高野山 金剛峰寺の正門
正門は、金剛峰寺の建物の中で一番古く1593年再建されたものがそのまま残っています。
昔はこの正門から出入りできるのは天皇、皇族、高野山の重職だけだったそうです。
中庭言うのでしょうか?
正門をくぐるとこのような広々とした庭があります。
昭和天皇、皇后陛下が植樹されたものを発見。
小玄関
大玄関
小玄関の横手から建物内へと入ります。
高野杉
高野山には高野流の華道もあるのでしょうか。
廊下を取って奥に進みます。
国内最大級の石庭の蟠龍庭
大きな石を使って龍が奥殿を守っている姿を表現しているそうです。
中庭で見つけた桜?梅?
金剛峰寺では写真撮影禁止で取ることが出来なかった
見事な襖絵、特徴ある部屋の数々、弘法大師像等
数多くの見所があり楽しめました。
金剛峰寺の拝観を終えて午後3時位でしょうか。
まだ私達はお昼を食べていないことを知らせるお腹からのメッセージが
「グゥーーーー」と来たので
昼食を食べることに。
どうせなら高野さんらしいものをと歩いて探して検討した結果、
友人はカツ丼で、私は肉丼と肉うどん。
まったく高野さんとは関係の無い昼食となりました。
値段は観光地値段でもなくごく普通の値段で味もまずまずでしたが、
案内もなく自分たちで勝手に席に着いて、お水はセルフ。
私達が呼ばなければ注文を取りに来てくれません。
私達日本人ならその仕組みを理解出来るのですが、
私達が注文をするまでの間に、3組の外国人の方が順次入店してきて
しばらく座っていたと思ったら立ちあがって店外へ。
あれはもしかすると店側から相手にしてもらえず、
無視をされたからと勘違いして出て行ったように思えて、
だとしたら日本人はともかく外国人の方には
声をかけてあげた方が良いのではないかと心配した次第です。
高野山大師教会
高野山はとにかく広大で見所満載でした。
そう度々と来ることも出来ないので
出来るだけ多くを観たのですが、それでも観残したものがあります。
写真は、私の持つデジタルカメラのバッテリーが
機嫌次第で70枚程度で黄色ランプが灯ったり、
150枚でも大丈夫だったりするので
むやみやたらにシャッターを切ることが出来ないのが困ります。
40歳の頃、まだ今のように神社仏閣を見て回ることになるとは
想像もしていませんでした。
そして、今回もそうですが体力がいるということ。
京都にしても高野山にしても、
その場所までは交通機関を利用すればいけるのですが
その場所で歩くこと歩くこと。
ですから歩き回れる体力や筋力がある内に始めた方が宜しいかと思うのです。
特に金毘羅さんとなると今はもう無理かもしれません。
私は、まだ伊勢神宮にお参りしたことが無いのですが
行ったことがある人曰く、かなり歩くそうなので
早めに計画を立てて訪問しなければと思っています。
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高野山壇場伽藍には中門より突入です。
中門は、1843年の大火により焼失し
開創1200年を記念してこの度170年ぶりに再興されたようです。
昔のまま残るのが中門の礎石。
石をあまり加工せずにそのまま積み上げて作る方式で
竹田城の石垣に似た方式です。
新しいお城のようにピッタリと隙間なく積み揚げた石垣は
美しさと石垣を登って侵入することを難しくする利点はあるようですが
水はけがよくなく耐用年数が短くなるそうです。
金堂をバックに記念撮影
根本大塔
別角度から
とにかくでかかった。
金堂
何かを終えて沢山の僧侶が
列をなして金堂の廊下を歩いていました。
大塔の鐘
毎日午前4時、午後1時、午後5時、午後9時、午後11時の
5回に分けて時刻を高野山内に知らせているそうです。
蓮池
