瓦屋禅寺は1400年以上前に聖徳太子が四天王寺を建立するため10万6000枚以上の瓦を造らせて、「瓦屋寺」を建立したのが始まりと伝わります。
本堂の中心となる須弥壇には「木造千手観音立像(重文)」と「四天王像」を祀り、御本尊の「木造千手観音立像」は今年50年ぶりの特別大開帳中です。
瓦屋禅寺へは過去何度か参拝して、御前立の千手観音と四天王は拝観しているものの、秘仏本尊の千手観音は初めての拝観となります。
次回は33年後の開帳を予定しているということで、次に見られる可能性はほぼないと思いますので、待ち遠しい御開帳でもありました。
瓦屋禅寺に参拝するには、古墳群や「聖徳太子の腰掛石」のある表参道の石段994段を登るか、林道を車で登る(または歩く)かになります。
どちらも過去に通っていますので、今回は太郎坊宮から山に入り「赤神山(太郎坊山)」「箕作山」に登って瓦屋禅寺を目指すコースとしました。
太郎坊宮の参集殿からの石段をハイキングコースの入口となる龍神舎まで登ります。
なんでわざわざ山を越えてお寺に向かうのか不思議に思われるかもしれませんが、ひとつはかつての参拝道を歩きたいのと、そこに山があるからです。
太郎坊宮から赤神山や箕作山までの道、小脇山や岩戸山までの縦走路は何度か歩いている馴染みのある山ですが、箕作山から瓦屋禅寺の部分だけは未経験の道です。
歩き出してすぐに「屋寺」と彫られた折れた石碑があり、これは「瓦屋寺」と彫られていた石碑と考えられます。
やはりこの道は瓦屋寺と太郎坊宮をつなぐ道だったのでしょう。
今回は箕作山に登って瓦屋禅寺に下りるつもりでしたが、目の前に分岐があるのに通り過ぎるのもなんですので、赤神山の北峰に立ち寄ります。
赤神山(太郎坊山)には北峰と南峰があり、北峰には登れますが、南峰は阿賀神社(太郎坊宮)の神体山なので入山は禁止されています。
北峰には磐座があり、山頂表示は磐座の上にあります。
山の名称は赤神山と呼ばれたり、太郎坊山と呼ばれたりしますが、太郎坊宮の上にあるピークということで太郎坊山の方が馴染みやすいかもしれませんね。
この北峰から見下ろす湖東平野の風景は何度見ても美しい。
正面にあるのが赤神山の南峰で右につながっているのは箕作山や小脇山、岩戸山のある方向。
では分岐まで戻って次は箕作山の山頂を目指します。
分岐では瓦屋寺を指している方向に進めば箕作山。箕作山と瓦屋禅寺は結構近い位置にあります。
途中で瓦屋禅寺方面と箕作山方面の分岐がありますが、瓦屋禅寺方向への道へは進まず、箕作山の山頂方向へ進みます。
箕作山の山頂は、ここが終点というよりも隣の小脇山への縦走途中のピークのようなところにあり、縦走するとほどなく小脇山に辿り着けます。
山頂には磐座のように岩があり、この場所からは湖東平野と琵琶湖方面の両方の景色が眺められます。
左のピークが先程登った赤神山(太郎坊山)の北峰で、右にある2つのピークは小脇山や岩戸山だと思います。
西側には遠くに琵琶湖が見えます。
見えてはいるけどこの山から琵琶湖は少し遠いですね。
再び分岐に戻って箕作山の方向へ進むと墓地がある場所に出て、展望台を下ると瓦屋禅寺の境内にある般若岩の前に出ます。
境内には車で登って来られた参拝者が多く、軽装の人の中で山登りスタイルで山から下りてきた不思議な人になってしまったような...。
瓦屋禅寺は聖徳太子により草建された後、東大寺の末寺として華厳宗となり、室町末期には天台宗の寺院となったという。
戦国時代に六角氏と織田信長の観音寺城の戦いで、箕作山城に木下藤吉郎(豊臣秀吉)が攻め入って堂宇は焼失して荒廃。
江戸時代の初期に臨済宗妙心寺派の寺院として「瓦屋禅寺」として中興されたようです。
経堂は「海印蔵」とも呼ばれるといい、八角輪蔵に一切経が納められ、建物としては江戸時代に建立されたといいます。
堂内にある八角輪蔵は7月中頃の虫干し法要の時に参拝者と共に回転させるようです。
