朝日新聞のWEBサイトに、関連する2つの記事が並んで掲載されていた。
朝日新聞:「部下の時間奪うのは上司」働き方シンポに企業首脳ら
:今度は「プレミアムフライデー」来年2月から実施へ
「部下の時間を奪うのは上司」という記事に登場する企業は、いわゆる有名企業というか、企業規模が大きくそれなりの収益を上げている企業だ。
数年前から盛んに「ダイバーシティ―」という言葉が使われるようになり、「企業も多様な価値観を持つ人達が集まることで、グローバル時代に対応する必要がある」という認識は、されてきたような気がする。
気がするのだが、実行できている企業はどれほどなのだろう?という、疑問を常々持っている。
というのも、「電通事件」のように「人を使う」ということばかりに、気を取られているように感じるからだ。
確かに「企業と従業員」の関係は「使う側と使われる側」なのだが、「人材を活かす」という視点での「雇用関係」にはなっていない企業のほうが多いように思うのだ。
その顕著な例が、上述した「電通事件」だったように思う。
そう考えると「部下と上司」の関係は、とても重要だと思うのだが「部下の時間を奪う上司」というのは、どのような上司なのだろうか?
「部下の時間を奪う上司」とは、どのような人物なのだろう?
不必要と思われる資料を、たくさん作らせる人物だろうか?
会議好きな人物か?それともやたらと部下の行動にチェックを入れたがる?その逆に仕事のチェックをしないが、相談にも乗らない人物か?
おそらくこれらの上司というのは、自分自身もそのような上司に「時間を奪われてきた」のではないだろうか?
自らの経験が「部下の時間を奪う」ことになっているように、感じるのだ。
また「部下の時間」とは、一体なんだろう?
なんとなくだが、「部下と上司」という限定的な関係ではなく、ダラダラと仕事をする(させる)ような職場環境を作り出している、ということのような気がするのだ。
そのような「ダラダラと仕事をする」環境を打開し、経済活動に振り分ける・・・という目的となるのが、2つ目の「プレミアムフライデー」ということなのかもしれない。
確かに通常よりも早い時間で仕事を終えるコトができれば、その分買い物に出かけたり旅行に行ったりすることができるかもしれない。
月末の金曜日だけなので、その他の曜日に仕事を詰め込むほどでもないだろう。
ということは、それほど効果もないのでは?という気がするのだ。
そもそも今の生活者の「消費スタイル」は、以前とは大きく変わってきている。
百貨店などで買い物をせず、実店舗で商品をチェックしネット通販で実際の商品を購入する、という人たちが増えていることを考えれば、終業時間を早めたからと言ってそれほど経済活動に影響があるとは思えないのだ。
買い物などではなく、美術館や映画館、コンサートなどに行く時間に充てるような提案のほうが、良いのでは?
部下のクリエイティブを刺激するようなことを勧める上司であれば、「部下の時間を奪う」ということも無いと思うのだ。
毎日新聞のWEBサイトに、ちょっと変わった記事が掲載されていた。
毎日新聞:世界の雑記帳「ローマ法王がメディアに強い警告、偽りの情報拡散は罪」
ローマ法王が、このような話を過去されたという記憶がない。
それだけ、メディアに対して思うところがあったのだろう。
SNSの利用が一般的になってきたコトで、メディアそのものの社会的影響力が、変わり始めている。
それでも、テレビや新聞などから発せられる「情報」は、それなりの信憑性があり、多くの人が信頼する情報源となっている。
なぜなら、「情報収集のプロが、裏を取って(確認をして)報じている」と、信じているからだ。
ところが最近目に付く言葉の一つに、「マスゴミ」がある。
ご存じの通り「マスコミ+ゴミ」の合成語だ。
情報として信用ができない、とか政治家や企業など、それなりの社会的権力(?)を持った側の「言いなりになっている」という疑念を持たれたり、ゴシップ記事でお茶を濁すような内容に不満を感じている人たちを中心に言われている言葉だ。
それだけ、メディアそのものが信用されなくなってきている、ということを示す言葉かもしれない。
この時期に、ローマ法王がこのようなコメントを出した、ということに注目する必要がある。
米国の次期大統領に決まったトランプ氏に対する、選挙期間中の「誤った情報」がトランプ氏を次期大統領にさせた、ということを記事では書かれているのだが、トランプ氏の米国次期大統領に決めたのは、全米全体に渦巻く社会的不満層から支持を得た、というところが本当のところだろう。
興味深いのは、DeNAが運営する「WELQ」という医療関係のまとめサイトが炎上し、経営陣が謝罪をした日に掲載された、という点だ。
