1979年 アメリカ・ロサンジェルスで
ある男性が「余命が後1年と告げられたが死ななかった。」
との理由で診断した医師を告発しました。
この裁判の判事は、男性の訴えを認めて
医師に賠償金6万ドルの支払いを命じました。
この記事と似たような出来事を
以前、読んだ記憶があるんですよね。
医師から余命を告げられて男性が
ではとあの世にお金を持っていけないと
財産を使い果たしたが
後で結局誤診であることが判明して
医師と病院を訴えた男性と同じ話?
完全なる誤診であるならまだ理解できますが
誤診は余命に限ってあるなら
余命宣告よりも長く生きることが出来たら
良かった良かった。
有難や有難やとなりそうなものですが………。
医師からの余命宣告は
残り少ないであろう人生において
今まで選択肢に入れてこなかったものも
選択肢に入れて判断する機会を
与えてくれるものだと思うのです。
医師の余命判断に少々のずれが生じたことで
患者からの賠償請求が認められると
医師側からすれば患者さんの助けになればの
余命宣告には大きなリスクが伴うようになります。
患者
「先生、私は後どれ位生きられるのでしょうかあ?」
医師
「さあ………。」
患者
「先生、先生の見解を教えてください。」
医師
「正確でないことを言うと
後々問題になるかも知れないので
さあとしか言えません。」
なので宣告する余命に関しては
あくまでも目安であることを理解し承諾する書類に
サインをしてもらう必要が生まれたかもしれません。
このようにして書類にサインする書類や項目が
増えていくのかも知れませんね。
サインする書類や項目が増える度に
社会において人間関係がギスギスしてくるような気も………。
アメリカのような多民族国家の場合には
価値観や倫理観の違いや民族間の疑いを
契約が間を取り持つ
大きなアイテムとなるのかも知れません。
不確かな情報でどこかで聞いたものでしかないのですが
結婚前に夫婦間での色々な約束事に
サインをするのが増えていて、
その内容は、離婚後の財産の分け方、慰謝料について、
夫婦の夜の営みの回数、家事の分担、
奥さんの洋服の購入額、外食の回数や金額等々、
多岐にわたるそうです。
ガチガチに契約で縛りの結婚生活を始める二人。
互いが納得し良ければ、
他人が何か言うことではありませんが、
そんなんで幸せなのかあんたら?
色々な意見や考えが有るかと思いますが、
日本のように単一民族による国家の場合には、
国民には自然と共通する価値観や倫理観があるはずなので
譲り譲られ、許し許されながらではなくて
書類にサインする数がどんどんと増えるような
社会になって欲しくないかなと思ったりするのです。