山の中腹や山頂にある神社や寺院の中で、特に回数多く参拝した神社仏閣のひとつに赤神山(太郎坊山)に祀られた「太郎坊宮」があります。
初詣に訪れることが多かったのですが、最近は参拝とハイキングを兼ねて行ける山ということで、太郎坊山から箕作山を歩いて登ることもがありました。
この山に登られる方は太郎坊山・箕作山・小脇山・岩戸山を縦走されますが、これまでは太郎坊山~箕作山のピストンか岩戸山ピストンで登っていました。
その理由は後ほど記載しますが、山全体をパノラマで見ると、右のピークが「赤神山(太郎坊山)」、左にあるピークがそれぞれ「箕作山」「小脇山」「岩戸山」になります。
当初は箕作山で折り返すつもりでしたので参集殿からのスタートとし、全部で740段あまりの石段の途中から登り始めます。
結果的に4つの山を縦走して、ロード歩きで戻ってきましたので参集殿までの石段を登ることになり、石段のショートカットとはなりませんでしたけどね。
石段を少し登ったところにある「龍神舎」の横がハイキングコースのスタートとなり、手水で身を清めてから登り始めます。
「御霊水」とも書かれている湧水は、初詣に参拝した時などはポリタンクに水を詰める方が多く渋滞しますが、霊水を沸かして飲まれるのか?そのまま飲まれるのか?
登山道は太郎坊山までは草も刈られて整備されていますが、傾斜はそこそこなものの、前夜の雨でぬかるんでいたのは想定外でした。
最近、晴れたと思って山へ行っても道が雨で濡れていることが多いのは、やはり雨の多い季節柄なのでしょう。
赤神山(太郎坊山)と箕作山の分岐まで来ましたので、最初に赤神山(太郎坊山)の山頂まで登ります。
赤神山の南峰は下に夫婦岩や本殿が祀られていることから禁足地となっているため、立ち入ることが出来ませんので北峰にだけ登ることになります。
山頂が近づいてくると傾斜がきつくなり、もう少しもう少しと思いながら登ることになります。
岩場を登ると大きな岩があるスペースまで登ればもう山頂寸前で、山頂には磐座が祀られ、絶景が広がります。
山頂には岩が多く、一番奥にある巨石群が赤神山(太郎坊山)の山頂です。
この山の各ピークには山頂表示はあるものの、分かりにくい所に掛けられていたりしますので探さないと見落としてしまうことがあります。
山頂では目の前に蒲生野の平野が広がり、目の前にある緑に覆われたピークが赤神山(太郎坊山)の御神体の南峰になります。
奥には布施山や布引丘陵でしょうか。綿向山や飯道山、鈴鹿山脈の雨乞岳などの山々も見えてはいますが、識別は不能です。
山頂から下りる途中には山頂の磐座の側面が見えますが、夫婦岩と同じくらいとは言えないまでも聳え立つ巨石であることには違いはありません。
湖東地方の山は湖東流紋岩で形成されているといい、湖東の山にはこの山以外にも流紋岩が剥き出しになっていたりする場所が多く見られます。
太郎坊山の山頂にはあっという間で到着しましたので、次は箕作山の山頂を目指します。
すぐに“みつくり君休憩所”に到着するのですが、まだ休憩したくなるほど歩いてはいませんので、そのままスルーします。
箕作山の山頂へは以前も登ったことがあったのですが、今回は大誤算で道に膝上の高さの草が茂っている箇所が何ヶ所がありました。
しかも前夜の雨で水滴が付いているのでズボンは濡れるし、藪漕ぎとまではいかないものの草で足元が見えないような大の苦手とする道が続きます。
なので、箕作山の山頂まで来たものの、またあの草丈の高い道を戻るのは嫌な感じですので、コース変更で小脇山~岩戸山へ縦走することにします。
小脇山の前後に笹が多い茂っているところがあって、あまり通りたくない道ではあるのですが、濡れた草か笹かの二択で笹の方が丈が低いからというすごく単純な理由です。
気になるのは「箕作山」の箕作という名称で、「箕作(みつくり)」はサンカを連想させるような名称だなと不思議に思っていました。
しかし、山の民が暮らすには低山過ぎるし、開けてしまっているため関係なさそうと思っていると、実は戦国武将の六角氏に由来するとのことでした。
戦国時代に六角定頼が近江国箕作城に住んで箕作弾正を称したのに始まるといい、後に美作国に移った箕作家は著名な学者を輩出している学者一族として知られているといいます。
