日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

岸田首相をおろしても、自民党の支持率回復は無理だと思う

2024-03-16 22:49:15 | 徒然

朝日新聞のWebサイトを見ていたら、「補欠選挙で自民党が議席を獲れなかったら、岸田降ろし」という趣旨の記事があった。
朝日新聞:逆風自民「鳴りやまない電話」衆院3補選「全敗なら岸田降ろし」も 

衆議院補選の内、一つは自民党の重鎮の一人だった細田博之氏の逝去に対する選挙だが、残り2つはいわゆる「自民党裏金問題」に関連し、逮捕されたり辞職したことによるもの。
いずれも自民党が強い選挙区で、これまでの選挙であればすんなり後継者が選ばれ、公明党の協力を得るにしても盤石という言葉が似合うような選挙区だ。
これまでであれば、自民党幹部が乗り込むことなく楽勝してきた地域ということになる。
だからこそ、「3勝できなれば、岸田首相の求心力が無い」と党内では判断される、ということなのだろう。

このような楽天的な発想や考えに、驚くのは私だけではないと思う。
何故なら、岸田総理という「自民党の顔」を替えたところで、有権者の心は自民党から離れてしまっているからだ。
確かに、故細田さんの地元は島根1区で、代々細田家の地盤と言われてきた。
ところが、今回の選挙では細田さんが後継者指名をする前に亡くなられたことから、候補者選びに時間がかかってしまった。
「細田さんになら投票するけど…」という、選挙区ということでもあるのだ。
このような選挙区は「自民党」ではなく「細田さんという個人」に対して投票していた、ということでもある。

上述した通り、残り2補選は、いずれも今回の「自民党裏金問題」で、議員辞職をしたり逮捕されたための補選ということになる。
「安倍派幹部」と言われている人達が「政倫審」で答弁し、「私は関係ない・知らなかった」ということを言っても、有権者の多くは信用していない。
信用していないどころか、「どの口が言う」とある意味蔑んだ視線を浴びせている、というのが現状だろう。
そのような有権者の気持ちも知らないで「補選3連敗なら、岸田さんを総理の座から降ろす」という、身内思考にもほどがあると感じるほどの、社会とのズレ感は、ますます自民党という政党に対しての不信感を与える結果となっているのではないだろうか?

有権者の中には「自民党そのものが解党しない限り、自民党議員は信用できない」と、考えている人もいるのでは?
「危機感」もないまま、「総理の顔を替えて支持率回復」と考えられるのは、相当な鈍感力の持ち主たちの集まりが「自民党」という政党なのだろう。



人の欲で、異形化される動物たち

2024-03-14 19:54:59 | 徒然

朝日新聞のWebサイトを見ていて、「動物保護団体の皆さん、出番です!」と思うような記事があった。
朝日新聞:巨大ヒツジ、違法にクローン作製か 狩猟愛好家向け 米国で高額取引 

欧米の富裕層の中には、ハンティングを趣味としている人達が一定数いる。
特に米国等では、その傾向が強いようだ。
これまでも、野生のライオンをハンティングする人達が後絶たず、問題になってきていた。
ハンターが、大きな個体を選ぶ理由が「トロフィー・ハンティング」という言葉がある通り、「自分のハンティング力の凄さを示す、トロフィー」だからと、再三指摘されてきた。
ナショナルジオグラフィック:なぜライオンは今も狩猟の対象なのか? 

ハンティングした動物の個体が大きく、健康的であればあるほど、トロフィーとしての価値がある、という訳だ。
しかし、このような野生動物に対するハンティングそのものは、様々な規制がされるようになってきている。
「保護区内でのハンティングの禁止」などになるのだが、それでも「自分のハンティング力の誇示」という欲求は、終わりないようだ。
その終わりなき欲求が、今回希少性の高い動物をクローン技術を使って、複製だけではなく巨大化させることとなったのだろう。
高額値段で取引されている、という点から考えると、希少性と巨大化という2点で、ハンターの満足度を上げているのだろう。

