三菱自動車の「偽装燃費」が発覚してから、数日たった。
最初の頃は、技術責任者の部長が、「私が全責任」のような発言をされていたと思うのだが、時間の経過とともに今の技術責任者だけの問題ではない、ということがわかってきた。
理由はニュースなどで報じられている通り、「燃費偽装」は25年も前から始まっていたのだ。
今の技術責任者が「私の全責任」というには、無理がありすぎるほど前から当たり前に行われていた、と指摘されるのは当然のことだろう。
今回の「偽装燃費」が発覚する前、三菱自動車は「リコール隠し」という事件を起こしている。
覚えていらっしゃる方も多いと思うのだが、走行中のトラックのタイヤが突然はずれ、通行人の母子に当たり亡くなったことが、発端だった。
このときも三菱自動車側は、最初はトラックの整備ミス、といって責任逃れをしている。
トラックを運転していた運転手さんや運送会社は相当社会的にも糾弾されたが、三菱自動車側がその後、謝罪をし相当額の補償をした、という話は聞いてはいない。
その後、裁判でその当時の責任者であった社員が、被告とされ判決が下りているのだが、肝心の三菱自動車としての社会的責任は、どうだったのだろう?
確かに、この「リコール隠し」で、三菱自動車に対する市場からの信頼は失墜した。
売り上げも激減し、その時の決算は赤字に転落していたと記憶している。
これが「社会的制裁」ということだと、三菱自動車側は思ってしまったのだろうか?
本来であれば、この「リコール隠し」が発覚し、裁判が結審した時点で遺族だけではなく、汚名を着せられた運送会社やトラックを運転していたドライバーに対して、企業として謝罪をし、補償をすべきだったのでは?
一つ一つの問題に対して、真摯に受け止める姿勢が、一連の三菱自動車側からは感じられないのだ。
だからこそ、OEM先である日産から「燃費偽装」が指摘されても、すぐに動くような姿勢が起きなかったのではないだろうか?
なんとなくだが、OEM先の日産に対しても「実際の燃費と違うのは、よくあることでしょ。そのくらい目をつぶってくださいよ」という、態度があったのでは?という、気がしてくるのだ。
本来であれば、OEM先というのは大切な大口取引先であり、同業者なので、OEM先から問題が指摘されて時点で、OEM供給側は自社の不出来さを痛感し「恥ずかしい」と感じると思う。
なぜなら、問題を指摘した相手は「同業他社」であり、このような問題は、同業者の間であっという間に話が広がるだけではなく、自社の技術力や管理能力の低さを露呈させることだからだ。
言い換えれば、ライバル社に自分の弱みを知らせるようなものだ。
そのような危機感もなく、25年も続けてきたうえで「燃費なんて、だれも気にしていないでしょ」と、企業のトップが言ってしまう、というのは危機感が無いだけではなく、時代の流れや生活者志向の変化を理解できていない、ということだと思う。
このような企業が、市場からそっぽを向かれる日はそう遠くないのでは?
企業のトップの首を変えても、企業として社会的謙虚さという企業文化が無いからだ。