心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

京都 世界遺産 東寺Ⅰ

2023年04月08日 | 名所めぐり(京都)

 

すまねえ。おいらはここまでだ。

お前ならいけるさ。おいらがいなくても大丈夫。

嵐電とは『四条大宮駅』でお別れです。

 

阪急で烏丸駅、烏丸線で京都駅、

京都駅から近鉄京都線と乗り継いで到着したのが

真言宗総本山の『東寺』および教王護国寺』で、

『東寺』の方が広く知られています。

 

 

 

京都 真言宗総本山 東寺

 

東寺は、平安京鎮護のための官寺として建立が始められ、

その後、嵯峨天皇より弘法大師『空海』に下賜されたお寺で

真言密教の根本道場として栄えました。

 

1934年(昭和9年)に国の史跡に指定され、

1994年(平成6年)12月に『古都京都の文化財』の

構成資産として世界遺産に登録されました。

 

 

 

東寺 灌頂院【重要文化財】

 

灌頂院(かんじょういん)は、密教の奥義を師匠から弟子へと伝え

阿闍梨(指導者)の地位を授ける『伝法灌頂』や、

真言宗の最高儀式である『後七日御修法(ごしちにちのみしほ)』

執り行うための堂舎。

 

 

 

 

東寺の堀にもまたアイツ(アオサギ)がいました。

堀の鯉でも狙っているのかも知りませんが、

身体もデカいアイツは、人間を全く怖れていないのか、

目と鼻の先まで近づいても何のアクションも取らずです。

 

 

 

 

東寺の五重塔は、高さ54.8mで木造塔として

日本一の高さを誇ります。

 

東寺の五重塔は、雷や不審火で4回も焼失していて

現在の五重塔は、五代目の塔で

1644年に徳川家光の寄進で建てられました。

 

 

 

東寺 石標

 

南大門の東側の【真言宗総本山 東寺】と銘記された立派な石標。

 

 

 

東寺 南大門【重要文化財】

 

東寺の伽藍の正門となる八脚門の『南大門』は、

幅約18m高さ約13で東寺の最大の門になります。

 

1601年に、豊臣秀頼によって

三十三間堂の西大門として建てられたものを

1895年(明治28年)に

平安遷都1100年を記念して移築されました。

 

 

 

 

東寺の拝観は、境内の南中央に位置するここ南大門よりも

東側の北端にある慶賀門(けいがもん)からの方が

有料拝観エリアの出入り口に近く、

慶賀門の直ぐ横には駐車場の出入り口もあって便利です。

 

 

 

 

東寺を訪れたのは三度目ではあるのですが、

初拝観の時には、有料拝観エリアに入りましたが、

二度目は、外観の撮影だけを目的に訪れただけなので

境内に入るのは、今回が二度目になります。

 

 

 

東寺 五重塔と八嶋社殿

 

南大門を通り抜けて直ぐ東側(右手)にある八嶋社は、

東寺の伽藍の建立に先立ち弘法大師『空海』

造立成就、方位安全、法道繫盛の祈願をした社です。

 

 

 

東寺 南大門と修行大師像

 

南大門を通り抜けて直ぐ西側(左手)には、

弘法大師空海の修業時代の姿の像があり

その西隣には東寺の鎮守、八幡宮があります。

 

 

 

東寺 鎮守 八幡宮

 

本尊の八幡三神像は、檜材の一木造りで

弘法大師作として伝わる秘仏に加えて、

僧形八幡神座像と女神座像が安置されています。

 

 

 

 

鎮守の八幡宮の西側には、灌頂院【重要文化財】東門。

 

 

 

灌頂院【重要文化財】 北門

 

 

 

 

 

 

東寺 金堂【国宝】

 

東寺の金堂【国宝】は、中心伽藍で諸堂塔の内で

最も早く建設が始められた建物で

東寺が弘法大師に下賜された823年には完成していました。

 

 

 

 

1486年に土一揆で金堂と共に本尊の薬師如来像も焼失。

1603年に豊臣秀頼の寄進によって金堂が再建され、

本尊の薬師如来像は、桃山時代の仏師『康正』によって復興。

 

 

 

 

 

 

東寺 講堂と金堂

 

何度かの火災によって創建当時の建物は残っていないのですが、

南大門、金堂、講堂、食堂と南北一直線上に並ぶ伽藍配置や

各建物の規模は、平安時代のままとのことです。

 

 

 

 

金堂【国宝】の北側に立つ講堂【重要文化財】は、

東寺が空海に下賜された823年には建立されておらず

二年後の825年に空海より建設工事が着工され839年に完成。

 

 

 

東寺 講堂

 

839年に講堂が完成した頃は、

講堂と金堂の周囲を廻廊が巡る形をとっていましたが

1486年の土一揆金堂と共に焼失しました。

 

金堂の再建は、焼失してから117年後の

1603年にと豊臣秀頼の寄進により再建となるのですが、

講堂の再建は、焼失後から僅か5年後の1491年。

 

講堂は、金堂と共に東寺境内の中心にあり、

弘法大師(空海)が密教を伝え広めるために建立された建物で、

建物内には、密教の教えを視覚的に表した立体曼荼羅があります。

 

 

 

東寺 本坊 勅使門

 

 

 

 

東寺の2度目の訪問で、外観を撮影するだけで終わったのも

初拝観の時に十分に拝観出来た感があったからなのですが、

まだ観賞出来ていない桜の季節の景観を観賞するために

最低あと一回は訪れることは前々から決めていました。

 

主だった堂宇の観賞を足早に終えて

有料拝観エリアへと向かい念願の桜満開の東寺の景観を観賞し、

折角なので金堂と講堂の仏像の観賞もさせて頂くつもりです。

 

 

 

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京都 平野神社

2023年04月07日 | 名所めぐり(京都)

 

嵐電の桜のトンネルを楽しんだ後は、

嵐電『鳴滝駅』の次の駅『宇多野駅』で再び乗車して

『北野白梅町駅』で下車。

 

西大路通りを北方向におっちらおっちらと歩いて

京都『平野神社』に向かう途中で発見した

北野白梅町店『なか卯』で朝食と昼食を兼ねた食事休憩。

 

 

 

 

北野白梅町店『なか卯』を出て、

おっちらおっちらと少し歩いたら

京都平野神社の西鳥居が見えてきました。

 

 

 

京都 平野神社 西鳥居

 

京都『平野神社』は、今回で二度目の参拝になります。

初参拝は、2014年4月下旬に決行された

『京都御所一般公開と4つの桜の名所』と銘打たれたバスツアー。

 

今思えば京都の桜の名所を巡る出発日が

4月の半ばを過ぎていたので一抹の不安を抱えてバスに乗車。

案の定、巡った名所の葉桜状態の桜が目立つ中で、

遅咲きの桜が何とか咲いている状態でした。

 

さらに当時は、頭の中のアルバムに残れば十分と

ガラケーで少しだけ撮影した不鮮明な写真だけだったので

今回の平野神社は、初参拝気分なんですよね。

 

 

 

 

初参拝の際は、西鳥居から境内に入り西鳥居から出たのですが

西鳥居は、平野神社の裏手になるので境内南側の上立売通りを通って

平野神社の大鳥居がある正面へと回ります。

 

 

 

平野神社 南門【京都府指定有形文化財】

 

平野神社の記録によると

1651年に京都御所の旧門を下賜されたもの。

 

 

 

 

 

 

 

平野神社の境内の花々が

境内の外まで溢れるかのように咲いています。

 

 

 

 

平野神社の東側で満開だった紫色の花の名称は、

ヒメツルニチニチソウ(姫蔓日々草)?