このような、人の欲によって本来あるべき姿ではない形に作り替えられる、ということは動物保護という点においてどうなのだろう?
確かに、現在人気となっているペットの一部は、人工交配によってつくられてきている、と言われている。
室内でも飼いやすい毛の短い(あるいは、ほとんど毛がない)犬等は、わかりやすい例だろう。
結果として、このような形で作られたペットたちの多くは、病気になりやすかったり短命である傾向が強いと、言われている。

このような人の都合によって、異形化される動物たちの存在は、果たして人間にとってプラスなのだろうか?
ハンティング用の場所で、飼われているのだから関係ない、と「動物愛護団体」の方たちは、言い切れるのだろうか?
かつてのように、ハンティングそのものが暮らしの中にあった時代や、日本で行われているような害獣駆除目的と、趣味としてのハンティングとでは、目的が違う。
毛皮等に対して「反対」を訴えるのであれば、まず「トロフィーハンティング」や、ハンティングの為に異形化させられる動物たちに対して、まず声を上げるべきなのではないだろうか?


「癒える日」は、こないのかもしれない

2024-03-11 21:48:59 | 徒然

13年前の今日は、ご存じの方も多い「東日本大震災」が、起きた日だ。
あの日から13年も経ったのか?という思いもあるが、被災者、特に大切な方を亡くされた方々にとっては「まだ13年」という気持ちなのかもしれない。
というよりも、経過していく年月とは関係なく「被災によって失われた気持ちは、癒される日はこないのかもしれない」という、気がしている。

今から30年前、大ベストセラーになった故永六輔さんのエッセイ「大往生」という本を、読んだことがある。
この中で、永さんは親しくされていた故坂本九さんとそのご家族の方について、書かれていた。
坂本九さんは、日航機事故により御巣鷹山で亡くなられている。
残された遺族にとって、ついさっきまで元気に連絡をくれていた夫や父が、突然飛行機事故によって亡くなってしまった、という衝撃は想像以上のことだったはずだ。
そして、亡くなられてから10年ほどの時間が過ぎた頃くらいから、その死を受け止められるようになった、という内容のコトが書かれていた。
永さんは「大切な人の突然の死を受け入れるまでには、10年という歳月が必要なのかもしれない」と、書かれていたように記憶している。

「阪神淡路大震災」の時も、約10年ほど経過した頃から、被災地に日常が戻り始めている、と言われていたことを考えると、永さんの「10年」という時間の経過は、ある程度当てはまるのではないか?と、考えていた。
しかし「東日本大震災」に関しては、その「10年」という時間は当てはまらないのかもしれない。
というのも、「東京電力福島第一原子力発電所事故」の処理が、完全に終わっていないからだ。
例え終わったとしても、あの「残骸」と化した建屋が朽ち果てても、強制避難をされた人達にとっては一生癒えない心の重りのようなモノとなって、残っていくのでは?という、気がしている。

それだけではなく、震災の場合「目の前で家族を失った」という経験をされている方にとっては、懺悔と後悔の繰り返しなのでは?という、気がしているからだ。
その心を癒す為に、様々なサポートが必要な場面はこれからもあるだろうし、場合によっては「サポート」ではなく、その思いを持ち続けることが、一つの癒しとなるのかもしれない。
それほど、衝撃的な出来事だったはずだし、その気持ちを当事者ではない私にはわからないからだ。

だからこそ、記憶の片隅に残しておく必要があるという気がしている。


「裏金問題」を抱えている自民党は、大谷翔平選手に感謝した方が良いかもしれない

2024-03-01 19:15:28 | 徒然

この寒暖差の激しい毎日で、体調を崩したらしい。
昨日は、どうしてもブログを書く元気が無く、早々に休んでしまった。
そして深夜フッと目を覚ますと、近くにおいてあるスマホに「速報」が表示されていた。
その「速報」とは、米国のドジャースへ移籍をした大谷翔平選手が、結婚を発表した、という内容のモノだった。
別段大谷選手のファンではないのだが、常にさわやかな笑顔を絶やさず、マウンドやバッターボックスに立った時の、真剣な眼差し…メジャーリーグのシーズンになると、日々報じられるほどの大活躍をされている。
人気も実力も格の違いを見せるほど大活躍をされている大谷選手の結婚報告だ。
驚かないはずがない。

