News Week日本版に、「ゼロリスク」についての記事があった。
News Week日本版:失敗学の研究者が見た、日本人の「ゼロリスク」信奉
「ゼロリスク」とは、「リスクが無い」ことを示す言葉である。
そして日本では様々なところで「ゼロリスク」が求められる社会である、ということを実感されている方も多いのではないだろうか?
特に、ビジネスの場面では「リスクが無い」ということを、求められることが多い。
「リスクに対して、どのように対応するのか?」ではなく、最初から「リスクが無い」ということが求められている、ということなのだ。
そのため、慎重に慎重を期して新規事業を立ち上げる、事があたりまえになっている。
新規事業に失敗すると、当然のことながら担当者は左遷に近い処遇を受け、その後は「新規事業の失敗者」として、退職までその評価は変わることが無い。
一つの失敗が、その後のビジネス人生に再チャレンジンの機会を与えられることなく、終わってしまう、というのが日本の企業の特徴でもある。
事業担当者には厳いしい処分を科しても、その失敗の原因の分析となるとどうだろう?
失敗の要因等の分析よりも、処分を科すことの方が優先されている、というのが日本の企業文化になっているのでは?という、気がしている。
随分前、世界経済を動かしていると言われている「GAFA」の一つ、Googleは「100%を求めない」という話を聞いたことがある。
IT情報企業ということもあるのだろうが、Googleはユーザーと共にシステムやサービスをつくる、と言われている。
その顕著な例が、GoogleがつくったスマホのOS「Android」かもしれない。
基本「Android」のソフトウエアは、オープンになっている。
そしてユーザーに参加してもらい、バグを修正したりバージョンアップをしている(と言っても、数年前の話だが)。
ただ、GoogleというIT企業の場合、提供するサービス等の陳腐化はカタチのある商品に比べ、とても速い。
100%を求めていれば、提供する前に開発したOSそのものが、陳腐化してしまう可能性のほうが高いはずだ。
一方、日本では徹底的に作り込み、バグが発生した時は大騒ぎになる。
大騒ぎになる理由は、市場に出す時100%完璧なモノではなくてはいけない、という考えがあるからだ。
「100か0か」という考えが、柔軟な発想ではなくありきたりな発想を生む環境を作っているのでは?
と同時に、ソフトウエア開発等に遅れを取る要因となっているような気がするのだ。
「ものづくり大国」であった日本は、「100%の商品を市場に出さなくてはいけない」という、感覚に縛られている。
製品のリコール等は、ない方が良いに決まっているが、企業が提供する全てのサービスに100%を求めるがゆえに、国際競争から後れを取ってしまっている、という可能性はあるのでは?と、考えている。
「リスクを取りながら、最大限の利を考える」そして「失敗をすることを前提に、失敗から何を学ぶのか?」ということに、力点を置くことで人も企業も社会も良い関係が作れるのでは?
何故なら、同じ過ちを繰り返さないためには「リスクを如何に考えるのか?」という、考えから始まるからだ。
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