心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

意図するもの

2012年09月23日 | 罪悪感


私達が生きるということは、

何らかの形で誰かと関わりを持つということです。



この時、違う価値観や考え方を持った者同士が

関わり合いを持つことになりますから、

ひと悶着が起きても不思議ではありません。



そんな時、

個人の領土の境界を態度によって相手に示し、

むざむざと侵害されないように、

ステップワークでその相手と適度な距離をとったり

適度に向こうへと押しやったりすることになります。



そして、接触回数や時間が増えるにつれて、

互いの距離が遠ざかったり、近付いたりと揺らめきながら、

価値観や考えを同じくすることが多い人とは深く、

異を多くする人とは浅く関わるというように、

互いが気持ち良くいられる距離感が確定していきます。



理想と言うか、通常はそうなのですが、

このような事を目的とするのではなく、

他の目的を持って関わりを持とうとする人がいます。



自分の劣等感を自分が変わることで払拭するんではなく、

相手をやっつけることでその目的を達するためであるとか、


自分のイライラや不満や怒りを吐き出すための

サンドバック代わりとするためにであるとか、


あるいは、相手から何かを奪い取ることが

真の目的であることもあります。



そのような目的を持っていた場合、

その目的を達するために、よくみられるパターンとしては、

自分が被害者であることを強調し、

相手を加害者の立場に設定しようとします。



「あなたのあの言葉で、どんなに私が傷ついたか分かるか。」

「どうして、あの時、気が付いてくれなかったのか。」

「あんなことをした(してくれない)ことで酷く苦しんだ。」

「馬鹿にするな。」「冷たくするな。」「大切にしろ。」

「普通、そんなことをしないだろう。(言わないだろう。)」



だから、「私に謝りなさい!」「私に与えなさい!」となります。



この時、悪者等とというレッテルを張られたくないあまりに、

非難について説明し、何とか誤解を解こうと汗をかいても、

真の目的は別の所にありますから容易くはありません。



仮に、その人が納得したり、誤解が解けたような態度を示したとしても、

それは誤解が解けたのではなく、

その人にとっての何らかの目的が

幾分か達成できたと言うことでしかありませんから、

何かの機会を見つけては、再び同じことが繰り返されます。



しかし、これらの主張には無理があるので、

その主張の不自然さや強引さを突かれると、

論点や話題を別のものや、

以前に誤解が解けたはずのものをも再び取り上げ、

以前の話し合いがまるで全く無かったかのように責め続けたりします。



加害者の立場と悪者の立場となりたいない故に、

度々に繰り返されるその人からの主張を、

一つ一つ丁寧に拾い上げ、その全ての誤解を綺麗に解かなければと、

分かってくれるはず、理解してくれるはずと、

頑張れば頑張るほど、

被害者と加害者の関係の設定に取り込まれ、

相手にペースに振り回され、

気が付かない内に、抜け出せず網の中でもがく小鳥のような状況に

追いやられてしまいます。



このような状況から抜け出し、自分を護るためには、

その相手から加害者、悪者のレッテルを

張られることを恐れないことです。

その相手から、良い人、良識人等のレッテルを

張ってもらわなくて良いことを決断することしかありません。



互いが気持ち良く関われる距離を模索するのではなく、

関わりを断つことを、いつ決断するかになります。



まわりを見ることを忘れないでください。

あなたに好意を向けてくれる人、良い印象を持ってくれる人は、

他にも沢山いると言うことを忘れてないで欲しいのです。


催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計

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