日本のメディアも、結婚相手は誰?と、色めき立つほどだったのではないだろうか?
その陰に隠れたかのように、昨日の岸田首相に引き続き「自民党の裏金問題」の渦中の人物たちの政倫審が今日開かれた。
話題としては、大谷選手の結婚よりも重要度の高いはずの政倫審なのだが、昨日の岸田首相の答弁を見て「茶番だな!」と思われた方々にとっては、今日の内容等は「聞くに足らず」という内容である、ということは最初から想像していたはずだ。
事実、昨日よりも想像ができるほどの、台本の茶番劇だったような印象を持っている。

人の注目というのは、喜ばしいことや悲しいこと等に対して高い関心を持つことが多い。
大谷選手の結婚報告等は、喜ばしいことであり、野球ファン・大谷ファンならずとも、お祝いを言いたくなるようなおめ出たい出来事だった。
それに対して、上述したように今日の「安倍派4人衆」の政倫審は、終始自分たちは、悪くないもん。あずかり知らないところで起きたことだもん!」という内容だった。
日本の政治家に限らず、日本の多くの組織は「言葉に出さずともわかってくれ」という、風潮がある。
特に主従関係がある状態では、この「言葉にせず、雰囲気で理解する」ということが、求められる傾向が強いと、感じている。
だからこそ、「私のあずかり知らない件」という言葉で、秘書や事務方となる人に責任を負わせることができるのだ。
そのような「察しの良い人材」が、政治の世界だけではなく企業の中でも重宝がられ、重用されてきたのだ。

だからこそ、多くの有権者は「政倫審」を開催した、という事実が重要であり、その内容は関係がないと、思って、茶番をするのだろうと、想像していたのではないだろうか?
有権者の方が、優れた台本を書いていたかもしれないし、その台本通りの展開に、ヤレヤレと思った方々も多かったのではないだろうか?

数年後、10年後の今日の記憶として残るのは、おそらく大谷翔平選手の結婚だろう。
逆に「自民党パーティー券裏金」については、思い出す人はほとんどいないのではないだろうか?
とすると、自民党安倍派の4人衆は、自分たちの悪さを忘れさせてくれた大谷選手に、感謝すべきかもしれない。


呆れはててしまうほど、劣化が進む自民党?

2024-02-25 21:26:01 | 徒然

「ほとほと呆れてものが言えない」とは、このことだろうか?
財務大臣が「納税を行うかは、議員の判断」と、国会で説明をしている。
勿論、この発言に対してX(旧ツイッター)等では、「国民も、自分の判断で納税するか・否かを決められる」というポストが、されているようだ。
Huffpost:鈴木財務相「納税行うかは、議員が判断すべき」発言に怒り爆発の人続出。「国民も自己判断でいいってこと?」 

中学生の頃(だったと思うのだが)、「国民の義務」の一つに「納税」があったような気がする。
だからこそ、サラリーマンは、天引きで所得税を支払い、自営業者や不労収入等があった人等は、「確定申告」という方法で、納税をしている。
鈴木財務相の言葉からすると、「議員は国民ではないので、納税の判断は自分で行うべき」という解釈にもとれる。

もう少しツッコみをするなら、「(国会議員は)国民の代表ではあるが、国民ではない」とも読み取れる。
確か国会議員は、「日本国民でなくてはならない」とされていたと思うのだが、鈴木財務相はどうやら日本国民ではないらしい。
そして「パーティー券」の売り上げを懐に入れ、報告をしていなかった国会議員も日本国民ではない、ということになる。
とすれば、日本国民ではない人が立候補をし、有権者がそれを認め、当選させてきた、ということになる。
一体彼ら・彼女たちはどこの国の人達だったのだろう?
単純に、そんな疑問がわいてくるのだ。