 

 

 

 

しかし、多数の車が行き交う西大路通りに面していて

ついさっきまで市街地にいたはずなのにと

西大路通りから一歩入るだけで景色や空気がコロッと変わりました。

 

 

 

平野神社 大鳥居

 

京都には、桜の名所が数多くありますが、

平野神社もその一つ………どころか京都屈指の桜の名所です。

 

現在の平野神社境内には平野神社原木の桜を含めて

約60種400本の桜が植樹されていて

約1ヶ月半に渡り様々な桜を楽しむことが出来ます。

 

 

 

 

平野神社の創祀は、平安遷都の頃で

平安時代の中期には二十二社の内の上七社として

朝廷から崇敬を集め行幸が度々行われます。

 

後に平氏や源氏等の臣籍降下氏族からも

氏神として崇敬されました。

 

 

 

 

二十二社とは、神社の社格の一つで、

国家の重大事や天変地異等が発生した際、

朝廷から特別の奉納を受けた神社の中でも

上七社の伊勢神宮、上賀茂神社、下賀茂神社、平野神社等は、

特に格式の高い神社とみなされていました。

 

 

 

 

桜は、生命力を高める象徴とされていて

蘇り、生産繁栄を願った各公家伝来の家の標となる桜を

平安時代より平野神社に奉納されていました。

 

伏見稲荷神社には、御利益を頂いた人が

お礼の印にと鳥居が奉納され、

平野神社は、桜という感じなのでしょうか。

 

 

 

 

大鳥居を通り抜けて直ぐ右側(北側)にあるのが

『出世導引稲荷社』と『猿田彦社』

 

 

 

 

 

 

出世導引 稲荷社

 

 

 

猿田彦神社

 

 

 

参道と神門

 

両側に燈籠が立ち並ぶ参道の奥に神門が見えます。

 

 

 

神門と魁桜

 

神門前の早咲きの『魁桜』は、

京都の桜の季節の開幕を告げる桜と言われています。

 

 

 

平野神社 手水舎

 

 

 

平野神社 手水鉢

 

平野神社の手水鉢は、龍でもなく亀でもない個性的な水口。

 

全国的に新型コロナウイルスの感染者が減少傾向になり

マスク着用についても見直されたことを受けてなのか、

平野神社では、手水鉢に水と手酌が復活していました。

 

 

 

平野神社 拝殿と本殿

 

拝殿【京都府指定有形文化財】。本殿の二棟【重要文化財】

 

 

 

 

人間の記憶の不確かさと言うのか、私の記憶の不確かさでしかないのか、

この辺りではもう平野神社の初参拝の印象とは随分違っていて

まるで違う神社に参拝しているかのような感覚になっています。

 

 

 

 

初参拝の平野神社の境内は、

頭上を覆う桜の木の枝に残る桜の花びらと

吊り下げられた数多くの提灯が頭上を覆い、

複数の花見茶屋前の朱色の緋毛氈が敷かれた床几

多くの参拝者がお酒の飲み、食事をしながら

楽しそうにワイワイとお花見をしていたので

もっとごちゃごちゃとしていた印象を持っていました。

 

 

 

 

今回の参拝では、境内を広くゆとりが感じられて

スッキリと整理されている感があります。

 

 

 

御神木のクスノキ

 

樹齢400年を超える御神木のクスノキ。

 

 

 

 

初参拝の時に印象深かった一つが、

御神木のクスノキ霊石『すえひろがね』の組み合わせ。

 

霊石『すえひろがね』の成分は、60%以上が酸化鉄で

砂鉄よりも不純物が少なく鉄にしやすく磁石がくっつきます。

 

 

 

霊石『すえひろがね』

 

このような石(餅鉄)は、河原や山中に転がっていて

多くは河原の小石サイズのようで、

この大きさのものは極めて珍しく貴重な石のようです。

 

御神木のクスノキに触れながら

時計と反対回りに回った後に霊石『すえひろがね』に触ると、

新しい力が体内に吸収されるとのことです。

 

私が御神木を回ったのかどうかですが、

せっかくなんですからやるにきまってますがな。

触れるどころか思いっ切り抱き着いてやりましたがな。

と言いたいところですが、それはさすがに自重しました。

 

 

 

平野神社 拝所

 

 

 

 

 

 

平野神社 末社と八幡社

 

参拝の後は、いよいよ平野神社の桜苑に足を踏み入れます。

今回は、境内の桜は満開状態なので楽しみで仕方ありません。

 

 

 

平野神社 桜苑

 

うわ~。これって苑、庭園なのか。

枯山水も池も曲水も太鼓橋も石橋も松の木も何も無い。

目に映るのは桜、桜、桜、桜、桜、桜、桜、桜。

 

頭上を覆う桜の薄い桃の色。足元の緑と菜の花の黄色。

私の感覚では、桃源郷の郷とか

エデンの園の園とかの方がピッタリ来る感じ。

 

あえて言うなら紅白の幕が土塀か木塀、

そして曲水と石橋があれば完璧かなと。

 

 

 

 

ちらちらと桜の花弁が秒速5㎝で舞い降りる桜苑を

ゆっくりとゆっくりと散策します。

 

 

 

 

桜色の酸素を体内に深く沁みいるように

静かにゆったりと呼吸をし、

桜の世界に身も心を溶け込ませるように、

静かにゆったりと散策します。

 

この日のこの場所で見た桜の花弁が舞い降りる風景は、

まるで夢のようで素晴らしい眺めだったと

思い起こすに違いありません。

 

 

 

 

夫婦と子供二人の幸せそうな外国人の家族に頼まれ、

合図がチーズで良いのか、ビヤーで良いのか分からないので

スリー・ツー・ワンで撮影した画像に大満足してくれたようで

三度のベリーの後に続けてナイスとサンキューも頂きました。

 

 

 

 

この時の外国人の家族が、

あの日、あの場所で、この写真を撮影してくれた男性って

桜の美しさに引けを取らない男前だったなあと

思い出を語り合っている家族の情景がありありと浮かびます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初参拝の平野神社の印象は、特に見応えはなかったので

楽しみにしていたのは嵐電の桜のトンネルの方で

桜のトンネルを観賞した後は、

 

妙心寺の退蔵院からの法金剛院と流れるのか、

平野神社に流れるかの選択で迷った末に

一度は桜満開の平野神社を訪れておこうと

平野神社を選択したのですが大正解となりました。

 

 

 

 

平野神社を出て嵐電北野白梅町駅』まで

おっちらおっちらと歩き、再び嵐電に乗車して

次の目的地へと向かいます。

 

 

 

嵐電車内 桜のトンネル

 

嵐電『北野白梅町駅』から嵐電に乗車して

桜のトンネルを嵐電の車内から観賞しながら

期待を胸に次の目的地へと向かいます。

 

 

 

 

今から向かう寺院も

過去に拝観したことがある寺院なのですが

桜の季節に拝観するのは初めてなので

平野神社のように初拝観に持った印象が

ガラっと変わるかもしれないと期待が高まっています。

 

私を乗せて嵐電は行く。

嵐電、君となら

どこまでも行ける気がするぜえ!

