日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

経営者こそアート感覚が必要?

2007-05-05 00:27:43 | ビジネス
久しぶりに、「ワールドビジネス・サテライト」を見ていた。
実は最近「早寝早起き」を心がけている関係で、この時間帯のテレビ番組と言うのは少し辛い。
「明日は、寝坊!」と覚悟を決めた?!コトもあり、久しぶりの視聴となった。

今日の放送の中心は「日本のデザイン力」だった。
個人的には、日本のモノづくりの中心は①技術力と②使いやすさを含めたデザイン力、だと思っている。
その技術力の中心にあるのは、大企業というよりも町工場にあると思っている。
実際、世界が認める技術を持っている町工場が、日本にはたくさんある。
ロケット開発などは様々な形状のモノで、寸分の狂いも許されない細かなパーツが必要な技術は、日本の町工場が持っているといっても過言ではないかも知れない・・・と考えている。
ところが、デザインとなるとなかなか難しい。

優美でありながらシンプルなデザインと言うのは、万国共通で求められるコトだと思うのだが、それがなかなか・・・と言うのが現状のようだ。
その「万国共通」に求められるモノはないか?という視点では、マーケティングの力が必要と言うことだったのだが、これまでのような「流行り廃り」と言う視点だけのマーケティングでは、これから先難しいような気がする。
むしろ「生活者が心豊かになれるデザイン」だとか、「幸せ感のあるデザイン」ということをもっと追求し考えて欲しいのだ。
もちろん「誰が使っても」という、条件つきだ。

そして、番組のゲストコメンテーターの方がしきりに言っていたことが、「経営者が、そのデザインを決定する」ということだった。
その言葉を聞いたとき、このGW多くの経営者はどのような過ごし方をしているのだろう?と考えてしまったのだ。
ゴルフ三昧と言う経営者も少なくないだろう。
あるいは、海外旅行という人もいるだろう。
ゴルフや海外旅行が悪いとは思わないが、時には有名な企画展示をしていない「まちの美術館」や、自然の中に身を置いてみるのも悪くはないのではないだろうか?
買い物ついでにギャラリーに立ち寄って、若手のアート作品を見るのも良いのではないだろうか?

「企業を経営する」ということは、収益を上げることでもある。
同時に、社会を豊かに幸せにすることでもあるはずだ。
その力の一つとなるのが、デザイン力であるとすれば、これからの経営者には数字だけではなく、生活の中のアート感覚を読み取る力も必要なのではないだろうか?
そんなことをつらつらと、考えながら見てしまった。




高校野球が大変だ!-特待生制度は悪いのか?-

2007-05-02 22:46:17 | 徒然
ここ数日、高校野球がゆれている。
「ゆれている」といっては、おかしいのかも知れない。
コトの発端は、西武ライオンズの選手獲得のための「裏金問題」が発端だった。
直後、プロ野球関係者から高校・大学などの学生野球の指導者サイドから、金品(といってもお金が殆どなのだろう)の要求があったなどの報道があった。
それからは・・・と言うことで、今日の「高野連の特待生制度」調査の発表となったようだ。

ところでこの「特待生制度」は、悪い制度なのだろうか?
他のスポーツや芸術、勉学ではOKなのに、野球だけがダメだと言いつづけるのは何故なのか?
高野連の言うハナシでは、「金銭による生徒の奪い合いをさせないため」ということらしい。
かつてのように「スポーツ=野球」という時代ならともかく、サッカーもテニスも、バスケットなど様々なスポーツで、その才を開花させている生徒は少なくない。
今の生徒たちは、単に金銭だけで進路を決めるとは思えないのだ。
その顕著な例が、過疎地にある私立高校が突然甲子園に出場し、活躍すると言う場合だろう。
選手の出身中学などを見てみると、レギラー組の殆どが県外者ということも少なくない。
理由は、都市部の強豪校に進学してもレギラーとして甲子園を目指すことが難しくても、過疎地の私立高校であれば、レギラーは当然。甲子園出場の可能性も大きいからだ。
高校球児のハレの舞台は、甲子園であり、甲子園で活躍することがプロ選手としてのステップだと考えれば、当然そのような選択もあるだろう。

