午前6時の気温はプラス15度。涼しい、曇り空の朝でござる。
昨夜は旧友Tと19歳になる娘がやって来たので、我が家の特製ギョーザと採れ採れのトウキビ、真狩村の義母が蒸してつくった極上の赤飯で歓迎いたしました。
そんなことで、すっかり呑み疲れでござる。
昨夜は恒例、ズンバも行けずじまい。来週もダメみたいで、あれこれ行事が立て込んで、体調管理がママならない盛夏なのでござる。
さて、
「靖国神社は、いわゆる『A級戦犯』が分祀されない限り、国家を代表する政治権力者は公式参拝すべきではない」。
こうのたまったのは、社民党党首でも共産党党首でもございません。
右寄りの象徴ともいえる、読売新聞の主筆で会長の渡邉恒雄さんが文藝春秋9月特別号「安倍首相に伝えたい『わが体験的靖国論』」で述べておる。
理由は全くごもっともな次のことによる。
「ここに祀られるのは官軍だけで賊軍は祀られないとの趣旨で、西郷隆盛や戊辰戦争の賊軍とされた諸藩の戦没者は祀られなかった」
会津藩や新撰組、彰義隊は「賊軍」だという理由で祀られていないのだ。
ただし「会津の松平藩の一部は戦没者として合祀されている」というのを今回初めて知りました。
おぢの知る限り、アメリカの国立墓地である「アーリントン墓地」には、南北戦争で戦った南軍北軍両兵士とも祀られております。
南北戦争、内戦ではありますが双方とも国のために戦ったわけで、国立墓地で両方を祀るというのは当たり前田のクラッカーじゃ。
翻って我がニッポンの靖国神社、政府軍と戦ったいわゆる賊軍を祀っておらんのですよ、変ではないかね?
ナベツネはこうもいう。
「靖国神社は合祀の基準が、このようにあいまいで混乱しており、近代的宗教施設でも歴史的合理性を持つ追悼施設ではない」とは、上記の理由からまことにごもっともでござる。
また、
「A級戦犯の合祀に関しては、松平宮司(靖国神社宮司)の先代の5代・筑波藤麿宮司は『B、C級戦犯は被害者なのでまつるが、A級は戦争責任者』2006年7月20日付日経新聞)といって合祀をためらっていたにもかかわず、松平宮司がほぼ強引にA級戦犯を合祀した。靖国問題が政治問題化し、国際的に拡大する原因になった。ただ、A級戦犯の合祀は、なぜか公表されず、1979年に報道されるまで表沙汰にならなかった」としておる。
そう、A級戦犯の合祀は松平宮司という、旧軍人で自衛隊出身、しかも神職資格もなかった人が、ほぼ独断でA級戦犯を合祀しておる。
合祀の経緯、ムチャクチャでござる。
A級戦犯が合祀されて以降、昭和天皇は靖国参拝を中止しておる。
天皇家はこれ以降、だれも靖国参拝をしていないのです。
面白い逸話がありました。
「中曽根首相は腹心の瀬島龍三氏に頼み、A級戦犯遺族を歴訪し、自発的に分祀を認めるよう説得し、ほぼ分祀に合意ができた。だが最後に東条英機の遺族の猛反対で、瀬島の説得は失敗に終わった」という。
そして中曽根は日中関係に配慮して公式参拝を中止したのだそうな。
ナベツネはこうも言う。
「靖国神社が、昭和戦争(太平洋戦争)を聖戦だとし、そこで散った、すなわち聖戦に貢献した英霊を祀る神社であるという認識は歴史認識上、妥当なものとは思えない。なぜかといえば、あの戦争が、満州進出以後、盧溝橋事件に始まる軍部の無謀な戦争拡大によって大戦争になり、何百万という犠牲者を出した事実は否定できないからだ」とも述べておる。
ニッポン国民は、こと靖国参拝問題に関し、よく知らないままに賛成だ、反対だと言っておるのではないだろか。
いい歳をして読売新聞をいまだ牛耳る怪しいじいさんと思っておりましたナベツネさんですが、こと靖国問題に関しては至極まっとうでござる。
作家野坂昭如さんではないけれど「右も左もぶっ飛ばせ!」と思うおぢ、こと靖国問題についてはナベツネと完全一致しております。
今月号の文藝春秋、「これだけは知っておきたい戦争の真実」はネトウヨから左翼まで必読と思います。
おぢ世代は「戦争を知らない子どもたち」と言われました。
しかし、戦争から復員してきた大人の話も聞いたし、それなりの「事実」も知っておる。
とはいえ敗戦から間もなく70年、歴史は風化してきております。
国民こぞって、しっかり「戦争の真実」を知っておくことが今後のニッポンの行方を決めるうえでも大切と思う、8月14日の朝なのでござる。
写真は我が家で咲き誇るユリの花、その蜜を吸いに来たのでしょうキレイなアゲハチョウじゃ。