明和年間に干ばつが度々と起り、明和8年(1771年)に善女竜王像と仏舎利を寄進し
蓮池の中島に小さな祠を建立しておまつりしたところ、たちまちに霊験があらわれたそうです。
御社の拝殿の山王院
御社
西塔
孔雀堂
准胝堂(じゅんていどう)
御影堂
三鈷の松
六角経蔵
不動堂
愛染堂
大会堂
東塔
高野山の壇場伽藍を初訪問して
意外なほど多くの外国人の姿も見えました。
私が持つデジカメではどうしても全体像ではなく
パーツでしか観ることが出来ませんので
広大な荘厳な壇場伽藍の雰囲気を正確に伝えることは出来ません。
それ以上に、写真で見るのと実際の目で見るのとでは印象が全く違います。
真実を写し取るので写真なのですが、
写真では写し取ることは出来ない何かが存在するように思います。
そして、いよいよ金剛峰寺に向かいます。
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世界遺産の高野山には
以前バスツアーで訪問しましたが、
奥の院だけの訪問で終わっていたので
今回のメインは、伽藍と金剛峰寺です。
今年、高野山は、
開創1200年ということで
数々の法会が行われるのだそうです。
4月2日から5月の21日の間、
80年あまり安置されて秘仏となっていた伽藍本堂の御本尊の御開帳、
金剛峰寺に安置される御本尊の16年ぶりの御開帳があるようなので
それに合わせていつもの友人と電車でゴ―ではなく車でゴ―となりました。
グーグルのマップによると所要時間は2時間21分となっていましたが、
ナビのトラブルが発生。
高野山近くの無料自動車道路を通行中に
道路の繋ぎ目でドン、いやトンと軽く震動したのと同時に
それまでちゃんと道路上を動いていた印も一緒に
トンとジャンプして道路を外れて
私達の車が道路が無い場所を走行している表示に。。。
私達はナビが頼りなので、ナビがおかしくなると
スムーズに高野山にたどり着けません。
一旦、自動車道路を下りて一般道で再びナビをセットすると
正常に作動し始め安堵したのですが、
おかげで30分程度ロスをすることになりました。
帰りにも同じ地域で全く同じ現象が発生したので
これはもう高野山の霊験による影響だと考えたほうが楽しくなるので
そうすることに。
なんやかんやで高野山の入口にそびえる大門に到着。
なかなかの迫力です。
そして、あいにくの小雨模様。
大門の金剛力士像
今回の予定では、見る所が多くあるので
長居せずに大門を後にしました。
そして、せっかく高野山に来たので
再びの訪問ですが独特の雰囲気の奥の院を外すことが
やっぱり出来ません。
奥の院の本来の入り口は、一の橋と言う所のようですが
私達は前回と同じ入口から。
この辺りからまずは有名な企業の御墓が立ち並びます。
作業中や仕事で亡くなられた社員を弔うための御墓のようです。
奥の院の参道は、まさに聖地の雰囲気が漂います。
参道には有名な武将の墓がこれでもかと言う位にあります。
御廟橋の右側にある水向け地蔵は、
奥の院に参拝する人々が御供所で水向け塔婆を求め
このお地蔵さんに収めて水を手向けてご先祖の冥福を祈るそうです。
以前の奥の院訪問の時にガイドをして頂いたお坊さんが、
地蔵さんに水をかけていた多くの人を横目に
あのように直接地蔵さんに水をかけるのは作法として宜しくなく
足元にある場所に水を手向けるのが正しいと話していたのを思い出しました。
御廟橋と大師御廟
御廟橋を渡ると大師御廟への霊域に入ります。
写真には奥に弘法大師御廟が写っていますが
今回は足を踏み入れずここでUターン。
頌徳殿
以前奥の院に来た時に弘法大師御廟までの距離が
かなりあったと記憶していたのですが、
今回は「あれもう御廟橋?」と短く感じました。
奥の院を出発して金剛三昧院に向かう途中にある