「自己保身の為の詭弁」のつもりで、国会で発言してしまったのかもしれないが、あまりにも軽率すぎる発言ではないだろうか?
何故なら、国会の予算委員会での発言は「議事録」として残るからだ。
後で「修正」という訳にはいかないからだ。
勿論、後日「発言を訂正したい」という趣旨の発言を基に、訂正することはできるとは思うのだが、一連の発言内容は記録として残される。

本来であれば、国会での発言というのは、それほどまでに重みがあるはずだし、真剣に考え議論をすべき場所でもあるのだ。
いつしか、そのような場であるはずの国会が、変わってきてしまったようだ。
一部では、安倍元首相があのようなカタチで亡くなってから、自民党がダメになった、と考えられている方もいらっしゃるようだが、個人的には安倍元首相が隠ぺいしていたモノが一気に噴き出してきたのでは?と、考えている。
それほどまでに、安倍元首相を中心に自民党は国会という場を軽々しい場所にしてきた、という印象を持っているからだ。

鈴木財務相の言葉は、その一つの現れだったのではないだろうか?
国会議員だから偉いのではない、国民と同じように納税義務はあり、その単位は1円まで報告すべきなのではないだろうか?
日本国民の代表者としての「責任」があるのであれば、それは当然のコトだと思う。


そのお金を公立図書館に振り当てて欲しい ‐突如計上された二階氏の書籍代‐

2024-02-15 19:32:21 | 徒然

昨日から話題になっている、自民党元幹事長の二階俊博氏の「3470万円」の書籍購入費。
突然、この金額が計上されたこと。
何よりも常識的な「書籍購入額」ではなかったこともあり、問題視されている。
東京新聞: 【一覧】二階俊博氏が数千冊も買った本に政治家の名前 3年で3,470万円、高額な書籍代の内訳 

確か昨日の二階氏側の説明では、「最低ロット数の購入を出版社から言われた」という趣旨の話を、されていたように思う。
この時思ったのは、ゴーストライターが二階氏の名前で本を書いたのでは?という、ことだった。
その理由が、出版社側から「最低ロット数の購入」という趣旨の話をされた、ということだったからだ。

いわゆる出版社に持ち込み企画として、本を出版するように働きかけると、出版社側も極力リスクを回避するため、最低ロット数は購入して欲しい、という条件を出してくるだろう。いくら自民党の重鎮と言われる人であっても、ゴーストライターに書いてもらった内容であっても、自分の名前で本を出版するのであれば、さもありなんと考えたからだ。

ところが、一番多く購入した本を書いたのは、二階氏ではなく政治記者と呼ばれる方が書かれている。
他の本も同様だ。
とすれば、最低ロットで出版したが売れ行きが悪いということであれば、在庫を抱えるのは二階氏ではないのでは?
元々取材対象者が二階氏なだけなので、二階氏が積極的に購入する必要が無かった本を大量に購入した、ということになる。

そして、「購入した書籍は、パーティーなどで渡すつもりだったが、コロナ禍で後援者に渡すことができなかった、という話もされている。
この話を聞いた時、随分前に自分の名前のを入れた盆踊り用の団扇を、後援会を通して盆踊り会場で渡した議員さんが、「公職選挙法」で告発された、ということがあった。
盆踊りの団扇に比べれば、今回の本の方が高額であり、購入した部数も遥かに多いのでは?と想像すると、「公職選挙法」等に抵触する可能性もあるのでは?
先の「盆踊りの団扇」に関しては、不起訴処分となり政治家に対するお咎めなし、ということでわわったのだが、今回も同様なのだろうか?

このように疑問点を積み上げていくと、二階氏側の説明に矛盾のようなことが次々と出てくるのだ。
自分の宣伝の為に、政治記者に本を書かせ、それを支援者に配布する、ということは、本の内容が相当脚色され、二階氏を美化下内容である、と考えるべきかもしれない。
現実離れした虚像を政治ライターと呼ばれる人に書かせたうえで、支援者に本を渡すことは「選挙活動の一環」なのではないだろうか?