六角氏の観音寺城の支城の一つだった箕作山城は、織田信長の六角攻めの際にまず箕作城を落城させたことにより、六角氏は甲賀に脱出して、歴史の表舞台から遠ざかっていきます。
箕作山の4つのピークはみな景色が良く、見降ろす景色は縦走すると共に少しづつ姿を変えていきます。
右側の山に2つピークが見えますが、そのピークはこれから行く小脇山と岩戸山だと思います。
さて、箕作山の山頂から小脇山の山頂への道には笹がよく茂った道が何ヶ所かあり、苦手なエリアに入ります。
イワ・ザレ・ガレの道は好きなのに、クサ・ササ・シダの道は好きじゃない。なら山なんぞ登るなと言われてしまいそうですが...。
速足で笹原を抜けたので間もなく小脇山の山頂へ到着です。
赤神山:350m、箕作山:372m、小脇山373.4m、岩戸山175mですので、小脇山がわずかの差で一番高いということになります。
山頂のスペースの真ん中辺りには三等三角点があり、写真右にある岩に腰かけると景色がよく見える場所があります。
ここから先は岩戸山までの下り道と岩戸山からは石段下りですので、ここで少し休憩してから進むことにします。
山頂の広場から眺めると最初に登った赤神山(太郎坊山)の北峰と南峰が見えますが、この角度の赤神山はここまでこないと見えない姿です。
ただ、これからまだ赤神山から離れる方向へ縦走していく訳ですから、下山してからのロード歩きが長くなりそうですね。
ところで縦走中に思いもしていなかったササユリに劇的に遭遇です。
しかもたった1輪だけが当方の到着を待つかのように咲いていて、日陰だったこともあって雨の雫が花弁に付いています。
花弁に水滴が付いているくらいですから、足元の下草は濡れていたものの、ササユリを撮るのに夢中になってズボンの裾はベチャベチャになってしまいました。
しかし、一輪だけがひっそりと咲いていたササユリに出会えたのは、この日一番のラッキーだったと思います。
そして最後の岩戸山になりますが、ここは先日登ったばかりの山です。
その時は一旦は小脇山へ向かったものの、笹原が嫌になって折り返してしまったので、小脇山~小脇山城遺跡の石垣の間は初めて通った道です。
岩戸山の山頂にも巨石があり、こちらは紅白の布が巻かれています。
山頂から少し下ると「岩戸神明」という太郎坊宮の夫婦岩にも匹敵する磐座があり、麓まで約800段あるとされる石段の横に祀られる石仏群にも紅白の布が巻かれている。
岩戸山は江戸時代から大正時代まで大阪堂島の米相場を旗振り通信で知らせる中継点であったといい、野洲の相場振山(田中山)の旗振りを確認して彦根の荒神山へ中継していたという。
湖東地方は平野にある単立の山上に櫓を組んで幅1m・長さ1.7mの旗の振り方で受信したようですが、合図を読み取るには望遠鏡が必要だったようです。
ということで下山しましたが、車のある太郎坊宮の参集殿までは結構な距離がありました。
まず赤神山が見えてくるまで延々と歩かなけらばならず、やっと見えてきた赤神山の横側から正面に回り込むまでに一息かかり、疲れた体で参集殿までの石段登り。
鳥居の前に駐車しておけばよかったな。
初詣に訪れることが多かったのですが、最近は参拝とハイキングを兼ねて行ける山ということで、太郎坊山から箕作山を歩いて登ることもがありました。
この山に登られる方は太郎坊山・箕作山・小脇山・岩戸山を縦走されますが、これまでは太郎坊山~箕作山のピストンか岩戸山ピストンで登っていました。
その理由は後ほど記載しますが、山全体をパノラマで見ると、右のピークが「赤神山(太郎坊山)」、左にあるピークがそれぞれ「箕作山」「小脇山」「岩戸山」になります。
当初は箕作山で折り返すつもりでしたので参集殿からのスタートとし、全部で740段あまりの石段の途中から登り始めます。
結果的に4つの山を縦走して、ロード歩きで戻ってきましたので参集殿までの石段を登ることになり、石段のショートカットとはなりませんでしたけどね。
石段を少し登ったところにある「龍神舎」の横がハイキングコースのスタートとなり、手水で身を清めてから登り始めます。
「御霊水」とも書かれている湧水は、初詣に参拝した時などはポリタンクに水を詰める方が多く渋滞しますが、霊水を沸かして飲まれるのか?そのまま飲まれるのか?