もちろん、ローマ法王はDeNAの炎上などは、知る由もないだろう。
ただ、今のネット上に飛び交う情報というのは「半マスコミ」のような存在が、大きいのかもしれない。
上述した通り、「マスコミ」そのものへの信頼度は低下しつつある。
その代わりに「信頼できる情報源」として、SNSなどに投稿された内容を信頼する、という傾向がみられるのも事実だろう。
特に医療関係のまとめサイトなどは、利用者が「藁をもつかむ」気分でアクセスしてくる。
このような場合、「自分にとって都合の良い情報」を見つけると、安心をし信用しやすくなってしまう。
そのため、間違った情報が並びやすい傾向がある、と医療者側からの指摘があるのも事実だ。
「メディア・リテラシー」という言葉は、随分前からある言葉だと思うのだが、ローマ法王という立場の方が警告をするほど、状況は深刻なのかもしれない。
SNSを含む「情報リテラシー」を磨くためには、やはり同じテーマの内容を複数集め・読むというローテックな方法が近道なのかもしれない。
PCの調子が悪く、お休みをしていました。
12月に入り、Yahoo!等のポータルサイトに表示されるバナー広告が、クリスマスシーズン(=ホリデーシーズン)向けになってきた。
これまで、ホリデーシーズンの広告と言えば、エルメスの広告が目立っていたのだが、今年はやや違うようだ。
昨年あたりから、エルメス以外にもヴァンクリーフ&アーペルが加わったような記憶があるのだが、今年はティファニーやボネッタ・ヴェネタなどが加わっている。
ティファニーは別にしても、いわゆる「ハイジュエリー」と呼ばれる、高級海外宝飾企業の広告が増えている、という印象があるのだ。
一応説明しておくと、ティファニーを「高級海外宝飾企業」としていないのは、ヨーロッパのブランドではないからだ。
宝飾業界(というべきか?)の中では、トップブランドとして名前が挙がる順位はやはりヨーロッパのブランドで、アメリカのティファニーは、その下という認識が強い。
それだけではなく、ティファニーは宝飾品を扱う前は、文具等を扱う店だったからだ。宝飾店となっても主力商品が銀製品だった、という理由もヨーロッパの宝飾店とは大きく違う。
とはいうものの、ティファニーに憧れる女性は多いのも事実だろう。
そのティファニーやボネッタ・ヴェネタのような、これまで宝飾品が一番売れるシーズンに積極的に広告を打っていなかった企業が、バナー広告を積極的に出すようになった、というのは大きな変化だろう。
その背景には、何があるのだろうか?
考えられるのは、新興国よりも日本の市場のほうが、安定した市場である、という判断があるのかもしれない。
失敗した感の強いアベノミクスだが、そのアベノミクスによって大手企業のボーナスは、以前より増えている。
経済的余裕がある層への購入の期待感かもしれないし、ファストファッションのように目まぐるしく変化する市場に対する「普遍的価値」を求める層が、少しづつ登場し始めたということも考えられる。
ただ、実感としてバブルの頃のような「景気感」を背景にした日本市場戦略ではなく、一度忘れかけていた日本の市場への再アプローチという気がしている。
バブルの頃は、「高級・海外・有名・ブランド」という冠があれば、飛ぶように売れた。
バブルが崩壊してから、次々と店舗を閉めたのも事実だ。
結果、ティファニーなどはともかく、ブランド名を知らない新しい層が生まれ始めている、ということも十分に考えられる。
バブルの頃のような、売り方ではなくじっくり日本の市場を育てる切っ掛けとして、消費が動きやすいこの「ホリデーシーズン」向けに積極的に広告を出しているのでは?という、気がする。
調べものをしていて、フッと目に留まった記事があった。
ダイヤモンドビジネスオンライン:「平成元年」驚きの回顧録
昭和天皇が崩御された時、日本は「バブル景気」の真っただ中にあった。
正しくは「バブル景気に翳りが見え始めていた」といったほうがよいのかもしれないが、世間は天皇崩御という暗い雰囲気の中で、どこか「変な熱」を帯びていたような雰囲気があったように思う。
それだけではなく、社会が大きく変わり始めたころだったのかもしれない。
その一つが、「男女雇用機会均等法」の施行だろう。
「男女雇用機会均等法」の実施によって、女性が企業で働くことが当たり前になったのではなく、結婚後も継続的に仕事をすることが、当たり前になった・・・という変化だ。
「男女雇用機会均等法」以前の頃は、「寿退社」が当たり前だったし、それが「女性の人生の理想形」のような捉えられ方をされていたような気がする。