高台にある経堂から本堂を見おろすと紅白の幕が掛けられ、特別大開帳の晴れやかな雰囲気に包まれています。
須弥壇には秘仏「十一面千手千眼観世音菩薩(千手観音)」と「四天王像」が祀られており、千手観音は撮影禁止です。
千手観音は、聖徳太子が斧で一刀され彫られたと伝えられていますが、仏像は平安後期の作とされ、160.5cmの等身大の脇手は実際に千本あるといいます。
庫裡では、“お寺を旅する画家”宮下拓実さんの現代アクリル仏画展が開催されています。
その中に瓦屋禅寺の御本尊を描いたような「十一面千手千眼観世音菩薩」と「四天王像」の画がありました。
本堂横にある子安地蔵堂には「地蔵菩薩半跏像」が安置されており、この地蔵菩薩は頭部が平安時代後期の作で肩より下は後補だといいます。
この地蔵菩薩半跏像と1650年の作だという板絵の三十三応現身像に囲まれた空間は何とも居心地のよい場所です。
宮下拓実さんの現代アクリル仏画展の作品を紹介すると「ハリ・ハリ・ハリ・ヴァーハナ・ローケシュヴァラ」というチベットやネパール的な作品。
どことなくアニメっぽいタッチで描かれるのが特徴なのかと思います。
宮下さんは、お寺の衰退に衝撃を受け画家として何か出来ないかと思い、お寺をアートで盛り上げる活動を始められたといい、庫裡を彩色豊かに染められていました。
お寺とアートがコラボする企画に時々出会うことがありますが、今の時代の感覚からするとお寺とアートってとても魅力的な企画だと感じます。
瓦屋禅寺を始めとして東近江には聖徳太子ゆかりの寺院が多いのですが、それ以前の時代の古墳時代の遺跡が多く残されています。
瓦屋禅寺の表参道の両端にあり瓦屋寺山古墳群では57基もの古墳が発見されており、古代から有力者が権勢を誇っていた地域のようです。
では参拝と秘仏拝観を終えましたので、阿賀神社(太郎坊宮)までの林道を歩きます。
林道では参拝者なのか坂道ウォーキングなのか分かりませんが、歩いている人もチラチラとおられました。
本堂の中心となる須弥壇には「木造千手観音立像(重文)」と「四天王像」を祀り、御本尊の「木造千手観音立像」は今年50年ぶりの特別大開帳中です。
瓦屋禅寺へは過去何度か参拝して、御前立の千手観音と四天王は拝観しているものの、秘仏本尊の千手観音は初めての拝観となります。
次回は33年後の開帳を予定しているということで、次に見られる可能性はほぼないと思いますので、待ち遠しい御開帳でもありました。
瓦屋禅寺に参拝するには、古墳群や「聖徳太子の腰掛石」のある表参道の石段994段を登るか、林道を車で登る(または歩く)かになります。
どちらも過去に通っていますので、今回は太郎坊宮から山に入り「赤神山(太郎坊山)」「箕作山」に登って瓦屋禅寺を目指すコースとしました。
太郎坊宮の参集殿からの石段をハイキングコースの入口となる龍神舎まで登ります。
なんでわざわざ山を越えてお寺に向かうのか不思議に思われるかもしれませんが、ひとつはかつての参拝道を歩きたいのと、そこに山があるからです。
太郎坊宮から赤神山や箕作山までの道、小脇山や岩戸山までの縦走路は何度か歩いている馴染みのある山ですが、箕作山から瓦屋禅寺の部分だけは未経験の道です。
歩き出してすぐに「屋寺」と彫られた折れた石碑があり、これは「瓦屋寺」と彫られていた石碑と考えられます。
やはりこの道は瓦屋寺と太郎坊宮をつなぐ道だったのでしょう。
今回は箕作山に登って瓦屋禅寺に下りるつもりでしたが、目の前に分岐があるのに通り過ぎるのもなんですので、赤神山の北峰に立ち寄ります。
赤神山(太郎坊山)には北峰と南峰があり、北峰には登れますが、南峰は阿賀神社(太郎坊宮)の神体山なので入山は禁止されています。
北峰には磐座があり、山頂表示は磐座の上にあります。
山の名称は赤神山と呼ばれたり、太郎坊山と呼ばれたりしますが、太郎坊宮の上にあるピークということで太郎坊山の方が馴染みやすいかもしれませんね。