苅萱道を訪問。
そして、世界遺産の金剛三昧院に到着したのですが、
あれれれれれ。
ここ、以前のバスツアーで昼食を食べた宿坊の隣にあった寺院の写真を撮った所でした。
以前のバスツアーのガイドさんからも
隣の寺院が世界遺産との案内がなかったのですが
今思えば世界遺産の宿坊で昼食を食べていたことにびっくりです。
金剛三昧院 山門
鎌倉時代に建築された本坊
別角度から見た本坊
本堂
多宝塔
日本で二番目に古い多宝塔とのこと。
経蔵と六本杉
経蔵の脇から上へ続く道を登ると
四所明神社があり、その屋根が痛みカバーが掛けられいました。
さらに上に登ると
毘張尊師社
三昧院の鎮守様で
火災盗難除けに後利益がある天狗様を祀っているそうです。
金剛三昧院の見どころは、
他にも沢山あるようなのですが
私達が行った時には本坊の中に入る事が出来ませんと立て札があり
内部を拝観することが出来ませんでした。
そして、いよいよ今回のメイン
高野山の壇上伽藍と金剛峰寺に向けて出発です。
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和歌山城から一時間強車を走らせると
今日のメインの一つ丹生都比売神社に到着。
ここをナビに打ち込もうとして
何度やっても打ち込めず、
仕方ないので慈尊院(じそんいん)を打ち込み出発。
最新のナビに何故名前が載っていないはずがないと
途中で発見した丹生都比売神社への案内板で
ローマ字表記で読み方を確認。
すると「にうつひめじんじゃ」、
ネット調べで友人が書き写していたのが
「にふつめじんじゃ」
「ふ」と「う」の違いが判明して
打ち込み直すとピッコーンとナビに名前が登場です。
発音も良く似て、文字も良く似ていたので
書き写す時に「う」を「ふ」に間違えたと
友人のぼんやりを少しいじって楽しんだのですが
帰ってから確かめると
あるページには「にふつめじんじゃ」とあり、
あるぺーじには「にふつひめじんじゃ/にうつひめじんじゃ」と
ダブル表記。
友人は書き写しミスをしていなかった可能性が大ですが
このことはまだ友人には伝えていません。
輪橋
厳島神社にもあったま~るい橋です。
ここも同じで歩いて渡れないのが残念。
境内
本殿
ここも世界遺産ながら
京都の下賀茂神社や上賀茂神社や平安神宮に比べると
敷地はそう広くなく
写真を撮ってお参りをして、
滞在時間は25分くらいで終えて
ここから近くにある
「慈尊院」と「丹生官省符神社」に向けて出発。
出発したと思ったら女人高野と呼ばれる「慈尊院」に到着。
ここに弘法大師の母が住んでいたと言われています。
多宝塔
境内
拝堂
もともとの「慈尊院」は、
紀ノ川の河川敷に位置しており
洪水によって伽藍が流されてしまい
1540年に現在の場所に移されたそうです。
その所為なのか敷地はそれほど広くはありません。
滞在時間は、20分程度で終了し
今回の最後の目的地の丹生官省符神社へ車で向かうつもりが
なんと隣接していて移動時間は0です。
しかし階段が。。。
登りたくないのですが、登らなければで、
紀州東照宮の階段のダメージが残っていたようで
息が切れる前に足の筋肉が悲鳴を上げて一休み。
その一休みだけで制覇した階段を上からパチリ。
どうでしょうか。結構急な階段でしょう。
比叡山の根本中堂を訪問した時の文殊楼へと続く階段を思い出しました。
拝殿
本殿
ここも敷地は広くなく
滞在時間は、20分程度で終了。
今回の「丹生都比売神社」も「丹生官省符神社」の規模は小さくても
本殿はどちらも立派で綺麗でした。
今までの京都、奈良では
一つの施設に約1時間から長い時で2時間くらい滞在するので
三か所の移動時間と滞在時間を4時間から5時間として
計算していたのですが