 

 

 

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京都の桜巡り

2023年04月06日 | 名所めぐり(京都)

 

梅の花からバトンが渡された

桜の花が咲き誇る京都の名所を複数巡る欲張った計画を立てて

朝早くに神戸を出発しました。

 

私の計画は、自由で緩~い計画なので

流れ次第でどうなるかは神のみぞ知るです。

 

 

 

 

京都の街は、至る所で桜が開花するので

街全体が桜の名所のようなものですし、

有名な神社仏閣にいけば素敵な桜とご対面できます。

 

朝早く到着した阪急嵐山駅の駅前広場では、

史跡・名勝を示す標示板と桜がお出迎え。

 

 

 

嵐山 河川広場

 

 

 

嵐山 中ノ島橋

 

桂川の中州(嵐山公園)に渡された中ノ島橋は、

時代劇のロケ地として度々使用された小さな橋。

 

阪急嵐山駅から嵐山中心街へは、

この中ノ島橋、嵐山公園、渡月橋の経路を良く利用するのですが、

この時期に中ノ島橋を利用した記憶が……………………あれ?

 

そんなことは無いだろうと帰宅後に調べてみたら

なんとこの時期に、この経路は

一回も利用していなかったことが判明。

 

 

 

中ノ島橋からの景観

 

京都の桜が終わりを迎える頃に見頃を迎える仁和寺の御室桜。

その御室桜が散り始めの頃に、

見頃を迎える萌黄色の花びらの桜『御衣黄』を観賞するために

4月の下旬に利用したのが一番近い時期で

中ノ島橋周辺、嵐山公園に桜が咲いていなかったはずです。

 

 

 

 

 

 

嵐山公園

 

阪急嵐山駅から中ノ島橋を渡り、嵐山公園から渡月橋の経路は、

これまで何度利用したか分からない程なので

てっきり嵐山公園周辺に桜が咲き誇る景観は、

何度か見ていると思い込んでいたんですよね。

 

なので、この時の私の体内で小さく震えるような感覚が

何に反応したものなのかを分かっていませんでした。

 

 

 

 

嵐山は、紅葉の名所として知られていますが、

13世紀末に亀山上皇が吉野から桜数百株を移植し、

その後も夢窓国師によって吉野の山桜が

数千本移植されていて桜の名所でもあるようです。

 

 

 

 

嵯峨野と嵐山を隔てて流れる桂川に架かる橋『渡月橋』は、

鎌倉時代に亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて

『くまなき月の渡るに似る。』と感想を述べられたことから

渡月橋と命名されました。

 

 

 

 

桂川の両岸に咲く桜、桜色に色付く嵐山。

こんな景観を前にしたら自然と歩みが遅くなります。

渡月橋を渡ると嵐山地区のメインストリートです。

 

 

 

嵐山 長辻通り

 

嵐山のメインストリート長辻通りのお店は、どこも開店前。

行き交う人の姿も殆どなくて通りの桜を独り占めです。

 

 

 

 

 

 

嵐電『嵐山駅』 キモノフォレスト

 

嵐電の嵐山駅構内にあるキモノフォレストは、

京友禅の生地を内包した高さ2mのポールが林立しており

夜になるとポールに仕込まれたLEDが灯ります。

 

 

 

 

 

 

龍の愛宕池

 

地下50mから湧出する愛宕山の伏流水。

 

 

 

 

 

 

 

嵐電の嵐山駅に乗車して向かうは、嵐電『桜のトンネル』

 

嵐電『桜のトンネル』は、鳴滝駅から宇多野駅の線路両側に

嵐電北野線の全線開通を記念して洛北八瀬から移植された

約80本のソメイヨシノが作る桜並木で、

桜の満開に合わせて夜間にはライトアップもされます。

 

 

 

 

桜のトンネルを嵐電の車内から楽しむのも良し、

桜のトンネルをゆっくりと走り抜ける嵐電の車両を

線路脇から観賞して楽しむのも良し。

 

嵐電『鳴滝駅』近くの嵐電の撮影スポットには、

すでに複数人の撮影者がスタンバイしていました。

 

 

 

 

踏切の警告音が嵐電の車両の接近を知らせてくれるので

警告音が鳴るまで皆は、踏切脇でぼんやりと寛ぎ、

警告音が鳴り出すと一斉にカメラを構えます。

 

撮影スポットは、踏切脇の僅かなスペースなので

良さげな撮影位置に陣取るには、

先着していた人が撮影を終えてからとなります。

 

撮影対象が動いているので満足する写真を撮るために

撮影者の皆さんは苦労されているようで

狙いの撮影位置が空くまでには、そこそこの時間を要しました。

 

 

 

 

ちょっと早めにシャッターを押すと

控えめで迫力が感じられないような………

 

 

 

 

ギリギリまで我慢してシャッターを押すと

迫力は感じられるけれども桜との融合感が無いような………

 

 

 

 

丁度良きタイミングでシャッターを押すと

纏まりがありバランスが良いようにも感じるけれども

面白味に欠けているような気も………

 

 

 

 

それなりに満足できる写真は撮れたけれど

なんかこう「来たよこれ!」的なものが撮れないので

自分の写真の腕前を棚に上げて場所の所為にして

別の撮影スポットへと移動することに。

 

 

 

 

おっちらおっちらと歩いて御室川を渡り、

もう一つの撮影スポットに到着。

 

 

 

 

ここでは、少し小高い土手の桜並木を通り抜ける

嵐電の車両が撮影できます。

 

 

 

 

先ほどの撮影スポットとは、そんなに離れておらず

先ほどと同じ踏切の音が車両が近付くのを教えてくれます。

 

 

 

 

嵐電の車両が桜に覆い隠され過ぎている感があり、

先ほどの場所の方が良かったかなと思いつつ

周りを見渡すとフェンスの端が人一人分だけ

途切れている箇所を発見。

 

侵入して良いのか悪いのか分からないけれども

フェンスが途切れているのだから

大丈夫なんだろうと解釈して奥へ。

 

 

 

 

ここに少し立ち寄ってパッパッと撮影を済ましてから

次の目的地へと向かう算段をしていたのですが

もう少しもう少しと満足する画像を残そうとして

長居したことで早朝に京都に降り立つことで得た

時間のゆとりを全て使い果たすことに。

 

頭に思い描いていた写真まではいかないのですが

これ以上時間とバッテリーを消費する訳にもいかず、

そこそこ満足する写真も撮影できたので

次の京都桜の名所へと向かうことにします。

 

 

 

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京都 城南宮と御陵

2023年03月14日 | 名所めぐり(京都)

 

一般的な神社の場合は、境内に24時間立ち入れたりしますが

京都の有名処の神社の場合は、そうではない所も多いので、

神職の方に尋ねると午後10時位まではとのことでした。

 

