栗東市にある「金勝山」は湖南アルプスを形成する山々の一つで、単独峰ではなく標高605mの龍王山や鶏冠山491mなどの山々のことを指し、通称「金勝アルプス」と呼ばれています。
山中には奈良時代に良弁(東大寺初代別当)によって開基されたとされる金粛菩薩の霊地「金勝寺」があり、時代を更にさかのぼれば、役小角の修行した霊跡でもあったと伝わります。
金勝山の山中には奈良時代に彫られたという(一説には白鳳時代ともされる)「狛坂磨崖仏」があり、摩崖仏の多い湖南地方でももっとも名が知られている摩崖仏になります。
以前から行きたいと思いつつも行きそびれていて、栗東歴史民俗博物館のレプリカしか見ていなかったのですが、思い切って金勝山に登ることにしました。
2年前にも金勝山へは訪れていますが、その時は大津市側の上桐生から入って「逆さ観音」を経由し、「落ヶ滝」まで行って戻ってきています。
前回は後半の登りでバテてしまいましたので、今回は「狛坂磨崖仏」により近い馬頭観音堂から北峰縦走線を歩いて、「狛坂磨崖仏」を目指します。
小高い丘の上にある馬頭観音堂に参拝してみると、1本のカエデが赤く色づいていて季節を感じさせる美しさがありました。
直下の平野部にはJRAの栗東トレーニングセンターがありますが、山中に馬頭観音堂があることから、栗東の周辺には馬の文化があったと考えてもよさそうですね。
道は多少のアップダウンのあったものの途中まで急登は少なく、ほぼ尾根筋を歩いていくだけなので、常に空の下で太陽の光が受けられる歩きやすい道でした。
途中に何度も巨石に出会うのも岩山・金勝山らしさが感じられて魅入ってしまうことも度々。
複数の峰で構成される金勝山の最高峰は605mの「龍王山」で、最上部には巨岩の上に神殿が祀られています。
案内板によると“この神殿は大野神社の境外社で雨之水分神(明治の神仏分離令までは八大龍王と呼ばれた)をお祀りしている”という。
金勝地区に水を恵み与える神として信仰され、旱魃時には雨乞行事が行われたといい、この地は金勝山の分水嶺となっているとありました。
「龍王山龍王社」の本殿になる「大野神社」には仏教の水の神とされる十一面観音が祀られているといい、龍王山には日本の水の神である龍王が祀られている。
霊山であった金勝山の最頂部になる龍王山に水の神である龍王を祀って水の恵みを祈願してきた日本的な山の神への信仰と、摩崖仏を彫ってお祀りしてきた渡来人の仏教文化が習合していた痕跡が今も伺われます。
龍王山から更に道を進んで行くと、今度は「茶沸観音」という小さな摩崖仏に出会います。
2m弱の大岩に彫られた舟形の中に祀られている茶沸観音は20数cmくらいでしょうか。
茶沸観音は“道行く人が体を休め、茶を喫する適所だったから”といわれることがありますが、かつて金勝寺から山道を歩いてきた人ならこの辺りで一息いれたくなる距離かもしれません。
岩自体がかなり風化が進んでいるように見え、舟形の中の観音(如来という説があり)も随分と輪郭がぼやけてきており、摩崖仏は推定では鎌倉時代に彫られたとの説があります。
茶沸観音から数分歩いた所には「白石峰」の分岐があり、天狗岩・落ヶ滝・鶏冠山へと行くルートと、狛坂磨崖仏へ行くルートに分かれているようです。
当然ながら狛坂磨崖仏方向へ進みましたが、次に来ることがあれば天狗岩へ登ってみたいですね。
白石峰の少し開けた場所から奥に周り込んでみると岩が積みあがったような場所があり、ここがこの地点のピークのようです。
せっかくなので登ってみましたが、上には特に何もなく、その先は行き止まりでしたので、岩から降りて元の道へと戻ります。
白石峰から十数分歩くと、突然「重ね岩」が見えてきます。
突然と書きましたが、金勝山を歩いていると何の予告も予兆もない中で巨岩に出会ってしまいますので、突然巨岩が見えてきたという表現になります。
金勝山には重なった巨岩や不安定そうに立つ巨岩が多々ありますが、馬頭観音堂からのルートだと最初に会う巨岩が「重ね岩」になるのかと思います。
