僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

「浄厳院現代美術展」~解き放つ~

2023-11-08 06:35:55 | アート・ライブ・読書
 近江八幡市安土町にある浄厳院は、1577年に織田信長が六角氏の菩提寺だった「慈恩院」跡に金勝山の僧・応誉明感上人を招いて創建したと伝わります。
信長が安土城を築いたのが前年の1576年ですから、安土を拠点に着々と城下町を整備していた時期になるのかと推測されます。

浄厳院は仏像や文化財の宝庫ですが、数年前までは予約拝観のみの寺院ということがあって、拝観の敷居が高くお会いできない仏さまの寺院でした。
しかし、4年ほど前より現代美術展が開催されるようになり、仏像と現代美術展が同時に見られるというこの上ないイベントとなっています。



訪れた日は本堂の外陣でイベントが開催中だったため、外陣には入れませんでしたが、内陣に入って横から御本尊を拝観できるという幸運に恵まれる。
御本尊の「阿弥陀如来坐像」は像高273cmの丈六仏で平安期の作とされており、重要文化財の指定を受けています。



本堂は天台宗寺院だった興隆寺(多賀町)の御堂を浄土宗様式に改造して移築したといい、御本尊は愛知郡二階堂から移されたという。
この辺りは強引ながらも合理主義の信長の一面を伺い知ることが出来ます。

「阿弥陀如来坐像」は光背・蓮弁・天蓋が揃っている貴重な仏像で、定朝様の洗練された堂々たる仏像です。
大半の部分が当初のものであるとされているようですが、光背の頂点部分は建立当時に御堂に入らなかったため先端が切り取られているそうです。



「薬師如来立像」は鎌倉期の造像とされ、基盤の上に立つ珍しい仏像です。
江戸期の享保年間に修繕を行った記録があるといい、衣文には金が残るキリリとした薬師さんです。



「釈迦如来立像(南北朝期)」は、縄目状の頭髪と衣文が波打ち首の下まで包み込むように彫られており、清凉寺式の釈迦如来立像の模刻とされている。
「清凉寺式釈迦」は釈迦在世中にその姿を写した像として信仰を集め、鎌倉期には模像が多数制作されたといいます。

御本尊の「阿弥陀如来坐像」、珍しい「薬師如来立像」や清凉寺式の「釈迦如来立像」以外にも仏画や曼荼羅など寺宝は豊富です。
滋賀県立琵琶湖文化館に寄託の「厨子入銀造阿弥陀如来立像(鎌倉期・重文)」と「舎利厨子 厨子入銅製舎利塔(室町期・重文)」も魅了される美しさです。



仏像は信仰や祈りの対象ですが、ヒトガタをした姿に人間を超越したものを見ているとも言えるかもしれません。
奥田誠一さんは焼いた和紙を貼り合わせてヒトガタを造り、インスタレーションとして展示されています。(surface)



中は空洞になっており、焼け焦げた無数の穴に覆われた躰からは人間以上の存在感が感じられます。
足が床に着いていないのにユラユラと体が揺れている弥次郎兵衛のような仕掛けのヒトガタもあるので謎解きが必要です。
尚、奥田さんの作品は11/8-29まで愛知川駅ギャラリー「るーぶる愛知川」で公開されるそうです。



庫裡と書院の間にはプロヴィとピトウのコラボ作品でご近所の老人にインタビューして作った人形「老人の記憶、地球の歴史」を展示。
その横にはインタビューをした内容が個別にまとめられ、日本語とカタルニア語(スペイン東部の民俗の言語)でファイルされていた。



釈迦堂には今村源さんの「なりゆくさま」が展示されていて、5人以内しか入れない朽ちそうな釈迦堂の中に針金で造られたお釈迦さまが佇まれている。
仏像のない釈迦堂にぼんやりとした幻影のようにお釈迦さまが浮き上がっているのは、御堂の雑然とした雰囲気の中、実に神々しい。



江戸中期に建てられたという鐘楼の中には赤い布と糸で囲まれたインスタレーション「そして、新たに生まれる。」が展示されていました。
鐘楼を禍や困難から守ってくれる場所と想定し、時が経ち丸く開いた穴から下界へ解き放たれる姿を表現していると書かれてありました。