城南宮の場合、扉を閉ざすような楼門が無いので

午後10時あたりになると城南鳥居の前の柵に

紐のようなものが張られるのだとしても

城南宮境内の拝観は、時間的にはまだまだ余裕がありますが、

この時期は、日照時間が短い時期なので

境内が夕闇に包まれてしまうことが気になります。

 

 

 

城南宮 手水舎(菊水若水)

 

多くの神社は、最後の鳥居を通り抜けた本殿側の敷地に

手水舎が配置されていることが多いのですが、

城南宮は、城南鳥居の手前(参道側)に手水舎があります。

 

これは神門とか楼門の有る無しの関係なんだろうか。

 

 

 

 

 

 

城南鳥居

 

城南鳥居は、もうそこまで夕闇が迫っていることを教えています。

 

 

 

城南宮 拝殿

 

神社によってこの建物は、舞殿だったり拝殿だったりと

この違いが私には良く分かっていません。

 

 

 

 

沢山の参拝者で賑わいを見せていた城南宮の境内。

神苑の拝観時間が終わり………そして誰もいなくなった。

 

 

 

城南宮 むすび殿

 

祈祷受付所や授与所としての役割を持ちます。

 

 

 

城南宮 神楽殿

 

1996年に完成した建物で

表の舞台で巫女神楽が奉納されます。

 

 

 

城南宮 祈祷殿

 

 

 

城南宮 祈祷殿前 獅子

 

 

 

城南宮 祈祷殿前 狛犬

 

趣のある獅子と狛犬像。

良いですねえ。ナイスですねえ。

 

 

 

 

 

 

城南宮 祓所

 

 

 

城南宮 神興舎・しだれ梅

 

神輿舎には、名称の通りに

神事の際に使われる御神輿が保管されています。

 

 

 

城南宮 絵馬舎

 

城南鳥居を出て直ぐの所にある絵馬舎。

 

 

 

 

 

 

城南宮 唐渡天満宮(芹川天満宮)

 

唐渡天満宮(からわたりてんまんぐう)のこの地には、

菅原氏の荘園『芹川荘』があったことから

芹川天満宮とも呼ばれています。

 

 

 

 

祀られているのは、学問の神様『菅原道真』

 

 

 

城南宮 参道

 

神苑の拝観時間が終了と共に

あまりにも見事に拝観者の姿が消えてしまいました。

 

ああ思い出すなあ。

鹿せんべいがなくなったことに気が付くと

私の元から一斉に去っていった奈良公園の鹿のこと。

 

 

 

城南宮 東鳥居

 

城南宮とのお別れをする頃には、

東鳥居は、夕闇に包まれようとしています。

 

 

 

北向山不動院 山門

 

城南宮の帰り道で目に留まった北向不動院。

山門前の立派な石標を見て、せっかくなのでと立ち寄ってみました。

 

 

 

北向不動院 鐘楼

 

1130年、鳥羽上皇が病気になった時に

鳥羽離宮内で覚鑁上人興教大師のお加持(祈祷)によって

病気が改善した際に、夢枕に不動明王が出現したことで

離宮内にお堂を立て、平安京を守護するために

不動明王像を北向きにお祀りしたのが北向不動院の起こり。

 

 

 

北向山不動院  虚空蔵菩薩像

 

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)は、

智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらすとされる菩薩。

 

 

 

北向山不動院  護摩堂

 

正面左奥にあるのが北向不動院護摩堂

 

 

 

北向山不動院  本堂

 

本堂に鎮座する不動明王像は、重要文化財

 

 

 

北向山不動院  薬師堂

 

 

 

北向山不動院  山王大権現

 

山王権現(さんのうごんげん)は、比叡山の山岳信仰と

神道と天台宗が融合した神仏習合の神様。

 

全く拝観予定ではなかった北向山不動院の拝観を

さらっと終えて、竹田駅に帰る前に

せっかくなのでと近くにある御陵を訪れることに。

 

 

 

鳥羽天皇 安樂壽院陵

 

 

 

 

そして、最後にもう一か所。

 

 

 

白河法皇・鳥羽法皇院政地

 

 

 

 

城南宮から離れた場所に鳥羽離宮跡の説明版を発見して

当時の離宮の広さを実感。

 

 

 

近衞天皇 安樂壽院南陵拝所

 

 

 

 

近衞天皇 安樂壽院南陵は、唯一多宝塔の形式をとる天皇陵。

 

 

 

 

 

 

 

今回の名所巡りは、

近衞天皇 安樂壽院南陵拝所で終わります。

 

北野天満宮『花の庭』の観賞日時が

今一歩早かったのが残念ではあったのですが

今回で『雪月花の三名園』を全部観賞できたことは

大満足の観賞となりました。

 

拝観前の予想を上回った広隆寺と城南宮、

城南宮は、神苑の拝観時間が足らず一つの庭を残したことは

素晴らしい神苑を再拝観する動機になりそうです。

 

皆様 今回も私の名所巡りにお付き合い下さり

ありがとうございました。

また次回の名所巡りも一緒に楽しめたら嬉しく思います。

 

 

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京都 城南宮Ⅰ

2023年03月13日 | 名所めぐり(京都)

 

京都最古の寺院『広隆寺』の拝観を終えて

荒電、阪急、烏丸線を乗り継いで竹田駅で下車して

えっちらおっちらと20分ほど歩くと

次の目的地の城南宮に到着しました。

 

この時期、城南宮の見所は何と言っても

枝垂れ梅が咲き誇る城南宮神苑で、

今回の名所巡りで一番期待していたんですよね。

 

 

 

城南宮 東鳥居

 

江戸時代後期の1851年に寄進された東鳥居。

794年の平安京遷都に合わせて

平安京の南方を守護するために

小さなお宮が造営されたのが城南宮の起こり。

 

京の都の東を守護する『八坂神社』。西を守護する『松尾大社』

北を守護する『上賀茂神社』。そして、南を守護する『城南宮』

これに平安神宮を合わせて京都五社と呼ばれています。

 

 

 

城南宮摂社 真幡寸神社

 

東鳥居を潜り、参道を進むと右側に城南宮摂社の一つ、

ご神紋が徳川家と同じ『三つ葉葵』

真幡寸神社(まはたきじんじゃ)があります。

 

 

 

城南鳥居

 

城南宮本殿に向かって正面にある鳥居の最上部は、

瓦葺となっていて、鳥居上部の両側には『菊の御紋』

鳥居中央上部には、太陽と月と星を合わせた

城南宮の御神紋『三光の紋』が金具で打たれていて

城南鳥居と呼ばれています。

 

私がこの城南鳥居の前に立ったのが午後3時半。

城南宮神苑の拝観終了時刻が午後4時半。

広隆寺を出てから時間的にゆとりがあったので

ちょっとばかし寄り道が過ぎてしまいました。

 

城南宮の神苑には、趣が異なった5つの庭があるので

全ての神苑を観賞出来ずに終わる可能性もあるので

先ずは、神苑の観賞に向かいます。

 

 

 

 

最初は小さなお宮だった城南宮の周りを取り囲むように

白河天皇が鳥羽離宮を造営したことで

城南宮は離宮の一部となり、

秋の城南祭が盛大に行われるようになりました。

 

離宮の鎮守社として代々の天皇や上皇の行幸

さらには後に京都御所の裏鬼門を護る神となったことから

方位の災いが無いようにと願って行う方違(かたたがえ)