学校側としても、少子化時代を乗り切るためには生徒の確保は重要なコトだ。
生徒の奪い合いといっても、野球だけではなく生徒数そのものを確保することの方が、最優先課題となっているのではないだろうか?
そのために「進学率」を上げ、スポーツなどの分野で実績を残すことが、一つの「宣伝」となっているはずだ。
実際、大学などでは「一芸入試」という制度が一般化し始めているし、「一芸入試」は有名私立大学などでも実施している。

経済的理由で、高校を中退せざる得なかった生徒は年々増えていると言われている。
であれば、「特待制度」という制度は「勉強をしたいが、経済的理由で難しい」という生徒にとっては、とても魅力的だろう。
「それがたまたま野球だった」と言うことなら、高野連が目くじらを立てることではないような気がするのだ。
むしろ、野球が得意なだけの生徒ではなく、勉強もキチンとできる生徒を育てるのも学校教育としては大切なことだと思うのだ(といっても、今でも「野球バカ」のような生徒はいるのかも知れないが)。

高野連が盾にしている理由は、60年以上前の規約。
時代とともに規約も変わっていく必要があるのではないだろうか?
今回のことで、私立の強豪校が野球から他のスポーツや芸術などへシフトし、野球そのものの人気が低迷することも考えられると思うのだが・・・。

ますます肩身が狭くなる「喫煙者」-禁煙タクシー-

2007-05-01 22:40:58 | 徒然
今日から、名古屋及びその近隣のタクシー会社で始まったコトがある。
それが「禁煙タクシー」だ。
「禁煙タクシー」といっても、一部のタクシーで始まったのではなく、「全車禁煙タクシー」
すなわち、名古屋駅でタクシーに乗るとそのタクシーは、「禁煙タクシー」ということなのだ。
タバコを吸わない人にとっては、この上ないサービス。
ところが、喫煙者にとっては「タクシーくらい、タバコが吸いたい」という、気持ちなのではないだろうか?

このところ、喫煙者には逆風状態だ。
病院などはもちろん、多くの公共施設や人が集まる場所、繁華街の歩道など「禁煙エリア」がドンドン増えている。
もちろん「喫煙エリア」はあるのだが、用意されている場所そのものが「肩身の狭い場所」なのだ。
その「肩身の狭い喫煙エリア」でタバコを吸っている人の姿を見ていると、哀愁さえ感じてしまう。

これだけ「禁煙!禁煙!」と社会的状況となっているのは、もちろん「健康のため」だ。
特にタバコを吸わない人が吸ってしまう「副煙害」は、喫煙者よりも重い病気を引き起こしてしまうことは、既に一般的常識となっている。
すなわち「タバコを吸う=人に迷惑をかける」という認識が定着してきている、と言うことなのだ。
実はこの「人に迷惑をかける」というのは、タバコの煙だけのことではないような気がするのだ。

タバコが嫌いなこともあり、余計目に付くのかも知れないのだが「喫煙マナーの悪い人ほど、人に迷惑をかける行為をしている」という印象がなんとなくある。
表現が悪いのだが、自己チューと言うか周囲に対して配慮と言うか、心配りがないと言うことが多いと感じることが多いのも事実なのだ。
これは、老若男女関係ない。
JTが「携帯灰皿」とか喫煙マナー向上のテレビCMを、積極的に展開している。
喫煙者がタバコを楽しむためには、まずマナー向上が先のような気がする。
個人的お願いだが、「タバコ、いいですか?」と尋ねるのではなく、「チョッと失礼して、喫煙所に行ってきます」と声をかけて欲しいと思っている。
なぜなら「タバコ、いいですか?」と訊かれたら、「いいですよ」と答えざる得ない場合が殆どだからだ。