「雇用や昇進、厚生面などの面で、性差に関係なくチャンスが与えられる」という施行時の目的ではなく、「仕事を継続的にできるようになった」ということ点のほうが、施行後の大きな変化だった。
と同時に、大卒女子を企業が積極的に採用になった、ということも大きな変化だったと思う。
とはいうものの「バブル=泡」のような、うたかたの時はアッという間に過ぎてしまう。
その後の経済変化は、社会にも大きな影響を与え、バブル崩壊時に小中学生だった人たちの多くは「堅実」な、生活志向になっていったように感じる。
自動車の取得率なども、「バブル期」に取得した世代と「崩壊後」の世代では、随分違う。
「公共交通機関を利用すれば、ほとんどの所へは行くことができる=クルマは無くても生活ができる」という、生活志向に代わってきたのもバブル崩壊後世代に顕著な傾向だろう。
だが、最近女性週刊誌などを見ていると「バブル期」を懐かしむような、記事があったりする。
「ビックコミックスピリッツ」で掲載され、その後大ヒットドラマとなった「東京ラブストーリー」が、同じ出版社から発刊されている女性週刊誌に掲載されるようになった。
「50代になった主人公たちの今」というのが、テーマのようだ。
それだけではなく、バブル期にもてはやされた?イケイケな女性たちを取り上げるような女性向けのコミックスもある。
ただし、このようなコミックスでは「いまだにバブルを引きずっているイタイ中年女性」という、扱われ方だ。
しかし、記事全体を読んでみると「バブルの頃が懐かしい」という部分だけではなく、「昭和」という時代の終焉が年号が変わったというだけの意味ではなかったような気がする。
とはいうものの、バブルの頃を懐かしむばかりでは、今という時代にそぐわない。
バブルで恩恵を受けた世代が、社会の責任世代となってきている今だからこそ、懐かしむのではなく「バブルの恩恵(=豊かさによって育まれた文化)」を社会に還元する必要があると思う。
今日、コンビニに寄ったら保冷のデザートのショーケースに、目新しいパンがあった。
このパッケージを見て、何か気づかれただろうか?
ここ数年人気になっている「生クリームばん」が、コンビニで売られていたのだ。
「生クリームぱん」と言えば、真っ先に思い浮かべるのが「八天堂」さんではないだろうか?
元々は広島の三原市という、地方都市のパン屋さんだったのだが、数年前から話題となり、今や大都市の駅ナカなどで売られるようになった・・・という、ヒット商品だ。
その「八天堂」さんと同じ分野(というべきか?)のパンを、コンビニで扱うようになった、ということのようだ。
この「清水屋」さんは、岡山のパン屋さんで創業も「八天堂」さんよりも、随分新しい。
実はこの「生クリームパン」を見た時、少しうれしかったのだ。
理由は、「ライバルが登場」したということが、嬉しかったのだ。
ご存じの方も多いと思うのだが、この「生クリームぱん」の市場というのは、「八天堂」さんが切り開いた市場だと思う。
「八天堂」さん以外にも、作っていたパン屋さんはあったのかもしれないが、大評判となり「生クリームぱん」という市場を創ったのは、「八天堂」さんだと思う。
そのため、どこへ行っても「生クリームぱん=八天堂」という、状況になっていた。
「生クリームぱん」の市場そのものが、八天堂が独占をしていた・・・という状況になっていた、と言っても過言ではないと思う。
だが、それでは「生クリームパン」という市場は、広がってはいかない。
市場を広げるためには、「ライバル」となる企業が必要なのだ。
なぜなら、完全独占状態の市場は、いつか生活者が飽きる等のリスクがあるからだ。
例えば「萩の月」という、仙台の銘菓がある。
この「萩の月」が発売された当初、話題になり「仙台土産=萩の月」というイメージさえ作られた感がある。
ところが「萩の月」の大ヒットにより、様々な地域の菓子店で「萩の月」の類似商品を作り始めたのは、ご存じだと思う。
もちろん、そっくりそのまま「萩の月」をマネしていては、地方のお土産としての魅力は無い。
そのため、それぞれの製菓企業が、オリジナルに近いお菓子を作り始めたのだ。
「萩の月もどきだけど、地域色が感じられる」という工夫を、後発の製菓企業はしている。
その結果、「萩の月」そのものの市場的価値は揺るがず、「カスタード入り蒸しケーキ」というお菓子は、全国各地へと広まっていったのだ。
このような傾向は、お菓子だけの事ではない。
自動車メーカーにしても、複数の企業があり、個々の企業が「自社らしさ」を求めながら、自動車という市場を拡大させていった。
生活者に対して「選択肢を与える」ということは、市場の活性化と拡大を導くものでもあるのだ。