個人的には、それだけのお金をかけ、もらった人がブックオフなどに売り捌いてしまうことが目に見えるのであれば、それらのお金を図書購入費が減額されている様々な自治体の図書館が購入資金の足しにしてほしい、と思うのだ。



政治“家”に関する規範的な法律は、国民が決めるべきかもしれない

2024-02-12 23:16:21 | 徒然

先週末から、バタバタとしブログを書く気力がないまま3連休を過ごした。
その間にも、自民党幹部による「裏金問題」に対する不満のようなモノが、国民の間では燻り続けている。
その大きな理由は、「裏金問題」の渦中の自民党幹部が、「修正報告」という方法によって自身の罪を逃れている、と多くの有権者が感じているからだ。

というのも、有権者にとって「納税」は義務であり、例え修正報告をしたとしても、その後「追徴課税」等の罰則があるからだ。
にもかかわらず、自民党の幹部や大物議員と呼ばれる人たちは「修正報告」のみで、お咎めなしとなっている。
有権者というよりも国民にとって、この処分は納得がいかないはずだ。
だからこそ、「裏金問題」が発覚してから今に至るまで燻り続けているのだ。

これまで、政治“家”に対する様々な優遇的な法整備がされてきた。
それは当然だろう。
国会議員がその法律を決めているのだから。
どうしても身内に甘くなるのは、国会議員でなくてもあることだ。
だからと言って、国民は「法律」という枠の中で、生活をし経済を動かしている。
決して「自分に甘い法律」という枠の中で、日々生活をしているわけではない。

国民に対してそのような枠をはめ込んでいるにも関わらず、政治”家”自身が律するどころか自分たちにとって甘々な枠の中にいる、ということが徐々に判明してきている。
そのことに気づかず(あるいは気づいていても知らない顔をしている)に、「自分は悪くない」と言わんばかりに、「政治と金(正しくは「選挙と金」だろう)」という問題から目をそらし続けている。

このような問題が明らかになってしまったのだから、「政治“家”に関する法的な規則は、国民が決める」という方向へ持っていく必要があるのでは?という、気さえしている。
「自分に甘く、他人に厳しく」では、「国民の為に働く政治家」という期待ができないからだ。
以前から言われている「永田町村社会」で通じることは、世間では通用しないのに、それが通じると思い込んでいる政治”家”が、あまりにも多いということも、期待できない理由として挙げられるかもしれない。

「派閥解消」で幕引きを考えていた、と思われる岸田首相の思惑とは、全く違う方向へと世論が動き始めている。
この世論の動きは、岸田首相にとっては「何故なんだ?」という気持ちかもしれない。
それほど、政治“家”と国民との間には、大きな溝が生まれてしまっているのだ。
何ごとにおいても、原因と結果がある。
長らく言われていた「政治不信」の原因の一つが、今明らかになっているのだ。
その解決策を考え、実行するだけの覚悟を岸田首相は持っているのだろうか。


久々に聞いたフレーズ「記憶にございません」だが・・・。

2024-02-08 19:44:15 | 徒然

朝日新聞のWebサイトを見ていたら、40数年ぶりに聞いたフレーズの見出しがあった。
朝日新聞:「記憶にございません」10連発 盛山文科相、教団接点巡り答弁迷走 

盛山文科相の言った「記憶にございません」というフレーズをすぐに思い出すことができるのは、50代後半くらい以上の年齢の方たちだろう。
この言葉を国会の場で初めて言ったのは、ロッキード事件で追及された小佐野賢治だった。
小佐野賢治と聞いても、「誰?」と思う方の方が多くなっていると思うのだが、戦後のフィクサーとも呼ばれた政財界に名をとどろかせた実業家だった。

フィクサーと呼ばれるにふさわしく、小佐野賢治の交友関係はとても広く特に金丸信や中曽根康弘と言った当時の自民党幹部とは懇意であった、と言われている。その中でも時の総理であった田中角栄とは親しかった、と言われており、「ロッキード事件」では、小佐野賢治と田中角栄の贈収賄等の疑惑が、獲り沙汰されることになったのだ。

