍、米兵とはどうやら大きく違うのです。

これは大戦後、ニッポン国内で国民の信頼を勝ち得ようと、自衛隊が行ってきた様々な活動の延長線上にあるものだと思いましたね。

災害派遣や災害救助などで培ってきたものなのでしょう。

「1発の銃弾も撃たず、撃たせなかった」ことが誇りだという現在の自衛隊におぢは感激いたしました。

すっかり「公僕」としての精神を無くしておるかに見える官僚トップから役場職員に至るまで、他の公務員のみなさん必見の放送でござった。

いざという時は自分たちの命を懸ける、「究極の公僕」である自衛隊員と幹部の皆さんは、戦前の旧日本軍とは決定的に違うのだとおぢは感じ入ったのでござる。

現地の目線に立ち、実力を持ちながら謙虚であり、静かに忍耐する自衛隊が、この先も1発の銃弾も撃たず、撃たせず、任務を全うできるよう願うばかりでござった。

300万人以上ものニッポン人を犠牲にした旧日本軍のデタラメを総括し、60年間にわたって培ってきた「自衛隊精神」は、世界に誇るべきもの、と思いました。