大晦日から新年にかけて長浜八幡宮では「除夜祭」として、カウントダウンイベントや干支の氷大彫刻・ちくわまき等が行われますが、その境内横にはかつて長浜八幡宮の別当寺だった「舎那院」さんが現在も寺院を維持されています。
寺院は814年弘法大師を開基として創建されたと伝わり、「新放生寺」という寺号で平安時代より長浜八幡宮の学習院だったとされます。
明治の神仏分離令によって新放生寺は子院の舎那院以外は廃されてしまったとされますが、舎那院には廃された他の寺院の仏像が集められたといわれます。
御本尊にあたるのは「木造愛染明王坐像(重文)」だと思われますが、「木造阿弥陀如来坐像(重文)」などの文化財を数多く有する寺院です。
舎那院さんは、一般的には芙蓉の名所として知られ、夏には約300株の芙蓉の華が咲き誇り、朝から夕刻にかけて花色が変わる酔芙蓉も咲きます。
境内を流れる米川にはカワセミの姿を見ることがあり、春にはオオルリやメジロなどの野鳥が訪れることもあって、心の拠り所のような寺院でもあります。
門を抜けて境内に入ると最初にある堂宇は「太子堂」で、聖徳太子ともつながりのある寺院です。
聖徳太子・空海ゆかりの舎那院さんには「源義経公都落ちの遺跡」の伝承までありますから、数々の伝承を持った寺院という言い方はできると思います。
本堂は1754年に八幡講を結んで資金をつくり、1810年に落慶されたとされます。
暗闇に一部ライトが灯されているだけですから外観は分かりにくくなっていますが、日中は静かで落ち着いた雰囲気のある真言寺院です。
山号は勝軍山といい、源義家による中興の時代(11世紀後半)に後三条天皇より賜ったと伝わるもので、外陣には賓頭盧尊者を祀り、内陣には10躰ほどの仏像が安置されています。
ところで、なぜ夜に肝試しまがいの寺院参拝をしたかというと、「護摩堂」で特別公開されている「不動明王像」を拝見したかったからということになります。
知らない寺院ではないのですが、初めて護摩堂の不動さんを観た時の神々しさに魅了されてしまい、夜の寺院に参拝したという次第です。
屋根にうっすらと雪がかぶっているのに驚きましたが、大晦日のにぎやかな雰囲気でなければ夜の寺院には来れませんね。
護摩堂は室町時代後期頃に建造されたとされており、滋賀県下では中世唯一の護摩堂の遺構だとされています。
正直ここが護摩堂とも知らず、ましてや中に不動明王像が祀られているとは知る由もなかったのです。
暗闇の中で顔だけがライトアップされた不動さんは、細部など全く分かりませんが、その姿はあまりに神々しい。
2018年の最後にこの不動さんの姿に会えたのは“戒め”の暗示なのでしょうか。2019年の生き方を考えるいい機会です。
寺院は814年弘法大師を開基として創建されたと伝わり、「新放生寺」という寺号で平安時代より長浜八幡宮の学習院だったとされます。
明治の神仏分離令によって新放生寺は子院の舎那院以外は廃されてしまったとされますが、舎那院には廃された他の寺院の仏像が集められたといわれます。
御本尊にあたるのは「木造愛染明王坐像(重文)」だと思われますが、「木造阿弥陀如来坐像(重文)」などの文化財を数多く有する寺院です。
舎那院さんは、一般的には芙蓉の名所として知られ、夏には約300株の芙蓉の華が咲き誇り、朝から夕刻にかけて花色が変わる酔芙蓉も咲きます。
境内を流れる米川にはカワセミの姿を見ることがあり、春にはオオルリやメジロなどの野鳥が訪れることもあって、心の拠り所のような寺院でもあります。
門を抜けて境内に入ると最初にある堂宇は「太子堂」で、聖徳太子ともつながりのある寺院です。
聖徳太子・空海ゆかりの舎那院さんには「源義経公都落ちの遺跡」の伝承までありますから、数々の伝承を持った寺院という言い方はできると思います。
本堂は1754年に八幡講を結んで資金をつくり、1810年に落慶されたとされます。
暗闇に一部ライトが灯されているだけですから外観は分かりにくくなっていますが、日中は静かで落ち着いた雰囲気のある真言寺院です。
山号は勝軍山といい、源義家による中興の時代(11世紀後半)に後三条天皇より賜ったと伝わるもので、外陣には賓頭盧尊者を祀り、内陣には10躰ほどの仏像が安置されています。
ところで、なぜ夜に肝試しまがいの寺院参拝をしたかというと、「護摩堂」で特別公開されている「不動明王像」を拝見したかったからということになります。
知らない寺院ではないのですが、初めて護摩堂の不動さんを観た時の神々しさに魅了されてしまい、夜の寺院に参拝したという次第です。
屋根にうっすらと雪がかぶっているのに驚きましたが、大晦日のにぎやかな雰囲気でなければ夜の寺院には来れませんね。
護摩堂は室町時代後期頃に建造されたとされており、滋賀県下では中世唯一の護摩堂の遺構だとされています。
正直ここが護摩堂とも知らず、ましてや中に不動明王像が祀られているとは知る由もなかったのです。
暗闇の中で顔だけがライトアップされた不動さんは、細部など全く分かりませんが、その姿はあまりに神々しい。
2018年の最後にこの不動さんの姿に会えたのは“戒め”の暗示なのでしょうか。2019年の生き方を考えるいい機会です。
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