登山道は太郎坊山までは草も刈られて整備されていますが、傾斜はそこそこなものの、前夜の雨でぬかるんでいたのは想定外でした。
最近、晴れたと思って山へ行っても道が雨で濡れていることが多いのは、やはり雨の多い季節柄なのでしょう。
赤神山(太郎坊山)と箕作山の分岐まで来ましたので、最初に赤神山(太郎坊山)の山頂まで登ります。
赤神山の南峰は下に夫婦岩や本殿が祀られていることから禁足地となっているため、立ち入ることが出来ませんので北峰にだけ登ることになります。
山頂が近づいてくると傾斜がきつくなり、もう少しもう少しと思いながら登ることになります。
岩場を登ると大きな岩があるスペースまで登ればもう山頂寸前で、山頂には磐座が祀られ、絶景が広がります。
山頂には岩が多く、一番奥にある巨石群が赤神山(太郎坊山)の山頂です。
この山の各ピークには山頂表示はあるものの、分かりにくい所に掛けられていたりしますので探さないと見落としてしまうことがあります。
山頂では目の前に蒲生野の平野が広がり、目の前にある緑に覆われたピークが赤神山(太郎坊山)の御神体の南峰になります。
奥には布施山や布引丘陵でしょうか。綿向山や飯道山、鈴鹿山脈の雨乞岳などの山々も見えてはいますが、識別は不能です。
山頂から下りる途中には山頂の磐座の側面が見えますが、夫婦岩と同じくらいとは言えないまでも聳え立つ巨石であることには違いはありません。
湖東地方の山は湖東流紋岩で形成されているといい、湖東の山にはこの山以外にも流紋岩が剥き出しになっていたりする場所が多く見られます。
太郎坊山の山頂にはあっという間で到着しましたので、次は箕作山の山頂を目指します。
すぐに“みつくり君休憩所”に到着するのですが、まだ休憩したくなるほど歩いてはいませんので、そのままスルーします。
箕作山の山頂へは以前も登ったことがあったのですが、今回は大誤算で道に膝上の高さの草が茂っている箇所が何ヶ所がありました。
しかも前夜の雨で水滴が付いているのでズボンは濡れるし、藪漕ぎとまではいかないものの草で足元が見えないような大の苦手とする道が続きます。
なので、箕作山の山頂まで来たものの、またあの草丈の高い道を戻るのは嫌な感じですので、コース変更で小脇山~岩戸山へ縦走することにします。
小脇山の前後に笹が多い茂っているところがあって、あまり通りたくない道ではあるのですが、濡れた草か笹かの二択で笹の方が丈が低いからというすごく単純な理由です。
気になるのは「箕作山」の箕作という名称で、「箕作(みつくり)」はサンカを連想させるような名称だなと不思議に思っていました。
しかし、山の民が暮らすには低山過ぎるし、開けてしまっているため関係なさそうと思っていると、実は戦国武将の六角氏に由来するとのことでした。
戦国時代に六角定頼が近江国箕作城に住んで箕作弾正を称したのに始まるといい、後に美作国に移った箕作家は著名な学者を輩出している学者一族として知られているといいます。
六角氏の観音寺城の支城の一つだった箕作山城は、織田信長の六角攻めの際にまず箕作城を落城させたことにより、六角氏は甲賀に脱出して、歴史の表舞台から遠ざかっていきます。
箕作山の4つのピークはみな景色が良く、見降ろす景色は縦走すると共に少しづつ姿を変えていきます。
右側の山に2つピークが見えますが、そのピークはこれから行く小脇山と岩戸山だと思います。
さて、箕作山の山頂から小脇山の山頂への道には笹がよく茂った道が何ヶ所かあり、苦手なエリアに入ります。
イワ・ザレ・ガレの道は好きなのに、クサ・ササ・シダの道は好きじゃない。なら山なんぞ登るなと言われてしまいそうですが...。
速足で笹原を抜けたので間もなく小脇山の山頂へ到着です。
赤神山:350m、箕作山:372m、小脇山373.4m、岩戸山175mですので、小脇山がわずかの差で一番高いということになります。
山頂のスペースの真ん中辺りには三等三角点があり、写真右にある岩に腰かけると景色がよく見える場所があります。
ここから先は岩戸山までの下り道と岩戸山からは石段下りですので、ここで少し休憩してから進むことにします。
山頂の広場から眺めると最初に登った赤神山(太郎坊山)の北峰と南峰が見えますが、この角度の赤神山はここまでこないと見えない姿です。
ただ、これからまだ赤神山から離れる方向へ縦走していく訳ですから、下山してからのロード歩きが長くなりそうですね。
ところで縦走中に思いもしていなかったササユリに劇的に遭遇です。
しかもたった1輪だけが当方の到着を待つかのように咲いていて、日陰だったこともあって雨の雫が花弁に付いています。
花弁に水滴が付いているくらいですから、足元の下草は濡れていたものの、ササユリを撮るのに夢中になってズボンの裾はベチャベチャになってしまいました。
しかし、一輪だけがひっそりと咲いていたササユリに出会えたのは、この日一番のラッキーだったと思います。
そして最後の岩戸山になりますが、ここは先日登ったばかりの山です。
その時は一旦は小脇山へ向かったものの、笹原が嫌になって折り返してしまったので、小脇山~小脇山城遺跡の石垣の間は初めて通った道です。
岩戸山の山頂にも巨石があり、こちらは紅白の布が巻かれています。
山頂から少し下ると「岩戸神明」という太郎坊宮の夫婦岩にも匹敵する磐座があり、麓まで約800段あるとされる石段の横に祀られる石仏群にも紅白の布が巻かれている。
岩戸山は江戸時代から大正時代まで大阪堂島の米相場を旗振り通信で知らせる中継点であったといい、野洲の相場振山(田中山)の旗振りを確認して彦根の荒神山へ中継していたという。
湖東地方は平野にある単立の山上に櫓を組んで幅1m・長さ1.7mの旗の振り方で受信したようですが、合図を読み取るには望遠鏡が必要だったようです。
ということで下山しましたが、車のある太郎坊宮の参集殿までは結構な距離がありました。
まず赤神山が見えてくるまで延々と歩かなけらばならず、やっと見えてきた赤神山の横側から正面に回り込むまでに一息かかり、疲れた体で参集殿までの石段登り。
鳥居の前に駐車しておけばよかったな。
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