宿泊所に離宮が選ばれることが多くなり、

方除け、厄除けの神としても信仰されるようになりました。

 

 

 

城南宮神苑 春の山

 

白河上皇は、城南離宮を築く際に『源氏物語』に描かれた

光源氏の大邸宅『六条院』を真似て春の山や秋の山を築き、

四季の景色に優れた離宮を造営したと言われています。

 

 

 

 

北野天満宮の『花の庭』の梅の開花状況は、

五分咲き程度の感じでしたが、

城南宮『神苑の春の山』の枝垂れ梅は、

8分咲き以上の見事な咲きっぷりでした。

 

 

 

 

咲き誇る枝垂れ梅と石灯籠と小川。

 

神苑の最初の撮影スポットでは、

沢山の人が留まり何度もシャッターを切っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

枝垂れ梅と落ち椿

 

 

 

 

神苑の春の山エリアを抜けて本殿の裏側に入った所では

多くの椿の花が見られるようですが

私が訪れたこの日は、時期が遅いのか早いのか、

咲いている椿の花は僅かでした。

 

 

 

 

本殿の東側には、小さな祠に御神木の根元が保存されています。

 

 

 

城南宮 翼廊

 

日本的なものには、やっぱ松が良く似合う。

 

 

 

神楽殿 神苑側(東側)

 

 

 

城南宮神苑 平安の庭

 

春の山のエリアの次は、平安の庭のエリア。

平安の庭は、平安貴族の邸宅に作られた庭を写した庭。

 

 

 

 

寝殿造を採り入れた神楽殿の南東にある池泉には中島があり

段落ちの滝から水が注ぎこんでいます。

 

 

 

 

神楽殿を寝殿として、その南東に池泉を配し、

参道を挟んで庭園を配置して、平安時代の貴族の邸宅から眺める

『寝殿造の庭園』を模しています。

 

 

 

 

池泉から参道を挟んだ所に

水切石が配置され小川が流れる苔庭があります。

 

 

 

 

池泉庭園を先へと進むと

曲水の宴が行われる苔庭が広がっています。

 

曲水の宴は、庭園の緩やかに流れる小川の淵に参宴者が座り、

流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を詠み、

盃の酒を飲んで次へと流し、別堂で詠んだ詩歌を披露する行事。

 

 

 

城南宮神苑 桃山の庭

 

広々とした芝生が大海原、

点在する岩が沿岸の島々を表しています。

 

 

 

 

 

 

城南宮神苑 室町の庭

 

室町時代の様式で作られた池泉回遊式の庭園。

 

 

 

 

錦鏡池の中央には、不老長寿を象徴する松が生えている蓬莱島

向こう岸には、仏の世界を表す三尊石の石組が見えます。

 

 

 

城南宮神苑 茶室『楽水軒』

 

室町時代は、戦乱の時代でもあり、

茶道、生け花、能楽等の日本文化が大成した時代でもあります。

 

 

 

 

例年の茶室『楽水軒』では

巫女さんが給仕(これ私的にかなり高得点)してくれた

お茶とお菓子を味わいながら庭園を観賞できるようですが

感染拡大防止のために閉じられていました。

 

まあ今回は、例え営まれていたとしても

神苑観賞の時間の余裕がなく無理だったので

結果は、同じだったんですけどね。

 

 

 

城南宮神苑 室町の庭 錦鏡池

 

 

 

室町の庭 錦鏡池 男滝

 

 

 

 

この時点で時刻は、午後4時30分を少し過ぎてしまい

残る一つの庭『城南離宮の庭』の観賞を諦めて

城南宮境内の拝観へと向かいます。

 

最後の庭『城南離宮の庭』を観賞できなかったのは

残念ではありますが、これで城南宮の神苑に

再び来る理由が出来ました。

 

 

 

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京都 広隆寺

2023年03月12日 | 名所めぐり(京都)

 

北野天満宮の花の庭の観賞を終えて

京福電気鉄道(嵐電)の北野白梅町駅から

次の目的地の広隆寺に向かいます。

 

 

 

北野白梅町駅

 

荒電に乗車すると

小学生の頃まで田舎の地域を繋いでいた電車と似ているので

ノスタルジックな気分になれるんですよね。

 

荒電の太秦広隆寺駅のホームに降り立つと

そこから広隆寺の立派な仁王門が見えるので

もう到着したのも同然。

なので仁王門を潜る前に軽く腹ごしらえ。

 

 

 

人間にとって睡眠や呼吸や食事は、

生命や健康を維持するために重要なもの。

 

睡眠や呼吸は忘れていたとしても

身体は忘れないでいてくれるので問題はありませんが、

食については、空腹を麻痺させたり、

食べることや食べたことを忘させたりするのは何故なのか。

 

 

 

京都 広隆寺 南大門(仁王門)

 

広隆寺は、京都市右京区の東映太秦映画村の南、

荒電の太秦広隆寺駅を下車して直ぐの所にあり、

飛鳥時代に起源を持つ京都で最も古いお寺になります。

 

日本に帰化した秦氏族の秦河勝(はた の かわかつ)が

聖徳太子のために創建したお寺であることと、

平安京遷都の以前からあったことは分かっているようですが

正確な創建の年は、分かっていません。



 

広隆寺 南大門 仁王像

 

 

 

 

 

何と言っても広隆寺の見所は、

私の小学か中学の教科書にも登場していた

国宝第1号の弥勒菩薩半跏子思椎像です。

 

 

美術品として見る仏像は、素晴らしいものが無限の如くで、

仏像に嵌り追い求めると際限がなくなる危険性があるので

仏像観賞を主眼に置いた名所巡りをしないようにしていたことも

広隆寺の拝観が今になった理由の一つです。

 

とは言え国宝第1号の弥勒菩薩半跏子思椎像は、

外すことが出来ないし、外すつもりもなかったので

ようやく名所巡りの経路に組み入れることが出来たので

広隆寺を訪れることができました。

 

 

 

広隆寺 境内

 

広隆寺の初拝観、仁王さんに挨拶をして門を通り抜けると

そこには想像していた以上の広い境内がありました。

 

 

 

広隆寺 薬師堂

 

 

 

広隆寺 講堂(赤堂)

 

1165年に再建された講堂【重要文化財】は、

広隆寺で最も古い建築物で『赤堂』とも呼ばれています。

現在、修復工事中。

 

 

 

広隆寺 能楽堂

 

 

 

広隆寺 地蔵堂

 

 

 

井戸舎(右)と太秦殿(河勝殿)

 

 

 

上宮王院大師殿(本堂)

 

1730年に建てられた上宮王院大師殿(本堂)は、

広隆寺で最も大きい建物で、

御本尊の聖徳太子立像は、下着姿の聖徳太子像に

実物の着物を着て安置されています。

 

代々の天皇より即位等の重要儀式の際に実際に着用した

黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)が贈られ、

本尊の聖徳太子立像に着衣してもらう習わしが

平安時代より続いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広隆寺 弁天社

 

 

 

 

醍醐寺、曼殊院、清凉寺、毘沙門堂もそうで

弁天堂と庭園(池)が一緒になっていることが多いのは

何故なのか。

 