その後「ロッキード事件」については、米国の陰謀説等も言われるようになったが、この事件が発覚した当時は、小佐野賢治だけではなく、日商岩井等の商社の社長等も「証人喚問」として呼ばれ、その宣誓書にサインをするときは、緊張のあまり手(だけではなく腕まで)が振るえ、サインができなかったという人物もいた。
それほど、国会で証人喚問されるということは、緊張感のあるものだったのだ。

最近の「証人喚問」の映像とは全く違う張り詰めたものがあった。
だからこそ、「記憶にございません」という、逃げの言葉に対しても喚問する側はしつこく、言葉を選びながら丁々発止を繰り返していた、と記憶している。

それに比べ、最近の国会での「記憶にございません」という言葉の軽いこと。
今回の盛山文科相の答弁も「記憶にございません」という言葉で、物事をうやむやにしてほとぼりが冷めるのを待っているように感じた。
小佐野賢治の場合は、フィクサーと言えども国会とは関係のない一般人に対して、今回の盛山文科相は通い慣れた場所という違いがあったにせよ、とにかく緊張感がないように感じるのだ。

もしかしたら、この軽さは「本当にこの人大丈夫?」と感じさせる答弁だからかもしれない。
勿論、質問力という技量の問題もあるとは思うのだが、のらりくらりと「埒の開かない」答弁に、イライラしてくる。
そしてもっと驚くことは、このような人物を更迭せずにいる、岸田首相の政治家としての感性だ。
かつての自民党は、このような不祥事が起きると、すぐさま離党させていたような印象がある。
自民党という政党を守るためには、このような手段も辞さない、という首相の意思を感じさせたのだ。
それが、岸田首相に限っていうなら、様々な疑惑が指摘されても、その重大性が理解できないのか?あるいはまったく関心がないのか?「我関せず」という態度なのだ。
それが、内閣支持率低下という状況になっても、続いていることに、岸田首相の政治家としての感性の不思議さを感じる。


「原作ドラマ」の難しさ

2024-01-31 17:21:49 | 徒然

昨年放映されたテレビドラマ「セクシー田中さん」の原作者である、芦原妃名子さんの訃報が報じられてから、数日経過した。
現在テレビが無いうえ、元々テレビドラマを見る習慣が無かったので、配信サイトTverでも視聴をしていなかった。
ただ、時折話題になっていたので、何となく「こんなドラマがあるんだ」という程度の認識はあったのだが、このドラマに原作漫画があるとは知らなかった。
そして、この芦原さんの訃報を受け、一つ思い出したことがある。

それは、随分前に「ビックコミックスピリッツ」で連載されていた「いいひと」が、テレビドラマ化された時の話だ。
テレビドラマ化された時は、原作者の高橋しんさんのお名前があったようだが、その後「原案者」となっていた、ということがあったからだ。
その理由については、Wikipediaに詳しく記載されているので、リンク先を確認していただきたい。
Wikipedia:いいひと

テレビドラマは見ないのだが、この「原作者」から「原案者」になった、という話は当時少し話題になった気がする。
当時は「ビックコミックスピリッツ」に連載されている作品が、次々とドラマ化されていて、ドラマ好きな友人たちから聞くドラマ展開と原作の違いに、「変だな~」と思いつつも「大人の事情」なのだろう、という程度にしか思っていなかった。
この「いいひと」については、原作者である高橋しんさんが単行本化された時に、「原作者から原案者になった理由」のようなモノをあとがきで書かれていたことで、判明したということなのだ。

確かにドラマ化するにあたっては、人気のあるタレントさん(俳優さんとは限らない)を起用するため、どうしても起用したタレントさんにスポットが浴びるように、原作とは違う脚本になってしまうのだろう。
しかし、その設定が大きく変わってしまえば、それは全く違う話になってしまう。
その点が「原作ドラマ」の難しさであり、脚本家の力量が試される部分なのではないだろうか?
何故なら、既に人気作品となっている漫画を基にドラマの脚本を書くのだ。
当然、作品のファンがそのドラマを視聴することは、想定できる。
その時ドラマと原作が違っている、と原作ファンが感じたら、そのドラマは失敗作となってしまう。
いくら視聴率が高く、評判が良くても、失敗作であるということには変わりないだろう。
だからこそ、「逃げ恥」等の大ヒットドラマの脚本を書かれた野木亜紀子さんは、その難しさを語れるのだと思う。
modelpress: 「逃げ恥」脚本家・野木亜紀子氏、芦原妃名子さんの死去に「他人事ではない」日テレコメントにも私見