目の前に現れた2段の巨岩に圧倒されますが、こういう巨岩の重なりは自然に出来たものなのでしょうか。
元々は土に埋まっていた岩が周囲の土砂が流されたことによって地表に現れてきた可能性も無きにしもあらずかも。
重ね岩の下の巨岩には摩崖仏(阿弥陀如来座像)がぼんやりと浮き出ており、かなり風化が進んでいて見にくくなっています。
京都の木津から石山や湖南地方を通って、信楽・甲賀・伊賀へと続く「石の道」の文化は、狛坂磨崖仏を頂点にこの金勝山全体に息づいているようです。
重ね岩からすぐの所には「国見岩」があり、巨岩がゴロゴロと剥き出しになった山の向こう側に栗東市方面の絶景が望めます。
平野の真ん中に見えるのは近江富士こと三上山。三上山の姿は湖南や湖西地方の各所から眺められ、現在地を知るのに実に役に立つ山です。
湖南地方には崩れそうで崩れない、落ちそうで落ちない巨岩が実に多い。
金勝山は低山の部類の山のも関わらず、見応えのある景色が多いですね。
国見岩からは左方向に岩山と三上山、右方向に「天狗岩」の豪快な姿が拝めます。
この時は知らなかったのですが、「天狗岩」はてっぺんまで登ることが出来るようなので、もう一度金勝山へ登る楽しみが出来ました。
中央下に見える岩が国見岩側で、その岩の下は谷。遠近感が分かりにくい写真ですが、手前の岩から平地が見渡せたことから国見と名が付いたのではないかと推測したくなる位置にある大岩です。
この岩まで降りるには短いとはいえ滑りやすい坂を降りなければならず、ロープはあったものの松の先の細い枝にくくり付けてあっただけですので、とても命を預けらず、つかまるものを探しながら降りました。
馬頭観音堂から国見岩まで尾根筋の歩きやすい道でしたが、ここから狛坂磨崖仏までは道も荒れ気味の下り道になる。
帰りに登り返すのはしんどそうだなぁと思いつつも、やっと山登りらしい雰囲気になってきたと心が躍る。
狛坂磨崖仏は次回に続く...。
山中には奈良時代に良弁(東大寺初代別当)によって開基されたとされる金粛菩薩の霊地「金勝寺」があり、時代を更にさかのぼれば、役小角の修行した霊跡でもあったと伝わります。
金勝山の山中には奈良時代に彫られたという(一説には白鳳時代ともされる)「狛坂磨崖仏」があり、摩崖仏の多い湖南地方でももっとも名が知られている摩崖仏になります。
以前から行きたいと思いつつも行きそびれていて、栗東歴史民俗博物館のレプリカしか見ていなかったのですが、思い切って金勝山に登ることにしました。
2年前にも金勝山へは訪れていますが、その時は大津市側の上桐生から入って「逆さ観音」を経由し、「落ヶ滝」まで行って戻ってきています。
前回は後半の登りでバテてしまいましたので、今回は「狛坂磨崖仏」により近い馬頭観音堂から北峰縦走線を歩いて、「狛坂磨崖仏」を目指します。
小高い丘の上にある馬頭観音堂に参拝してみると、1本のカエデが赤く色づいていて季節を感じさせる美しさがありました。
直下の平野部にはJRAの栗東トレーニングセンターがありますが、山中に馬頭観音堂があることから、栗東の周辺には馬の文化があったと考えてもよさそうですね。
道は多少のアップダウンのあったものの途中まで急登は少なく、ほぼ尾根筋を歩いていくだけなので、常に空の下で太陽の光が受けられる歩きやすい道でした。
途中に何度も巨石に出会うのも岩山・金勝山らしさが感じられて魅入ってしまうことも度々。
複数の峰で構成される金勝山の最高峰は605mの「龍王山」で、最上部には巨岩の上に神殿が祀られています。
案内板によると“この神殿は大野神社の境外社で雨之水分神(明治の神仏分離令までは八大龍王と呼ばれた)をお祀りしている”という。
金勝地区に水を恵み与える神として信仰され、旱魃時には雨乞行事が行われたといい、この地は金勝山の分水嶺となっているとありました。