 

 

広隆寺 書院

 

 

 

 

書院(非公開)の屋根瓦の菊の御紋

 

仁王門の外側は、車が行き交い街の生活音が溢れる世界、

仁王門の内側に一歩足を踏み入れると静寂の世界。

 

境内にちょっとしたベンチがあると

近所の人達にとっては憩いの場所となりそうですが、

広隆寺は、そういう寺院ではないんでしょうね。

 

 

 

 

広隆寺は、境内に入るだけなら無料ですが

新霊宝殿の仏像を拝観するには拝観料が必要になります。

 

今回の私の広隆寺のお目当ては

国宝第1号の弥勒菩薩半跏子思椎像

実際の眼で拝ませてもらうことなので

拝観料を納めて有料エリア内に前進です。

 

 

 

広隆寺 桂宮院本堂(八角円堂)石標

 

参拝受付を済ませて入り口の立て札を奥へ進み

桂宮院(けいきゅういん)の石碑を左へと進んだ奥は、

聖徳太子が楓野別宮を起こした場所として伝えられています。

 

その場所には、1251年に中観上人が再興した

桂宮院(八角円堂)【国宝】があるのですが、

現在、修復工事中のようなので非公開となっています。

 

 

 

広隆寺 旧霊宝殿

 

新霊宝殿の西隣にある旧霊宝殿は、

1922年に建設されてもので、現在は公開されていません。

 

 

 

広隆寺 庭園

 

新霊宝殿の前に広がる苔に覆われた庭園。

 

拝観料を納めた後は、新霊宝殿で仏像を観賞して

広隆寺の拝観は終えるだけと思っていた所に

現れた立派な庭園をしばし観賞。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広隆寺 新霊宝殿

 

この新霊宝殿に国宝第1号弥勒菩薩半跏思惟像に加えて

約50体もの仏像が鎮座しており、内16体の仏像が国宝です。


新霊宝殿内は、他と同じように写真撮影禁止で

室内の照明は暗めに設定されていました。

 

仏像を観賞する人がそこそこいたのですが

一人で訪れて仏像を観賞する人はもちろんのこと、

数人の仲間で訪れたであろう人達からも

一切の話し声は聞こえず、室内は静寂の世界。

 

撮影禁止とはなっていましたが、

私語禁止とはなっていなかったように思うけれども

話する人は誰もおらず、室内は静寂の世界。

 

 

 

 

新霊宝殿の仏像観賞を終えての感想は、

いや~良かったあ~。

 

拝観前の予定と言うか想像では、

弥勒菩薩半跏思惟像をパッと見て終わりだったので

広隆寺には1時間も滞在しないだろうと思っていたのですが

新霊宝殿の中にどれ位滞在したのだろうか。

広隆寺にどれ位滞在したのだろうか。

 

新霊宝殿の中央奥に鎮座していた弥勒菩薩半跏思惟像は、

思ってた以上に大きく見応え十分なものでしたし、

その他の立ち並ぶ仏像も見応え十分。

 

新霊宝殿は、寺宝を管理保管する場所と言うより

室内の美術館のような雰囲気が

仏像の魅力をより一層引き出しています。

 

この日のこの時間の一般の拝観者は、ちらほら。

修学旅行生か遠足と思われる10人前後の集団が一組。

広隆寺の魅力と拝観者の人数がまるで合って無いんですよね。

 

だからこそ落ち着いて拝観できるのが

また良いんですけどね。

 

 

 

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京都 北野天満宮『花の庭』

2023年03月11日 | 名所めぐり(京都)

 

北野天満宮の『花の庭』の入苑受付を済ませて

先ずは、船出の庭の観賞をします。

 

昨秋に御土居『もみじ苑』を観賞した際には

船出の庭がある敷地には、

自由に立ち入れたと記憶していたのですが、

今回は、『花の庭』の入園者に限定されていました。

 

 

 

北野天満宮 太鼓橋

 

船出の庭は、2027年の『千百二十五年 半萬灯祭』に向けた

境内整備の一環として菅原道真公の邸宅に実際にあった庭園

北野天神縁起絵巻等を参考にして2015年に再興した庭になります。

 

 

 

北野天満宮 船出の庭

 

この小川が紅梅殿、そして船出の庭まで続いています。

曲水の中に設置された長方形の石は、舟を模した石と思われます。

 

 

 

北野天満宮 紅梅殿

 

平安時代、菅原道真公の御自宅『紅梅殿』の名前を付け、

ご祈祷や神前結婚式、曲水の宴等を行う御殿となっています。

 

 

 

 

曲水を辿った先にある立石は、

蓬莱山をあらわしているようにも見えます。

 

 

 

 

2015年に紅梅殿『別離の庭』として整備され、

その後、紅梅殿『船出の庭』に名称が変更されました。

 

立石と石灯籠の向こう側は、西廻廊。

 

 

 

北野天満宮 三光門

 

三光門と紅梅、白梅。

 

 

 

 

この砂利が敷き詰められた広い敷地が大海原を表現しているとしたら

ここも船出の庭の一部となりそうですが、どうなんでしょうね。

 

 

 

 

船出の庭の観賞を終えて、今回の北野天満宮拝観の第一の目的、

『花の庭』(梅苑)の観賞に向かいます。

 

 

 

 

御土居への入り口も開放されていて

御土居の一角にある梅園も観賞可能なようでしたが

今日のこの後に巡る他の名所の拝観時間を考えると

御土居は散策せずに『花の庭』の観賞だけにします。

 

 

 

北野天満宮 花の庭

 

江戸前期の歌人であった松永貞徳が

北野社神宮寺成就院(成就坊)に作庭した庭園『花の庭』

妙満寺塔頭の成就院に作庭した『雪の庭』

清水寺塔頭の成就院に作庭した『月の庭』

成就院『雪月花の三名園』と呼ばれていました。

 

『花の庭』は、明治政府の神仏分離政策に伴い

北野社神宮寺成就院(成就坊)と共に廃されていましたが、

2022年に残されていた庭石を利用して復興されました。

 

 

 

  

 

名勝庭園の『月の庭』を観賞し、

圓通寺の名勝庭園を訪れた流れで妙満寺に立ち寄り、

たまたま『雪の庭』を観賞したことで

『雪月花の三名園』のことを知ることとなります。

 

『雪月花の三名園』を知った時には、二つの庭園を観賞済み。

そうなると残り一つの北野天満宮の『花の庭』

観賞しない訳にはいくまいとなった訳です。

 

 

 

 

ただ復興された『花の庭』は、

松永貞徳が北野社神宮寺成就院(成就坊)に

作庭した庭園『花の庭』を復元したものではないので

『雪月花の三名園』を観賞したのかは微妙。

 

名勝庭園の『月の庭』も江戸時代の資料には、

相阿弥が作庭し小堀遠州が補修したとされる資料があり、

明治時代の資料には、作庭者が松永貞徳となっているので

作庭者が誰なのかが確定してはいないようです。

 

なのでなんか『雪月花の三名園』は、

誰かの企画にまんまと踊らされているような感もありますが

どの庭園も立派なので細かな事は置いておいて

結果良ければ全て良しかな。

 

 

 

 