これまでの経過を見ていると、何となくだがテレビ局側が視聴率や評判を気にして、原作を変えてしまったコトから始まっているのでは?という、気がするのだ。
その要因となったモノがあるとすれば、視聴率ということなのかもしれない。
とはいえ、現在の視聴率と実際の評価とは一致しないことの方が多い。
それは、テレビでリアルタイムで視聴するのではなく、配信サイトで何度も繰り返し視聴する、という人達が増えているからだ。
とすれば、テレビ番組の実際の視聴率として参考になるのは、配信サイト等での再生回数なのでは?
「視聴率」ばかりに囚われていると、テレビドラマそのものが「終わったコンテンツ」と、言われかねない時代になっている、ということかもしれない。


LGBTQよりも男女差別の意識改革の方が先なのでは?

2024-01-16 21:02:40 | 徒然

Yahoo!のトピックスに、「未だにこんなことを考えている首長がいるのか?」という驚く記事があった。
ヨミテラ!:福岡・宮若市長「女性は子供を3人産んで初めて一人前」発言か 職員100人超“ハラスメント経験” 

かつてある国会議員が「女性は子供を産む機械」という趣旨の発言をし、糾弾されたことがあった。
AFP:「女性は産む機械」発言の柳沢厚労相 安倍首相が厳重注意 

この発言は2007年のことで、相当話題になった。
APFの掲載写真を見ていただいてもわかると思うのだが、故安倍元首相もとてもお若く、初めて首相になった頃だったのではないだろうか?
この柳沢厚労相の発言以降も、時折自民党を中心にある程度の年齢の国会議員さん達は、同様の趣旨の発言をし、糾弾されてきたような記憶がある。
「全く懲りない人たちだな~」と思うと同時に、いつになったら男女差別の意識変革が起きるのか?と、思いながら17年ほど見てきたのだが、そのような意識の方は地方の高齢首長さんの中にもいたようだ。

記事にある年齢を見ると、後期高齢者となる世代。
ということは、第1次ベビーブーム世代ということになる。
この世代の方たちの中には、学生運動が盛んだったころに学生時代を過ごした、という人も少なくない。
「学生運動をしていた」という武勇伝を、私も会社員時代に何度も聞かされたことがあるのが、この世代の人たちだった。
意外なコトに「学生運動をしていた」と自慢げに話す割には、その考え方は保守的で、男女の差別意識が強い傾向がある、と実感していた。
その為、この発言をした首長の年齢を見た時、「さもありなん」と、思った次第だ。

ということは、20年近く前からこの世代の男性の意識は、世間が「セクハラだ!パワハラだ!」と騒がれていたにもかかわらず、自分のことだとは思わずに過ごしてきた、ということなのだろう。
しかも、職員の100人超が「ハラスメントを経験」している、ということは首長でありながら、職員に対して相当傍若無人な態度と発言をしてきた、ということでもある。
それも、無意識に近い状態で、行っていた可能性は高い。
何故なら、上述した通りこのような発言や行動をする人達の多くは「自分はリベラルな考えを持っており、このような発言や行動はコミュニケーションの一つ」と考えている可能性と傾向が強いからだ。
言い換えれば「自分は、悪いコトをしたと思っていない」ということなのだ。

「リベラルな考え」の根拠は、「学生運動に参加していた」という、過去の自分を英雄化した思い込みからであり、本当の意味でのリベラルということは理解していないのでは?と、思っている。
だが本質は、戦前の男性よりも保守的でガチガチの「男女差別思考」を持っている、ということなのだ。
勿論、このような首長を選んでしまった有権者にも責任はある。
地方を含め「政治の見直し・大掃除」を行うのが、今年なのかもしれない。