朝日新聞のWEBサイトasahi.comに、トヨタ、バイオ燃料100%の車 ブラジルで発売へと言う記事が掲載されている。
今年に入り、原油高の関係やバイオエネルギーへのシフトが盛んに言われるようになってきた。
その一例が、バイオガソリン(もしくはバイオエタノール)だ。
首都圏では、この春から一部のガソリンスタンドで販売されるようになった。
今回トヨタが、ブラジルでバイオ燃料100%のクルマを販売するのには、それなりの訳がある。
ブラジル政府が、バイオ燃料のクルマの販売を推し進めているからだ。
トヨタとしては、バイオ燃料車の販売はある意味「必要に迫られて」のことなのだ。
決して「トヨタはエコロジー企業を目指しています」という、理由だけではない。
もちろん「プリウス」などのハイブリッド車など、「エコロジーカー」の開発にも積極的なのだが、今回の件は「エコロジー企業」というイメージを保ちつつ、必要に迫られてと言う理由のほうが大きいように感じている。
ところで、とうもろこしやサトウキビといった植物性燃料を使ったバイオエネルギーは、本当に「エコロジー」なのだろうか?
だいぶ前、ライオンの洗濯洗剤がパームやしを原料としているため、そのパームやし畑を作るために、その産地では無謀な開墾がされていると言う指摘がされていた。
しかし、現実には生産品に対してエコロジーであるとして「地球環境大賞」を受賞している。
もちろん、テレビCMなどでもさり気なくテロップが流れている。
個人的には、今回のバイオエネルギーも同じ懸念をしている。
すなわち、バイオエネルギーを作るために、無謀な開墾がされとうもろこしやサトウキビ畑へと変えられていくのではないか?ということだ。
「エコロジー」というなら、そこまでのことまで考える必要があるのではないだろうか?
都会にも出来る「エコロジー燃料」は、あるのではないだろうか?
その一つが、京都市交通局で取り組んでいるBDFバスと呼ばれる「低公害バス」だ。
これは、一般家庭や飲食店から出される食用油の廃油で動くバス。
先月京都に行ったときも、このバスを利用し市内を巡ったのだが、通常のガソリンと何ら変わりがなかった。
「バイオエネルギー」と言ったとき、私たちの目はどうしても「新しいエコロジー」的なモノへといきがちだが、本当は身近にあるモノを再利用することなのではないだろうか?
少なくとも、エコロジーという名のもと、無謀な開発・開墾によって大切な何かを失うようなことがあってはいけないと思うのだ。
今年に入り、原油高の関係やバイオエネルギーへのシフトが盛んに言われるようになってきた。
その一例が、バイオガソリン(もしくはバイオエタノール)だ。
首都圏では、この春から一部のガソリンスタンドで販売されるようになった。
今回トヨタが、ブラジルでバイオ燃料100%のクルマを販売するのには、それなりの訳がある。
ブラジル政府が、バイオ燃料のクルマの販売を推し進めているからだ。
トヨタとしては、バイオ燃料車の販売はある意味「必要に迫られて」のことなのだ。
決して「トヨタはエコロジー企業を目指しています」という、理由だけではない。
もちろん「プリウス」などのハイブリッド車など、「エコロジーカー」の開発にも積極的なのだが、今回の件は「エコロジー企業」というイメージを保ちつつ、必要に迫られてと言う理由のほうが大きいように感じている。
ところで、とうもろこしやサトウキビといった植物性燃料を使ったバイオエネルギーは、本当に「エコロジー」なのだろうか?
だいぶ前、ライオンの洗濯洗剤がパームやしを原料としているため、そのパームやし畑を作るために、その産地では無謀な開墾がされていると言う指摘がされていた。
しかし、現実には生産品に対してエコロジーであるとして「地球環境大賞」を受賞している。
もちろん、テレビCMなどでもさり気なくテロップが流れている。
個人的には、今回のバイオエネルギーも同じ懸念をしている。
すなわち、バイオエネルギーを作るために、無謀な開墾がされとうもろこしやサトウキビ畑へと変えられていくのではないか?ということだ。
「エコロジー」というなら、そこまでのことまで考える必要があるのではないだろうか?
都会にも出来る「エコロジー燃料」は、あるのではないだろうか?
その一つが、京都市交通局で取り組んでいるBDFバスと呼ばれる「低公害バス」だ。
これは、一般家庭や飲食店から出される食用油の廃油で動くバス。
先月京都に行ったときも、このバスを利用し市内を巡ったのだが、通常のガソリンと何ら変わりがなかった。
「バイオエネルギー」と言ったとき、私たちの目はどうしても「新しいエコロジー」的なモノへといきがちだが、本当は身近にあるモノを再利用することなのではないだろうか?
少なくとも、エコロジーという名のもと、無謀な開発・開墾によって大切な何かを失うようなことがあってはいけないと思うのだ。