「龍王山龍王社」の本殿になる「大野神社」には仏教の水の神とされる十一面観音が祀られているといい、龍王山には日本の水の神である龍王が祀られている。
霊山であった金勝山の最頂部になる龍王山に水の神である龍王を祀って水の恵みを祈願してきた日本的な山の神への信仰と、摩崖仏を彫ってお祀りしてきた渡来人の仏教文化が習合していた痕跡が今も伺われます。
龍王山から更に道を進んで行くと、今度は「茶沸観音」という小さな摩崖仏に出会います。
2m弱の大岩に彫られた舟形の中に祀られている茶沸観音は20数cmくらいでしょうか。
茶沸観音は“道行く人が体を休め、茶を喫する適所だったから”といわれることがありますが、かつて金勝寺から山道を歩いてきた人ならこの辺りで一息いれたくなる距離かもしれません。
岩自体がかなり風化が進んでいるように見え、舟形の中の観音(如来という説があり)も随分と輪郭がぼやけてきており、摩崖仏は推定では鎌倉時代に彫られたとの説があります。
茶沸観音から数分歩いた所には「白石峰」の分岐があり、天狗岩・落ヶ滝・鶏冠山へと行くルートと、狛坂磨崖仏へ行くルートに分かれているようです。
当然ながら狛坂磨崖仏方向へ進みましたが、次に来ることがあれば天狗岩へ登ってみたいですね。
白石峰の少し開けた場所から奥に周り込んでみると岩が積みあがったような場所があり、ここがこの地点のピークのようです。
せっかくなので登ってみましたが、上には特に何もなく、その先は行き止まりでしたので、岩から降りて元の道へと戻ります。
白石峰から十数分歩くと、突然「重ね岩」が見えてきます。
突然と書きましたが、金勝山を歩いていると何の予告も予兆もない中で巨岩に出会ってしまいますので、突然巨岩が見えてきたという表現になります。
金勝山には重なった巨岩や不安定そうに立つ巨岩が多々ありますが、馬頭観音堂からのルートだと最初に会う巨岩が「重ね岩」になるのかと思います。
目の前に現れた2段の巨岩に圧倒されますが、こういう巨岩の重なりは自然に出来たものなのでしょうか。
元々は土に埋まっていた岩が周囲の土砂が流されたことによって地表に現れてきた可能性も無きにしもあらずかも。
重ね岩の下の巨岩には摩崖仏(阿弥陀如来座像)がぼんやりと浮き出ており、かなり風化が進んでいて見にくくなっています。
京都の木津から石山や湖南地方を通って、信楽・甲賀・伊賀へと続く「石の道」の文化は、狛坂磨崖仏を頂点にこの金勝山全体に息づいているようです。
重ね岩からすぐの所には「国見岩」があり、巨岩がゴロゴロと剥き出しになった山の向こう側に栗東市方面の絶景が望めます。
平野の真ん中に見えるのは近江富士こと三上山。三上山の姿は湖南や湖西地方の各所から眺められ、現在地を知るのに実に役に立つ山です。
湖南地方には崩れそうで崩れない、落ちそうで落ちない巨岩が実に多い。
金勝山は低山の部類の山のも関わらず、見応えのある景色が多いですね。
国見岩からは左方向に岩山と三上山、右方向に「天狗岩」の豪快な姿が拝めます。
この時は知らなかったのですが、「天狗岩」はてっぺんまで登ることが出来るようなので、もう一度金勝山へ登る楽しみが出来ました。
中央下に見える岩が国見岩側で、その岩の下は谷。遠近感が分かりにくい写真ですが、手前の岩から平地が見渡せたことから国見と名が付いたのではないかと推測したくなる位置にある大岩です。
この岩まで降りるには短いとはいえ滑りやすい坂を降りなければならず、ロープはあったものの松の先の細い枝にくくり付けてあっただけですので、とても命を預けらず、つかまるものを探しながら降りました。
馬頭観音堂から国見岩まで尾根筋の歩きやすい道でしたが、ここから狛坂磨崖仏までは道も荒れ気味の下り道になる。
帰りに登り返すのはしんどそうだなぁと思いつつも、やっと山登りらしい雰囲気になってきたと心が躍る。
狛坂磨崖仏は次回に続く...。
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