先週、炭焼きの話を少し書かせて頂いたところ、偶然この炭窯(すみがま)で、木炭作りの準備が始まりました。丁度良い機会なので、先週に続いて、もう少し深めておくとしましょう。
今のようにクルマもなく、道も整備されていなかった昭和の中頃まで、炭焼きをするには、木を切り出す山の近くに小屋を造り、夫婦(時には子ども連れ)で生活をしながら炭窯を石と粘土で造ることから始めたそうです。
交通手段の発達した現代では、山奥で木材を伐って、自宅の庭の片隅などにある窯までクルマで運び炭に焼きます。自分の炭窯を持たない人は、親類縁者から借りて焼かせてもらいます。
木炭の材料にする原木を「炭木(すみき)」と言いますが、2尺5寸(75センチ程)の長さで切り、その丸太を高さ3尺(90センチ程)、横6尺(180センチ程)に積み上げた単位を「たな」と言い、「ひとったな」「ふたったな」「みったな」・・・と数えます。これは、昔も今も変わりません。
写真の炭窯の前に用意された炭木は、樹種がマテバシイ(ブナ科)で、元町で切り出されたものです。分量は「ひとたな半弱」くらい。この窯は小さいので、これで一杯になるそうです。マテバシイは比較的堅い木なのでチェーンソーで伐採するのも、ひと苦労です。椿ほどではありませんが、出来る炭も堅くて良い炭です。
今は出来た木炭を品名の印刷された紙袋に詰めて出荷していますが、昔は包装材料も手作りされていました。野萱(かや:ススキの類)で編んだ炭俵(すみだわら)に詰め、1俵(ぴょう)の重さは4貫目(15キロ)でした。山中では、1窯で80~100俵が焼けるほどの大きな窯が造られ、そこで出来た炭を山から運ぶのは馬でした。1頭が6俵~8俵(90~120キロ)を背負いました!
登山道など、山道を歩くと、所々で円形の石積みを目にすることがあります。石は苔むし、オニヤブソテツなどのシダ類が生えたり、もうすっかり太い樹木が生い茂っている石垣もあります。これが昔の炭窯跡で、大島の自然文化遺産のひとつです。山歩きの途中で石積みを見かけたら、炭焼きの様子を想像しながら観察してみて下さい。
(なるせ)
今のようにクルマもなく、道も整備されていなかった昭和の中頃まで、炭焼きをするには、木を切り出す山の近くに小屋を造り、夫婦(時には子ども連れ)で生活をしながら炭窯を石と粘土で造ることから始めたそうです。
交通手段の発達した現代では、山奥で木材を伐って、自宅の庭の片隅などにある窯までクルマで運び炭に焼きます。自分の炭窯を持たない人は、親類縁者から借りて焼かせてもらいます。
木炭の材料にする原木を「炭木(すみき)」と言いますが、2尺5寸(75センチ程)の長さで切り、その丸太を高さ3尺(90センチ程)、横6尺(180センチ程)に積み上げた単位を「たな」と言い、「ひとったな」「ふたったな」「みったな」・・・と数えます。これは、昔も今も変わりません。
写真の炭窯の前に用意された炭木は、樹種がマテバシイ(ブナ科)で、元町で切り出されたものです。分量は「ひとたな半弱」くらい。この窯は小さいので、これで一杯になるそうです。マテバシイは比較的堅い木なのでチェーンソーで伐採するのも、ひと苦労です。椿ほどではありませんが、出来る炭も堅くて良い炭です。
今は出来た木炭を品名の印刷された紙袋に詰めて出荷していますが、昔は包装材料も手作りされていました。野萱(かや:ススキの類)で編んだ炭俵(すみだわら)に詰め、1俵(ぴょう)の重さは4貫目(15キロ)でした。山中では、1窯で80~100俵が焼けるほどの大きな窯が造られ、そこで出来た炭を山から運ぶのは馬でした。1頭が6俵~8俵(90~120キロ)を背負いました!
登山道など、山道を歩くと、所々で円形の石積みを目にすることがあります。石は苔むし、オニヤブソテツなどのシダ類が生えたり、もうすっかり太い樹木が生い茂っている石垣もあります。これが昔の炭窯跡で、大島の自然文化遺産のひとつです。山歩きの途中で石積みを見かけたら、炭焼きの様子を想像しながら観察してみて下さい。
(なるせ)