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その建物は、街の風景にあっているのか?‐街リノベーション‐

2024-01-24 19:39:27 | アラカルト

このところ、自民党の「裏金問題」についてのエントリばかりしていたので、そろそろ違う話題を…と考えながらファッション専門誌・WWDのサイトを見ていたら、「こういう考え方もあるのか⁉」という、記事があった。
WWD:“世界の隈研吾”が東村山の空き家カフェを監修 快諾に市長は「のけ反るくらいびっくりした」 

空き家カフェについての詳細は記事を読んでいただくとして、この建物の外観だけでも見ていただきたいと思う。


築54年の元たばこ屋ということだが、その当時の面影は全くない。
依頼主となっている方の本業の技術を活かした、ということだが、拙ブログに来てくださる方はどんな印象を持たれただろうか?

この写真を見ると、この元たばこ屋さんがある場所というのは、住宅地の中にありながらも商店も立ち並ぶ一角のようだ。
「街のたばこ屋さん」というのは、バス通り等に面した通りの一角にあり、そこそこの人通りがあるという場所に在ることが多かった。
おそらくこの場所も、そのような場所なのでは?と、想像する。

日本の街並みというと、京都のような古い街に町屋づくりのような家が立ち並んでいたりするところもあるのだが、多くは高度成長期に無節操に建てられているということの方が多いのではないだろうか?
他には、高度成長期に取り残されたかのような戦後のバラック小屋のような建物を取り壊し、新しい都市計画でつくられた街並みか?という感じだろうか?

後者のような場合は、新しい都市計画に基づいて街づくりが行われているので、ある程度の統一性のある街並みとなっている所が多い。
それに対して、この東村山市のように高度成長期に各々が自由に建てられてつくられた街というのは、統一性はあまり感じられない。
そのことが悪いとは言い切れないし、長い時間をかけそれらの建物そのものが「街の風景」になっていることもある。
「街の風景になっていった」という方が、正しいかもしれない。
そのような中に突然、異質な感じの建物が出現したら、どうなのだろう?と、感じたのだ。

元々上述したように、日本は高度成長期~バブル経済期の間、「街づくり」という全体像ではなく個々の事情で建築が行われてきた。
その結果として、どこかチグハグな街並みが出来上がっている、というのも事実なのではないだろうか?
この東村山の元たばこ屋さんは、空き家カフェとして手を加えられ、その街の雰囲気にあっているか否かは別にして、リニューアルすることができた。
しかし、街全体が寂れ、大通りに面していながら空き店舗が目立つような地域も多い。
事実、私の実家がある米子市などはそんな感じだ。
このような状況になると、「建物のリノベーション」ではなく「街のリノベーション」という発想が必要となってくるのでは?と、考えている。
特定の場所にだけ注目が当たるような考え方ではなく、地域全体をどのようにしていくのか?
そこからが、「地域活性化」のスタートになるような気がする。



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