予定の時間よりも随分と早く終了することが出来たので
和歌山ラーメン発祥のお店と言われる井出商店に行くことに。
実は、お昼はそこで食べる予定で
11時30分にお店の前まで来ると
行列が出来ていたのでお店をスル―して昼食もスル―して
拝観へ向かいました。
井出商店へ到着したのが午後3時30分ほど、
さすがに行列は無くなり待ち時間なしで店内へ
味の方はと言うと
昔ながらの中華そばにとんこつが合わさった感じで
私の感想としては
悪いとも言えず格別に美味しいとも言えずの感じ、
また食べたいとまで思えず、
もう食べたくないとまでは思わない感じ。
特徴がハッキリしているので
好きな人はハマる味かもしれないと思います。
これで和歌山の世界遺産の3つを制覇。
残すは那智の滝方面と高野山の残りがターゲットとなりますが、
高野山は神戸からの距離がまずまずですが、
那智方面は、ちょっと遠いのでいつ決行するか
決行するとしたら一泊か、それとも強行軍か、
悩む所です。
しかし、小旅行を行い始めて思うことは
日本は見所が沢山ある良い国だなと今更ながらに思うのでした。
自然を大切に、文化を大切にして守り続けてくれた先人たちに感謝。
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久しぶりの小旅行、
今回は、和歌山県の世界遺産巡りです。
朝、6時30分に車で出発して
午前9時頃に
第一の目的地、紀州東照宮に到着。
紀州東照宮は、
世界遺産登録はされていませんが、
ご祭神は、徳川家康公と徳川頼宣公で
西の日光とも称されているとのことで
この機会に訪問することに。
参道は砂利ではなく石畳の参道。
参道を少し歩くと
正面に108段の階段が見えてきました。
以前の金毘羅さんの階段で
日頃の運動不足を思い知らされて以来、
階段を見ると気持ちが凹みます。
おっちらおっちらと登り、
ようやく楼門までたどり着きました。
楼門の色鮮やかな装飾は、
京都永観堂にあったのと良く似ています。
紀州東照宮の楼門
唐門と拝殿
三つ葉葵のお賽銭箱
拝殿がある敷地は、そんなに広くはありませんが、
趣きを十分感じることができます。
滞在時間は約30分程度で帰路に。
ところが、またまたやってしまったかもしれません。
帰宅してから紀州東照宮のホームページを見てみると
むっむっむっ。
「本殿・拝殿の周囲には、安土桃山時代の遺風を受け継ぐ江戸初期の彫刻や壁画があり、
その御由緒を職員が説明しながらご案内します。詳しくは社務所まで」
と有るのを発見。
もしかすると申し込みをすると柵の向こう側に
入ることが出来、西の日光と言われるゆえんの
彫刻や壁画などを見ることが出来たかもしれません。
今後行かれる人は、社務所で確かめて下さい。
東照宮を後にして次の目的地、
徳川繋がりで
初めての訪問となる和歌山城へと向かいました。
事前に見た写真では、かなりの期待をしています。
車を数分走らせると和歌山城に到着です。
追手門
岡口門
石垣に残る刻印
天守閣
楠門
県の職員でしょうか。
写真には写っていませんが
この日、忍者の格好をした2名の女性が
観光客と一緒に写真を撮ったり撮ってあげたりしていて
和歌山県も城のアピールに力を入れているようです。
どうせなら
私も記念に一緒に撮ってもらえば良かったと
和歌山城を出てから思ったのですが後の祭り。
天守閣から見る和歌山市内
御橋廊下
御橋廊下内
御橋廊下から見る風景
庭園へと向かいます。
紅葉渓庭園
最後に和歌山城をパチリ。
和歌山城は、
1945年のアメリカ軍の大規模な爆撃によって
国宝に指定された天守などの11の建造物が全て消失したそうで
現在あるのは再建されたもので
もともとのものとしては岡口門と石垣くらい?