コロナ禍時代の表現は、閉塞されたコロナ禍の世界や恐怖や集団心理を扱うものが見られましたが、コロナ終焉によって抑圧からの解放に変わってきています。
今回の美術展の「解き放つ」は、コロナ禍での抑圧を含め、形にはめようとするあらゆるものからの解放の意もあると思います。



浄厳院現代美術展では本堂・庫裡・書院・楼門・鐘楼・釈迦堂・観音堂・春陽院など全ての堂宇で作品の展示が行われています。
屋外展示としても、方丈池や竹林や奥まって普段は入らないような場所にも作品が展示されています。
竹林では春成こみちさんの「竹取物語」のインスタレーションの赤色が目を引く。



春陽院という僧坊のような建物では合計10人のアーティストの作品が展示中です。
入口左側へ進むと「浄厳院現代美術展」の第一回からの出展者である西村のんきさんの「交差の連続」という12双の屏風に圧倒されます。
着色の材料には光を反射する成分も含まれていて、光によって違った光沢を発っして変化するそうです。

✖がモチーフになっていますが、“人は✖の判定に塞ぎ込んでしまうことも多々あるが、それでも✖を思い出として通り過ぎた時、自らを励ます力となる。”とある。
「はじめのはじめのはじめ」の金屏風は漢字の一を3本並べて始めを示し、「不完全」という□△〇の銀屏風は、□の上半分が屏風に描かれず、解放を意味しているという。



西村のんきさんの部屋から次の間にいくと栩山孝さんの「Chained Life (連鎖する生命)」という鉄と鉄錆とジェッソによる作品が展示されている。
鳥のようでもあり得体の知れない生命体のようでもある栩山さんの作品の部屋の隣の間には画道レイさんの「我龍」の間となる。
この3部屋続く展示部屋には偶然が生み出した連鎖感を感じてしまいます。



画道レイさんの作品を見るのはこれが3度目ですが、部屋に入った瞬間に目に入る龍の絵に面くらいます。
龍が描かれている素材は不織布で、生産ラインでの印刷機のインク落とし(掃除用)のロールを使用されているとのこと。

人為的でもなく機械的でもない、2つとして同じ模様にはなり得ない不織布に描かれた絵は、龍頭に近づくにつれロール汚れが薄くなって絵筆は濃くなる。
絵は浄厳院で天から龍が降臨した如く一発描きで描かれ、展示方法の妙もあって昇り龍のような躍動感を感じます。



分厚くて作品として使うには扱いにくそうな和紙には龍の目が描かれており、和紙の下に貼られた古布との組み合わせで引き立つように見えます。
横には絵を描く時に使って壊れてしまった茶筅。

レイさんの作品には、古布・茶道具・ネクタイ・鹿の角・流木・トンボや蝶の絵が登場することが多い。
マスクからの解放ともいえる不織布を使った作品、巻きの表層だけが耐候変色したアルミホイルに閉じ込められたオブジェなど。
素材の選び方や活かし方にうまさを感じます。



浄厳院は信長が金勝山から僧を招いて開山した寺院のため山号は「金勝山」で、室町後期の建築物とされる楼門(仁王門)に「金勝山」の扁額が掛けられている。
年間、何度か登りに行く大好きな山のひとつである金勝山(金勝アルプス)と浄厳院との関わりにも興味深いものを感じます。



<追記>
画道レイさんの「水墨書画作品展」~高月まちづくりセンター~

画道レイさんは、浄厳院現代美術展と同時期に長浜市の高月まちづくりセンターでも「水墨書画作品展」を開催され、トークショーも開催されたそうです。
会場では2018年の初個展出品作品から2023年の5年間の作品11作が展示されていました。



作品数が11なのは観音の里 高月町の国宝「十一面観音立像(渡岸寺観音堂)」にちなんでということのようです。
芸術活動を始められてからの5年間の作品が並べられると、おのずと手法や作風の変化が見えてきます。
「左手の龍」は浄厳寺現代美術展でも使用されていた不織布の印刷工程のライン掃除用の不織布の上に描かれた龍の画です。



金色の光沢のある和紙に上に描かれたのは「龍上観音」。
絵の下にインクで龍が描かれており、観音さまは墨で描かれています。



5年の間に製作されたのアート作品が一堂に展示されていて、以前に見た作品でも展示方法で随分と印象が違います。
しかし、展示される場所や展示方法が変わっても、作品が持つ力には変わりがないと感じられる作品群でした。



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