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マキノ町の「下」地区に湖北地方では珍しい勧請縄が祀られていると聞き、積雪の残るマキノ町へと出向きました。
「下」地区は山と山の間にある平野部で、少し車で移動するとマキノピックランドやメタセコイヤ並木があるものの、静かな山間に広がる閑静な農村といった一帯でした。
行く道中で驚いたのは積雪量の多さでしょうか。
全く雪のない湖岸道路も湖北野鳥センターを越えて片山のトンネルを抜けると田圃は真っ白の雪原となり、旧西浅井町の辺りが最も積雪量が多くなる。
マキノ町に入ると少し雪の量は減ったものの、一面の雪原状態は変わらず。
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「下の勧請縄」は最初はどこにあるか分からず地元の方に声をかけてみると、親切に場所を教えて下さいました。
話を聞かせてもらうと、坂ノ下集落(下地区の一つ)では以前は勧請縄を造って御祈祷してもらって祀っていたが、今は人が集められず取りやめとなってしまったそうです。
下地区は3つの集落で一つの地区となっているため、3集落の輪番制で勧請縄は祀っているとのこと。
「山の神」とか「野神」とかありますか?と聞いてみると、山の神さんは以前はお祀りして御祈祷をしてもらっていたが、今はお世話できなくなって取りやめてしまったと話されていました。
勧請縄の場所はあそこだから家の庭でUターンして行くといい。とありがたいお言葉に感謝の言葉を述べて勧請縄へ到着することができました。
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勧請縄には6本のさがりと、ぼんぼりを逆さにしたようなトリクグラズが吊るされており、後方の雪原(田圃)に向けて掛けられる勧請縄は野の神へ五穀豊穣を願ったものともいえます。
ということは山には山の神、野には野の神を祀っていることになり、自然信仰の形は残されているということにはならないでしょうか。
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勧請縄の片方の木に結び付けられている部分も見応えがあり、渡された大繩には3本の矢が挿されています。
もう片方は木に輪をかける形となっていますので、大繩の最後の仕上げは現地で行われたのかもしれません。
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大繩が掛けられた木の根元にも矢が括り付けられています。
もうこの頃になると雪の中をざくざく歩いていたため、靴の中に入った雪で靴下まで濡れてしまっていましたが、そんなことは気にもならない。
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裏側からも勧請縄を見てみる。
勧請縄を見始めたのは最近ですが、なぜか懐かしい想いがしてしまうのは日本人のDNAなのかもしれません。
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田園の向こうには湖西の山々。
湖北地方や湖東地方の山とは景色が全く違います。やたらとケリが鳴いていたのは春近し、繁殖期近しということでしょうか。
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石庭八幡神社のタブノキ
下地区からマキノピックランドやメタセコイヤ並木のある通りを横切って向かうのは石庭に祀られる八幡神社で、神社の境内には幹周6mを越える巨樹を含め何本かのタブノキがあるといいます。
石庭集落は、三方を山に囲まれたような場所にある農村で、石庭八幡神社は集落の中にありました。
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若いスギが何本も植えられた参道には薄っすらと雪が積もり、足跡をたどっていく。
八幡神社は御祭神に誉田別命、配祀神に大山咋神を祀といい、創祀年代不詳であるものの大和朝廷と若狭にかけての地域は大陸との交通の要所であったとされます。
奈良平安時代には当地に「鞆結の駅」(官吏などに対し、人馬の継立や、食料・宿泊などの用務を提供する施設)が設立されていたという説があるようです。
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境内にはタブノキが数本あるのですが、本殿の裏にあるタブノキが本命の樹でした。
周辺い木が茂っていて見にくい場所にあったため、踏まれていない雪の上をざくざくと歩いて近づいていく。
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このタブノキは幹周6.3m、樹高は25mとされており、上部で2本の幹に分かれています。
幹に苔が多く生えているということは、それだけ葉が茂り陽を遮っているということかもしれません
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本殿の横には双幹のタブノキがありましたが、1本の幹は折れて朽ちてしまっています。
もしこのタブノキが健在であったら、本殿裏のタブノキに負けず劣らずの巨樹だったと思います。
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1本が朽ちたタブノキの向こうには本殿が見えます。
境内には数本の立石があるそうですが、積雪があったため、全く気付かず。
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八幡神社からの帰り道に久しぶりになるメタセコイヤ並木に立ち寄ってみました。
わずかな移動距離にも関わらず、メタセコイヤ並木の通りには積雪は見られず、写真を撮られている方が大勢おられました。
当方も車が来ない時を狙ってヒット&アウェイで1枚。
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