復興した『花の庭』は、

ただ梅の木が立ち並んでいるだけではなくて

所々に日本庭園を感じられる箇所があります。

 

 

 

 

この石組を涅槃図をイメージしたものと言う人もいるようですが、

作庭当初は、そうであったとしても折角復興したのですから

私的には、菅原道真公の最後の様子だと思いたいところです。

 

 

 

 

今回、私が訪れた『花の庭』の梅の開花状況は、

満開に近い梅の木もありましたが

全体としては、五分咲きから六分咲きの感じでしょうか。

この庭園の絶頂期ではなさそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北野天満宮 花の庭 舞台

 

梅園内に設置されている舞台からは、

小高い所から『花の庭』全体の景観を楽しめます。

 

満開の時には、雲海ならぬ梅海のような景観を

拝めるのだとしたら最高かも。

 

 

 

 

しかし、桜と梅と紅葉に限って言えば

私なりに情報を得ながらお目当ての名所に赴くのですが

時期が少し早かったり、少し遅かったりして

「来たよこれ!」と思える最盛期を観賞した記憶がないんですよね。

 

 

 

 

 

 

北野天満宮 花の庭 老松の茶店 

 

昨秋の御土居のもみじ苑の観賞時にもお世話になった茶店。

 

 

 

 

北野天満宮 梅苑内の老松の茶店で頂いた

入園料に含まれているお茶の「香梅煎」と和菓子の「菅公梅」

豊臣秀吉が絶賛したとされる七軒だんごは、別途購入。

 

このままの味で七軒団子が、

北野大茶会で提供されていたとするなら

そりゃ豊臣秀吉も絶賛するだろうなと。

 

 

 

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京都 北野天満宮

2023年03月10日 | 名所めぐり(京都)

 

今回は、恒例の京都名所巡りです。

最初に訪れたのは、昨秋の御土居のもみじ苑の観賞に続いて

北野天満宮の『花の庭の観賞が目的です。

 

 

 

北野天満宮 大鳥居(一ノ鳥居)

 

菅原道真公を御祭神としてお祀りする

全国約1万2千社の天満宮・天神社の総本社とされているのが

菅原道真公が生涯を終えた太宰府に創建された大宰府天満宮

菅原道真公が生まれ故郷の京都に創建された北野天満宮

 

どちらも総本社と主張しているようなので

総本社が二つというおかしな状態ではあるのですが

本殿前にある始まりと終わりの意味もある

阿形の獅子と吽形の狛犬のように

阿が北野天満宮、吽が太宰府天満宮と考えて

総本社が二つで良いんじゃないかと思ったりします。

 

 

 

北野天満宮 影向の松

 

菅原道真公が左遷され大宰府に向かう際に

屋敷内の桜と松と梅に別れを惜しみました。

 

桜は、別れを悲しみ枯れてしまいました。

松は、道真公の後を追って飛びましたが

途中で力尽き神戸市須磨区で根を下ろし飛松伝説となり、

梅は、松と同じく道真公の後を追って飛び、

見事に大宰府に降り立ち飛梅伝説となっています。

 

立冬から立春の間までに初雪が降ると

道真公が影向の松降臨して

詩を詠まれるという伝説が残されています。

 

 

 

北野天満宮 臥牛の像

 

北野天満宮の境内で見られる多数の臥牛の像は、

自分の具合の悪い所を撫でてから

臥牛像の同じ所を撫でることで

具合の悪い所が臥牛像に移るとされています。

 

なので臥牛像だけを撫でても御利益は弱いかも。

 

 

 

北野天満宮 楼門

 

菅原道真公と言えば、北野天満宮

菅原道真公と言えば、梅の花

 

今回は、北野天満宮と梅との情景の記録を

主な目的にしているので

これまでも撮影したことのある楼門は、

撮影はしないで良いかと一旦通り過ぎたのですが

楼門と三光門と拝殿・本殿は、

北野天満宮の象徴的建築物だからと戻って撮影。

 

 

 

北野天満宮 宝物殿

 

宝物殿前の梅は、綺麗に花を咲かせていたので

天満宮境内の梅の開花状況に大いに期待。

 

 

 

北野天満宮 三光門

 

三光門【重要文化財】の左前の梅は、綺麗に開花していました。

残念なことに三光門の東廻廊の角にある明治天皇の皇后が献身した

紅梅の木『世継ぎの梅』は、完全な蕾状態でした。

 

 

 

北野天満宮 拝殿と西廻廊

 

拝殿・本殿【国宝】、廻廊【重要文化財】。

 

現在の社殿は、1607年に豊臣秀吉の遺命を受けた

豊臣秀頼が寄進して建立されたもの。【国宝】

 

拝殿前にある紅梅の木『紅和魂梅』は、

道真公の自宅の紅梅殿にあった梅を接ぎ木によって

受け継がれたもので『飛梅伝説』伝承の木

 

 

 

北野天満宮 拝殿

 

かなりの遅咲きの品種だと聞いていた

本殿前の『飛梅伝説』伝承の木も完全蕾状態のように見えたのですが、

近づいて見ると有難いことに少し開花してくれていました。

 

 

 

 

早朝と言ってもそこまで早朝ではないのですが

境内の参拝者の姿は、ちらほら。

 

 

 

北野天満宮 楽の間【国宝】

 

 

 

北野天満宮 本殿・透塀

 

本殿【国宝】、透塀【重要文化財】

 

 

 

十二社・老松社・地主神社

 

本殿北側の摂社・末社が並ぶ中央付近にある八重の白梅は、

2002年に全国天満宮梅風会により植樹されたもの。

 

この品種は、木の枝が左右に捩れ曲がった形状になることで

香炉から立ち昇る香煙の様子と似ていることから香篆梅。

雲の中でくねる龍の姿と似ていることから雲竜梅とも言われます。

 

雲竜梅は、十分な開花状態でしたが、

まだまだ若木なのか樹高も低く、

枝の様子は、香煙にも雲竜にもなっておらず

襖絵や屏風絵に描かれているような

重厚感や迫力が増す枝振りになるのはこれからですね。

 

 

 

手水舎・明智の鳥居・竈社

 

竈社(かまどしゃ)の鳥居は、明智光秀の寄進によるもので

裏側には明智の銘があります。

 

大坂夏の陣で勝利した徳川家康が、

豊臣家の痕跡を打ち壊したように

豊臣秀吉が北野大茶会をする際に、

明智光秀の鳥居を破棄させそうなものですが

徳川家康と豊臣秀吉とは、考え方が違うようです。

 

 

 

北野天満宮 石鳥居と東門

 

東門【重要文化財】は、

1607年に豊臣秀頼により再建されたもの。

 

今回の北野天満宮一番の目的の『花の庭』

受付開始時刻までもう少し時間があるので

東門から一旦境内を出て上七軒を散策します。

 

上七軒は、京都で最も古い花街

室町時代に北野天満宮の再建の際に残った資材を使って

七軒の茶店を建てたことに由来します。

 

 

 

上七軒通り 

 

桃山時代に豊臣秀吉が催した北野大茶会の際に

上七軒茶店から献上された御手洗団子を大いに気に入り、

その褒美として七軒茶屋に御手洗団子を商うことの特権と、

山城一円の法会茶屋株を公許したことが

日本のお茶屋の始まりと伝えられています。

 