この北峰から見下ろす湖東平野の風景は何度見ても美しい。
正面にあるのが赤神山の南峰で右につながっているのは箕作山や小脇山、岩戸山のある方向。
では分岐まで戻って次は箕作山の山頂を目指します。
分岐では瓦屋寺を指している方向に進めば箕作山。箕作山と瓦屋禅寺は結構近い位置にあります。
途中で瓦屋禅寺方面と箕作山方面の分岐がありますが、瓦屋禅寺方向への道へは進まず、箕作山の山頂方向へ進みます。
箕作山の山頂は、ここが終点というよりも隣の小脇山への縦走途中のピークのようなところにあり、縦走するとほどなく小脇山に辿り着けます。
山頂には磐座のように岩があり、この場所からは湖東平野と琵琶湖方面の両方の景色が眺められます。
左のピークが先程登った赤神山(太郎坊山)の北峰で、右にある2つのピークは小脇山や岩戸山だと思います。
西側には遠くに琵琶湖が見えます。
見えてはいるけどこの山から琵琶湖は少し遠いですね。
再び分岐に戻って箕作山の方向へ進むと墓地がある場所に出て、展望台を下ると瓦屋禅寺の境内にある般若岩の前に出ます。
境内には車で登って来られた参拝者が多く、軽装の人の中で山登りスタイルで山から下りてきた不思議な人になってしまったような...。
瓦屋禅寺は聖徳太子により草建された後、東大寺の末寺として華厳宗となり、室町末期には天台宗の寺院となったという。
戦国時代に六角氏と織田信長の観音寺城の戦いで、箕作山城に木下藤吉郎(豊臣秀吉)が攻め入って堂宇は焼失して荒廃。
江戸時代の初期に臨済宗妙心寺派の寺院として「瓦屋禅寺」として中興されたようです。
経堂は「海印蔵」とも呼ばれるといい、八角輪蔵に一切経が納められ、建物としては江戸時代に建立されたといいます。
堂内にある八角輪蔵は7月中頃の虫干し法要の時に参拝者と共に回転させるようです。
高台にある経堂から本堂を見おろすと紅白の幕が掛けられ、特別大開帳の晴れやかな雰囲気に包まれています。
須弥壇には秘仏「十一面千手千眼観世音菩薩(千手観音)」と「四天王像」が祀られており、千手観音は撮影禁止です。
千手観音は、聖徳太子が斧で一刀され彫られたと伝えられていますが、仏像は平安後期の作とされ、160.5cmの等身大の脇手は実際に千本あるといいます。
庫裡では、“お寺を旅する画家”宮下拓実さんの現代アクリル仏画展が開催されています。
その中に瓦屋禅寺の御本尊を描いたような「十一面千手千眼観世音菩薩」と「四天王像」の画がありました。
本堂横にある子安地蔵堂には「地蔵菩薩半跏像」が安置されており、この地蔵菩薩は頭部が平安時代後期の作で肩より下は後補だといいます。
この地蔵菩薩半跏像と1650年の作だという板絵の三十三応現身像に囲まれた空間は何とも居心地のよい場所です。
宮下拓実さんの現代アクリル仏画展の作品を紹介すると「ハリ・ハリ・ハリ・ヴァーハナ・ローケシュヴァラ」というチベットやネパール的な作品。
どことなくアニメっぽいタッチで描かれるのが特徴なのかと思います。
宮下さんは、お寺の衰退に衝撃を受け画家として何か出来ないかと思い、お寺をアートで盛り上げる活動を始められたといい、庫裡を彩色豊かに染められていました。
お寺とアートがコラボする企画に時々出会うことがありますが、今の時代の感覚からするとお寺とアートってとても魅力的な企画だと感じます。
瓦屋禅寺を始めとして東近江には聖徳太子ゆかりの寺院が多いのですが、それ以前の時代の古墳時代の遺跡が多く残されています。
瓦屋禅寺の表参道の両端にあり瓦屋寺山古墳群では57基もの古墳が発見されており、古代から有力者が権勢を誇っていた地域のようです。
では参拝と秘仏拝観を終えましたので、阿賀神社(太郎坊宮)までの林道を歩きます。
林道では参拝者なのか坂道ウォーキングなのか分かりませんが、歩いている人もチラチラとおられました。
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