ゆえに外から見る分には城ですが、
中に入るとどこかのビルの中で展示物があるような感じで
ちょっと残念な感じ。
大阪城も見たような感じですが
もう少し城の感じがしていたような気がします。
小学生のころの記憶ですが、
外から見ても、中には行っても城だったのが姫路城。
あっそうだ。姫路城が白い内に姫路城に行かなければ。。。
和歌山城訪問を終えて
いよいよ本日のメイン和歌山の世界遺産に登録されている13の内の
丹生官省符神社 慈尊院 丹生都比売神社へと向かいました。
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三宮 東遊園地
今回は、京都世界遺産巡りを一旦休止して
バスツアーに参加して
同じく世界遺産の高野山へと向かうことにしました。
ツアーの待ち合わせ場所は
三宮東遊園地です。
集合時間には早かったのでセミの鳴き声が鳴り響くなか
少し公園の中を歩いたのですが
遊園地内の木の幹や枝、葉にまで無数のセミの抜け殻を発見!
セミの抜け殻の数に気を取られている間に
10数箇所のモスキート攻撃を受け
両足全体にものすごい痒み発生。
バスツアー出発
これ、まだ酷い痒みを堪えています
途中2箇所のサービスエリア休憩を経て
ようやく高野山に到着しました。
高野山 奥の院入口
手水舎で身を清めてから中へ
手水舎は神社の作法と思っていたのですが
どうやら神社だけとは限らないようです。
長い参道の両側には
数々の有名企業の広告塔のような墓石が
立ち並んでいたかと思うと
奥に進んでいくにつれ
歴史に名を残している数々の人たちの墓石も
立ち並んでいるのを目にする頃には
その京都とはまた違う独特の雰囲気に
多くの人は圧倒されるのではないでしょうか。
歴史的有名人の五輪塔
前に見えるのは今回高野山をガイドして頂いた僧侶と思われる方です。
へえ~、そうだったのか高野山
そうだったのか仏教といった感じで
沢山のことを教えて頂き多くのことを学ぶことができました。
私達にとって高野山は初めての訪問となります。
私が高野山に対して持っていた事前イメージが
あったのですが、
個人が勝手に持ったイメージの不正確さというものは
恐ろしいものですね。
奥の院到着
橋から向こう側は神聖な場所で
4つほどの禁止事項が、
禁煙と写真撮影禁止と
参拝する時の服装として
ノースリーブや短パンといった
肌を多く露出するような服装は厳禁で
外国の仏教国では追い返されるところもあるそうです。
あと一つあったはずなのですが
何と忘れてしまいました。
日本で二番目に古いとされる
金剛三昧院の多宝塔
その近くの宿坊で頂いた精進料理。
食べる前に奥の院をガイドをして頂いた方が
「精進料理は色を食べるもので美味しくないですよ。
期待しないでください。」
と冗談ぽく説明してくれていたのですが、
旅館で食べる料理並に美味しいものでした。
そして、仏教の世界、高野山の世界に
どっぷりと酔いしれた後、
バスは、もうひとつの目的地
美肌効果の高い泉質で日本三美人の湯の一つ、
龍神温泉の湯にどっぷりとつかるために向かいます。
龍神温泉 元湯近くの風景1
龍神温泉 元湯近くの風景2
龍神温泉 元湯の入口
本当にちょうど良い湯加減で
長くゆっくりと浸かり体の芯まで温められます。
感想を一言で言うと、
「肌、ツルツルやん。」
ちなみにこのバスが今回のバスです。
長い時間、バスに乗っていましたが
幸運にも今回のバスは新幹線のグリーン車よりも
広い座席スペースでしたので
快適そのものでした。
今回の高野山、龍神温泉バスツアーの料金は
何と7000円をちょっと切る値段。
お値打ちものでした。
京都より始まった世界遺産及び神社仏閣巡りですが
小学生の修学旅行で行った時には
感じ得なかったものを感じます。
その感じを言葉でうまく表現できませんが
それはディズニーやユニバーサルで得ることのできるものとは
また違うものです。
だからと言って、その感じを得るための行動を起こすのは
「今でしょう!」と開始しても
私が感じ得ているのと同じようなものを感じられるとは限りません。
その行動を起こす、その人のベストの時期は
その人の心がある感じで教えてくれるはずです。
その時には
是非、体験をしてもらいたいと思います。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計