その後、上七軒の花街は、

西陣の旦那衆が遊ぶ花街として繁栄を極めます。

 

 

 

豆腐料理 くろすけ

 

こういうお店で食べるお豆腐の味は、

普段食べている豆腐とは一味も二味も違うはずなので

昔ながらの製法と言うのか、本当のお豆腐の味と言うのか、

京都のお豆腐の味を一度は、食べておきたいんですよね。

 

 

 

 

祇園白川の街並みと似た上七軒通りの街並み。

 

と言うか京都で最も古い花街が上七軒とのことなので

上七軒の街並みと似た祇園白川となるのかな。

 

 

 

光盛大明神

 

祇園白川の舞妓、芸妓さん等に信仰されている辰巳神社。

上七軒歌舞練場近くにも舞妓、芸妓さんなどに信仰されていそうな

光盛大明神がありました。

 

朝早くにとかお茶屋に出向く前とかに

このような規模の祠に舞妓さんが両手を合している姿って

凄く絵になりそうに思うんですよね。

 

 

 

上七軒歌舞練場

 

さすがにお茶屋さんでの芸者や舞妓遊びは無理ですが、

歌舞練場で3月の下旬頃に開催される『北野をどり』の観賞とか、

夏に開催される浴衣姿の芸舞妓さんと気軽に話が出来る

ビアーガーデンを一度位はと思ったりします。

 

 

 

 

北野天満宮『花の庭』の受付開始時刻が近づいてきたので

上七軒散策を終えて北野天満宮へと戻ります。

 

『花の庭』の開花状況は、見頃となっているものの

満開とは表記されていないのが気になる所ではあるのですが

腐っても見頃表記なので膝から崩れ落ちるような

悲惨な状況ではないはずなので楽しみです。

 

 

 

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フランソア喫茶室

2022年12月05日 | 名所めぐり(京都)

 

毘沙門堂門跡の拝観を終えて

緩やかで長い長い下り坂を山科駅まで戻り

東西線の東山駅で下車して

空腹という最高の調味料を携えて

美味しいと評判の天津飯を食そうと

えっちらおっちらとお店まで行ったら定休日。

 

仕方ないので再び東西線の東山駅に戻り

四条河原町に着いた頃には、

四条河原町は、完全に夜の世界となっていました。

 

秋の日は釣瓶落としと言われていますが

それにしても早い。

 

 

 

 

 

 

 

楽しみにしていた天津飯を見事に空振りしたので

前々から暖めていたもう一つの場所へと向かいます。

 

 

 

フランソア喫茶室

 

1934年9月に京都市四条木屋町の町やを改装し開業した

フランソア喫茶室は、2003年に喫茶店として初めて

国の登録有形文化財に指定されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1941年に大規模な改装を行った時のデザインを守り

豪華客船のホールを思わせる装飾を施し、

漆喰の白壁にステンドグラスが彩を添えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高級感を漂わせる漆喰の白壁に赤色の椅子。

珈琲やケーキ等の価格設定は、プチ贅沢な感じ。

 

 

 

 

今日一日歩いて火照る身体に感謝を込めて

アイス珈琲と見ただけで旨いのが分かる

レアチーズケーキをプレゼント。

 

 

 

高瀬川

 

帰路に就く前に高瀬川の岸辺で一休憩しながら

空振りした天津飯に想いを馳せる。

 

 

 

 

横にいる君は、誰だ?

もしかして君は、び び び 毘沙………

 

 

 

阪急梅田駅 果汁屋

 

阪急梅田駅を利用した時には、

毎回の如くここのジュースで喉を潤し

ビタミン補給をして

神戸へ向かう電車に乗り込みます。

 

今回も私の趣味である名所巡りにお付き合い下さり

ありがとうございます。

次回の名所巡りの際も楽しくお付き合いして頂けたら

嬉しく思います。

 

 

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毘沙門堂門跡Ⅲ

2022年12月03日 | 名所めぐり(京都)

 

毘沙門堂門跡境内に入るのに拝観料は必要ないので

拝観時間内であれば自由に入ることが出来ますが

唐門内の本堂、霊殿、宸殿、庭園『晩翠園』の拝観は、

拝観料が必要となります。

 

 

 

 

毘沙門堂門跡の唐門には、

徳川家の葵の御紋天皇家の菊の紋章

一緒に刻まれている所があります。

 

葵の御紋と菊の紋章を一緒に使うことを

許されている神社仏閣は、ここ毘沙門堂門跡

上野の寛永寺と、日光東照宮の三ヵ所だけ。

 

 

 

本堂 木鼻

 

ご本尊の毘沙門天の像は、秘仏で

前回の御開帳は、333年ぶりだったとのこと。

 

 

 

 

本堂内で焚かれる胡麻の煙や灰で真っ黒な天井の本堂内で

僧侶から毘沙門堂門跡と拝観について

10分程度簡単な説明をして頂けます。

 

拝観をするにあたって説明を聞くことは

絶対ではないようですが

興味深く面白い話が聞けるのでお勧めです。

 

 

 

本堂から霊殿へ

 

本堂はもちろんのこと建物内の撮影は禁止されています。

霊殿の天井には、巨大な『八方睨みの龍』が描かれています。

 

 

 

霊殿と宸殿を繋ぐ渡り廊下

 

 

 

閼伽井の井戸

 

霊殿と宸殿の間にある中庭には、

仏前に供える閼伽の水を汲み取るための閼伽井があります。

 

 

 

宸殿からの境内景観

 

宸殿では、逆遠近法を駆使した『動く襖絵』を観賞できます。

 

 

 

宸殿から般若桜と勅使門

 

 

 

 

 

 

晩翠園

 

宸殿の裏側にある江戸時代に作庭された

回遊式庭園『晩翠園』

 

谷川の水を引いて作られた滝。庭園の奥に見える観音堂

心字の裏文字を形取った池の一つの中島には、石塔

一つの中島には、松の木と沙羅双樹が植えられています。

 

 

 

 

 

 

晩翠園 手水鉢

 

一品公弁親王が凄く好まれた鞍馬天然石の手水鉢

上野寛永寺へ下向の砌り牛に引かさせて所持されたそうです。

 

 

 

 

本堂(右)、高台弁財天(奥)、霊殿(左)

 

 

 

 

本殿と紅葉の赤色の世界の中に

紅一点の幸せ絶頂の二人………白一点だな。

 

 

 

 

 

 

 

毘沙門堂門跡本殿を出て

最後に勅使坂の敷紅葉を目に焼き付けます。

 

 

 

 

 

 

勅使門 石段下

 

 

 

 

 

 

毘沙門堂門跡 勅使門坂 敷紅葉

 

 

 

 

毘沙門堂門跡の拝観を終えた時刻が

午後3時半を過ぎとなってしまっていて

もう一か所、予定していた寺院の拝観を諦めることに。

 

 

 

 

初めての毘沙門堂門跡の拝観は、

絶頂期だと思えるような紅葉を観賞できたと思われるし、

想像以上に見所が沢山あって大満足の拝観となりました。

 

これから京都河原町まで戻り、

前々から気になっていた所に立ち寄ってから

帰路に就くことにします。

 

 

 

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